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地蜂について

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2022.08.03

夏になると

毎年、夏になると、中庭に「地蜂」がどこからともなく現れて、庭の地面や御堂の縁にしたに巣を作り、たくさんの小さな蜂が飛び回り、小さな音ですが「ブンブン」という音が中庭中に響き渡ります。これが羽蟻だったらえらいことなのですが、幸い羽蟻ではなく地蜂なので助かります。しかも刺されることはほとんどないので、心配して殺虫剤を撒くこともないのです。

地蜂とは

地蜂とは、全国的に生息している蜂で、スズメバチの中まのクロスズメバチの別名です。地面に巣を作る習性があるので「地蜂」っと呼ばれます。地域によっては、ヘボ、スガレ、タカブなどと呼ばれているようです。
また、クロスズメバチにはシダクロスズメバチという‘亜種があって、色や形は少しだけ地ファイますが、地面に巣を作るおいう生態は同じで、この二種類をまとめて地蜂と呼ばれます。
スズメバチとついていることから、凶暴で怖いスズメバチのように感じてしまいますが、極めておとなしいです。体長は10ミリから18ミリくらいで、スズメバチの仲間としては最小で、その名のとおり黒を基調とした色で、頭や手足、胴体に黄色やクリーム色の横縞が入っています。

生態は

生態は、スズメバチに似ていて、俊敏動き回り空中にいるハエやトンボ、地上のこおろぎやバッタなどを捕まえ、肉団子にして巣に持ち帰ります。
好き嫌いがないので、哺乳動物の死骸や、時には人間の食べるハムやソーセージ、魚や唐揚げなどのタンパク源になるものはなんでも食べます。また、基本的には肉食なんですが、樹液や花の蜜も吸うことがあって、ジュースなどの甘い匂いにっつられて近づいてくることもあります。。しかし攻撃性は高くなく、直接刺激したり、巣に近づいたりしない限りは攻撃してくることはなく、刺されたとしても毒性はそれほど強くなく、毒自体が原因で重症になることはあまりありませえん。私は今まで一度も刺されたことはなかったです。

食用としてされていることも

鉢の中でも温厚な種類の、地蜂(クロスズメバチとシダクロスズメバチ)は、食用としても養殖されているようです。特に長野県、岐阜県などの山間部を中心として盛んに養殖されっれいます。
幼虫はほとんど無味でほんのり甘く、若いサナギはバターのような風味があって、高級珍味として缶詰や瓶詰めで売られているようです。
とても重要な地域の文化地して根付いていて、長野県では養殖した巣の大きさを競う「地鉢の巣コンテスト」なるものも開催されています。一部地域では「ヘボ」とも呼ばれて、岐阜県にある「ヘボミュージアム」では「ヘボまつり」というイベントが毎年開催されているほどです。佃煮やバター炒め、ご飯に混ぜ込んだ「ヘボ飯」などさまざまな食べ方があって、見た目はともかくとして結構美味しくて栄養価も高く、珍味として高値で販売されています。

駆除

今までうちでは駆除したことはないのですが、これが街中だったり家が立て込んでいるところだったら駆除したほうが良いのかも知れません。
駆除は、地蜂は昼行性で夜になると休息のためにほとんどが巣位戻ります。だから夕方から夜にかけて日が沈んでからがよいとのことです。
しかしそれは屋根裏とかの目に見える場所に巣がある場合で、うちのように地面にすがある場合は無理かもしれません。

うちでは

毎年のことですし、家族が刺されて腫れたとか、お参りの方々が刺されたということは、今までなかったのと、周りに家が立て込んでいるのではないので、除去したことはなく、共存しています。
それは、他の動物にも言え、小鳥も境内の木立で囀り、夏は珊瑚樹の赤い実がなって蘇れえお食べにきて囀りますし、カラスも夕方に泣いています。中庭の反対側の庭の池にはトカゲやイモリ、カエルがいて、またそれを狙う蛇がいたり、境内の木立にはセミがいて、今はミンミン蝉とアブラゼミの蝉しぐれで、夕方になるとヒグラシも涼しげな鳴き声です、八月後半になるとツクツクボウシになり、季節感いっぱいです。
また、野良猫さんが境内に石段の上でゴロゴロしていたり、たまには庭に侵入して我が家の癒し担当の猫の「とと丸」君が尻尾をアライグマラスカルのようにして膨らませて威嚇することもあります。トト丸君が来てからは、天井を走り回っていたネズミは、トト丸君が夜な夜なパトロールしてくるているおかげで、どこかに引っ越ししたようです。

まとめ

季節になると、それに応じて様々な生き物が集まってくる、これは自然のと共存ということで、人間だけの世界でない、動物も植物も全てがこの世界、宇宙の住人で主人公なのです。今世間を悩ませているコロナウイルスも、この世界の仲間なのです。それは「ウイズ コロナ」と言われかけているように、この世界に一緒にいる、共存していくことではないでしょうか、どこかの国ではゼロコロナと言ってコロナを撲滅するのだと行ってますが、世界中で行うならともかく、自国だけでは絶対できないのであり、コロナも生き物と捉えるようにしたほうが賢明かとも思います。
法然上人は「病源の得て病源の楽しむ」と仰いました。それはなかなかできることではないのですが、人間も生きとし生けるものの中の一つとして考えなければならないのです。共存していくには自分だけのことを考えず、人や生き物との関わりを考え、それを大切に思い感謝することが大事です。それはなくなった人に対するのも同じで、今までの関わりを思い、面倒だからとお悔やみをしないといいうのは、共存を他せつにしないことではないでしょうか、そこで、あまり負担がなくきちんとお悔やみをできる「恭敬の会」がお手伝いできるのです。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は負担が少なく、共存につながっていけます。

恭敬の会 送骨 訪問あず骨

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