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おこない

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2023.03.14

おこない

「おこない」とは、五穀豊穣を願って西日本の各地で念頭に行われる伝統的な行事です。とくに近畿地方の近江国(滋賀県)の湖北地方や甲賀地方で参に行われています。搗いた餅を神仏にお供えして、そのお下がりを集落の人々で分配することが多く、寺院で行われている「修正会」と豊作の祈願が習合して集落の年中行事として変化してきたものだと思われます。
恭敬の会を主宰する蓮通寺がある、長浜市西浅井町岩熊でも昔から行われていて、祖先の供養を大事にするのと同じように大切に受け伝えられていて、それは祖先の恩に感謝する供養に通じるもので、毎年二月中頃に行われています。
これは、先祖に対する崇敬の思いと、連綿と続いてきたことを大切にする気持ちによって行われていて、昨今の目の前の事だけをだ寺ににすることや、事情によってなくなった方の供養を行えず、お骨も墓地や納骨堂に納められずに、そのまま供養っもせずに、ただゆうパックで送骨するというものとは、全然違うもので、これについて広い人々が気づいていただくために、おこないについてとり上げます。

湖北地方の「おこない」

琵琶湖の北東の湖北地方では、毎年一月から三月に春先になると「おこない」と呼ばれる神事があちこちの集落行われます。これは厳粛な神事であるとともおに、雪がたくさんつもる地域の初春の憩いでもあり、一年の初めの大事な行事でもあります。「おこない」という言葉はは湖北では「神事」と書いて おこない と呼ばせることが多く、蓮通寺のおある西浅井町岩熊では「じんじ」という呼び方をしていますが、本来は「行ない」と表記する穏当で、「修正のおこない」の意味だと考えられます。修正とは修正会、修二会という仏教寺院で行われう年初の行事のことで、蓮通寺では元日から三日までの正月三ヶ日に荘厳をして御鏡餅をお供えし、年の初めにあたって国家の安泰と人々の安寧を願い、また年の始めに心を新たにして自分が新たな年に、何を行うべきかを考えて、精進潔斎動き始める誓いを行うものです。また有名なものでは東大寺の「お水取り」でよく知られている 修二会 があります。しかし、この修正会、修二会は仏教dけの行事でなくなり、古代の我が国の庶民の行事が仏教の行事と融合していったmのが「おこない」だと思われ、湖北地方のおこないも、神社と限らず仏堂にて行われることもあります。

おこないのやり方

「おこない」は村落共同体の念頭行事で、「おこない」の番に当たった家(おこない番、頭屋、岩熊ではじんじ宿と呼ばれる)を中心にして大きな鏡餅を搗き、村によっては「まいだま」と言われる大きな餅花を作る習わしで、鏡餅は先祖の霊魂を象徴していて、鏡餅によって霊魂に触れてかつそれを鎮める意図があり、行事の最後に鏡割りと言って鏡餅を切り分けて村中に配り、それを食べることによって その一年の幸福を願うものなのです。「まいだま」というのは、大きな木の枝に小餅を沢山付けて稲穂を形どったもので、豊作を祈願するものだと考えられていて、おこないには欠かすことができないものです。このように「おこない」は年の始めにあたって祖先の霊魂を祀るとともに、五穀の豊作を祈願する行事なのです。
「おこない」は湖北地方だけで行われているのではなく滋賀県内でも湖東屋湖南地方でも行われている地域があり、京都府や大阪府、奈良県、和歌山県などの近畿地方、元の五畿内の地域に広く分布していて、名称は違っていても行事の内容を見てみると同じように行われているのです。その中でも最も周密な分布が見られるのが湖北地方で、「おこない」は湖北地方が中心だと思われる由縁です。
湖北地方の「おこない」については、「京都や比叡山に鬼門除け」とか、「彦根藩の鬼門除け」のためだと言い伝えがある集落もあります。奥深い山々と湖に囲まれて、多雨湿潤で雪も多いという湖北地方の風土と、現在でも湖北の神社数は集落の数を遥かに上回り、一集落に二箇所以上の神社が存在することも多く、春秋の祭りをはじめ多くの年中行事が行われるなど、神への信仰の厚さが今日でも「おこない」を伝えているのに影響しているものだと思えます。

延勝寺地区のおこない

旧湖北町の延勝寺地区で行われている「おこない」は、昔からのやり方をよく残していてます。
百戸あまりの集落を東、中、西の三組に分け、各組には行事の中心となるおこない番が一名ずついて、おこない番は玉くじによって選ばれ、選ばれた家は床柱に貼る御神のお札を当番の印として家に祀り、一年間は肉食類は卵類に至るまで食べない事、火の障りのあるところには近寄れない事といった決まりがあり、大晦日の夜は社務所に詰めて徹夜し水ごりをとる、若衆は元旦に裸で池に飛び込み神事の朝に裸で宮まいりをするもので、各組の当番の家で若衆が寄り合って夜を徹してしめ縄飾りやお鏡餅を作ります。早朝になると小学校の子供たちも交えてまい玉を笹に飾りつけ、当番の家から掛け声とともにお詣りをし。宮司とともに拝殿にお供えをして、各家に鏡餅を切りわけてお祝いのお裾分けをします。それが終わると玉くじの行事に移り、新しいと当番が決まると各組ごとに太鼓、小太鼓を鳴らし、笛、法螺貝を吹いて賑やかにし、神社にお供えしてあるお餅や御神酒を提げて、当番を先頭に新当番、続いて組内の大勢が囃仕立ててお詣りをします。午後になると式典が執り行われ、各組ごとに直会に移っていきます。

まとめ

湖北地方で広く行われて続いてきた「おこない」ですが、今回の新型コロナウイルス蔓延によって、行われなくなってしまったら理、規模を縮小したりするところが続出してきました。蓮通寺のある岩熊においても、コロナをきっかけとしてというようり、コロナを言い訳として、「おこない」の神事は行われるのですあ、お鏡餅を搗衣t理、花餅を作って集落を練り歩くということをしなくなってしまいました。これは時代の趨勢というより、コロナを言い訳ににして、面倒くさいことをやめてしまおうという人が声を大きくして主張することで、多数の人々がそれに乗っていったことで、これは「おこない」だけに限らず集落の行事や、お弔いについてもこと、供養についてのこと身、同じようになって行っています。今自分があるのは先祖や周囲があるお陰という認識が薄れ、目先の自分たちだけのことしか考えなくなっていく流れになっているのではないかと思います。そこでせめて、自分をこの世に生まれさせてくださった父母や祖父母、縁者の方々の供養を、負担が少なく、煩わしいことがなくおこなるように、恭敬の会があり、恭敬の会の送骨である、訪問預骨があるのです。

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