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こうのとり

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2022.10.06

こうのとりについて

最近、蓮通寺の近くの田圃にコウノトリが毎日飛来しています。
七羽か八羽くらいがきて、田んぼの中のむしなどを食べている様子を沢山の人たちがきて遠巻きにして、大きなレンズを構えて写真を撮られているのは、こういう情報が伝わるのは早いなと感じるとともに、コウノトリさんよく来てくださったと思うのと、夫婦に赤ちゃんをはこんでくれる幸せの使者ちおしてもよく知られています。

コウノトリとは

コウノトリは、鳥網コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類される鳥で、日本では兵庫県の豊岡が有名で、繁殖地にもなっています。
コウノトリは、日本、朝鮮半島、中国大陸、台湾、ロシアの南東部に分布していて、主な繁殖地は中国大陸の北東部や、ロシアの南東部にアムール川、ウスリー川の流域で、冬季になると日本、朝鮮半島、台湾、長江中流域に南下して越冬するのです。西暦1980年代になると中国大陸での越冬地が西に移っていく傾向が出てきて、長江水系の鄱陽湖に注ぐ鄱江の支流の「昌江」で越冬するのです。
また、西暦2000年代になると中国大陸の越冬地でも繁殖が確認されています。
日本にも冬季に兵庫県の但馬地域に飛来していたのですが、一度絶滅してしまったのですが、但馬の豊岡の人達の運動と努力によって、戻りつつあります。
形態は全長110センチくらいで、翼を広げたら195センチにも達し、体重は3キロから5キロぐらいで、全身の羽毛は白いのですが、風切羽、大雨覆は黒です。嘴の長さは26センチから27センチくらいで、嘴は黒く基部は赤いのです。眼の周囲は皮膚が赤く裸出していて、後肢は赤く、他の鳥と違って爪は鉤爪でなく尖った平爪です。
分類は、広義ではコウノトリ亜科に属する鳥類の総称で、ヨーロッパとアフリカの北部には、狭義でのコウノトリの近縁種であるシュバシコウが生息しています。羽の色は日いるのですが、嘴は赤で、この鳥は数十万羽生息してい流のです。こうとノリが赤ちゃんの運んでくるという伝承はこのシュバシコウのことを指すと言われています。

コウノトリの生態

コウノトリは、河川、池沼や湿原などに生息していて、日本においては里山に囲まれた水田や河川がある里に生息していました。中国大陸では九月の中頃から十月の中頃に渡り始めて、越冬地には十月中頃から十二月にかけて飛来して、春の三月上旬まで留まるのです。日本では渡りは確認されなくて、冬になると個体数が減少する傾向でした、それは同種の間で争うことがあって、日本では平成14年に兵庫県の豊岡市に飛来して平成十九年に死ぬまで留まっていた野生の雄鳥が、個体数が減って多ことで人工的に再導入した雄鳥と縄張りを争って、敗れて死んだと考えられています。成鳥になると鳴かなくなるのですが、嘴を激しく開閉して叩き合わせて出す音のクラッタリングと言われる行為が見うけられ、威嚇、求愛、挨拶、満足、縄張り宣言などの意味があるようです。魚類、カエル、ヘビ、ネズミ、昆虫などを食べて、水性の動物は浅瀬で、ヘビやネズミや昆虫は乾燥した草地で捕食します。
繁殖様式は卵生で、三歳くらいから繁殖が始まります。頭部を反らせて嘴を叩き合わせて求愛をします。つがいになると他とは交わらず、一夫一婦制で、こうのとりは産卵したつがいをペアと言って、まだ産卵していないつがいのことわカップルと言って定義しています。鶴のように翼を広げたり踊ったりという求愛の仕方はないようです。
湿原に面した大木の樹上に木の枝を組み合わせて巣を作ります。日本での繁殖の個体は三月下旬から四月の上旬に繁殖していて、大陸の個体は四月中旬から四月下旬にかけて繁殖します。一度に二個から六個の卵を産み、抱卵の期間は三十一日から三十五日間で、育雛の期間は五十五日から七十日で、六湖の卵の全てが孵化し育って巣立つこともあります。雛は孵化してから六十三日から七十四日くらい巣に都土間、親鳥は巣の中に餌を吐き戻して与えて、雛はそれを自力で食べて育ちます。雛は約五十八日から七十一日くらいで巣立ちをし、日本では六月下旬から七月上旬に巣立って、大陸の個体は七月下旬から八月上旬に巣立地、巣立ってしばらくは親鳥について餌の摂り方、飛び方などを学びますが、秋には親離れして幼鳥や若鳥のゆるい群れを作って行動し、親子で渡りをすることはほとんどないのです。

人間との関わり

日本では元々は広域に分布していて、江戸時代の後期には江戸の市中でも繁殖していたとの記録が残っていて、江戸の葛西の樹上や青山や蔵前の寺の屋根で英巣していたようです。京都西本願寺の対面所はこうの間と呼ばれて、鴻の鳥が欄間の彫刻に彫られています。その後明治時代になって乱獲され、激減し兵庫県の但馬地域や福井県の若狭地域を除いて絶滅してしまい、但馬地域では藩主がコウノトリを霊鳥として保護したので、領民にも保護の意識があって、絶滅が免れたようです。しかし生息数が減少して昭和四十六年日本の野生のコウノトリは絶滅してしまいました。その後中国からの個体を導入して但馬豊岡でコウノトリ飼育が行われるようになって、少しずつ増えていき、それが蓮通寺の近くにも飛来したのです。
日本にはコウノトリに関する伝承が各地に残っていて、豊岡の城崎温泉にも七つの外湯の一つにコウノトリあ発見して傷を癒したとという伝説の「鴻の湯」があります。また西洋では「コウノトリが嘴で赤ちゃんをはこんでくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあります。

まとめ

コウノトリは、日本でも親しまれる鳥として存在していたのですが、国内では一度絶滅してしまい、外来種を導入して復活できました。それは大事したいという人々の気持ちいよって復活できたことで、このことはお悔やみに関することでも同じではないでしょうか。今まで行われてきた葬儀やお墓にお骨を収めることが、できなくなってきた、必要ないと思うからしなくなったという人達も、やはりそれでは安心できない、大事にして行かねばならないと思う時期に来ているのだと想います。しかし負担がかかる、煩わしいことは避けたいという思いもあることで、それを克服するために「恭敬の会」が立ち上げられ、負担が少なく、煩わしいことがなく、それでも丁寧にお供養を行える、僧侶がお伺いして、礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、その前で懇ろにお勤めしてから、お骨を預かってお骨を納めるということなのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、時期相応の奥ようなのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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