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お仏供(お仏飯)について

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2022.07.09

お仏供(お仏飯)とは

「朝飯前」(あさめしまえ)でも少し触れましたが、お仏供(おぶく)についても
お話をしたいと思います。
朝お勤めしてからお供えするのを、お仏供(おぶく)又は、お仏飯(おぶっぱん)
と申します。
我々浄土真宗では、親みをこめて「おぶくさん」や「おぶっぱん」と言います。

日本の国の別名は

我々が暮らす日本の国は、別の名前があり
「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)と申して、豊かな葦原にある みずみずしい稲穂がみのっている国という意味です。
日本の歴史でも習ったように、縄文時代は狩猟生活が主な食べ物を手に入れる手段の時代と言え、その次に弥生時代と呼ばれる稲作が始まった時代になりました。
稲作によって食料事情が安定し、人が一緒に生活する集落も、規模が大きくなっていきました。
葦原というように、葦が原っぱに沢山茂って、それが建物の屋根を葺く材料になり、住居や食料を保管する倉庫になっていき、稲作が盛んになり人も増えて豊かになっていったことから、とよあしはらのみずほのくにと言われ、稲作中心の国になっていきました。
江戸時代の基準も、お米の取れる量(石高)で、殿様の領地の基準も石高で表していました、例えば加賀百万石と言われました。
一石(いっこく)は、米一俵(いっピョウ)が四斗で、2、5俵が一石となります。
百万石といえば250万俵のお米になります。
平成4年の価値換算で一俵は10万円くらいでしたから、百万石だと2億5千万円ぐらいになります。
というように、お米は価値基準の中心で大切な物でした。

仏様にそなえる

仏様にお供えするのを「お仏供さん」「お仏飯」と申すと話しましたが、朝飯前のお勤めをして、
から仏器に盛り付けたお仏供をおそなえするのですが、東本願寺では「盛槽」(もっそう)という筒にご飯を入れ、ピストン状のもので形を蓮の実に似せて円筒状盛り上げます。
西本願寺では、よそって山がたに盛り付けます。
お仏供は、朝にお釈迦様が托鉢(たくはつ)に歩かれた時、在家の信者さんがお釈迦様をお敬いする気持ちから、食べ物を施されたことに由来しています。
これに倣って、浄土真宗では御本尊の阿弥陀如来様にお敬いの心と命を繋がらせていただくことへの感謝で、お勤めしてから又はお参りしてから、お仏供をおお供えします。
そしてお下げした後は、共に食に恵まれたことに感謝して大切にいただきます。
毎朝、炊きたてのご飯を「仏器」に盛ってお供えし、お昼にお下げしいただきます。

まとめ

お仏供(お仏飯)は日本の食の中心であるお米のご飯を大切にして、敬いの心でお供えし、召し上がることで、お供養の法要、納骨の法要、恭敬の会の訪問預コツの際にもお供えしてお敬いすることが大事なことです。

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恭敬の会の送骨 訪問預骨

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