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ちゃんちゃこ祭り

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2022.08.22

ちゃんちゃこ祭り

蓮通寺から北に向かった集落の集福寺(長浜市西浅井町集福寺)の下塩津神社では、夏になると例大祭で「ちゃんちゃこ祭り」正式には「花笠踊り」が行われます。昔は毎年でしたが、人口減等の理由で数年に一度行われるようになりました。
集福寺という集落は、平安時代に「吉祥山集福寺」という天台宗の寺院があって、それが地名の由来となり、集福寺には末寺である十二の坊(お坊さんの住まい)があり、その遺跡も残っていて、十二坊の一つの宗前寺の本尊であった「聖観世音菩薩」が、先日東京で「東京になる長浜の観音堂」をコンセプトにして、展示が行われ沢山の見学者がありました。

下塩津神社

「ちゃんちゃこ祭り」の行われる「下塩津神社」は正式には「下鹽津神社」と言って、祭神は「塩土老翁」(しおつちおじのかみ)で、延喜式の式内社です。
伝によると、応神天皇が皇子であった頃、天孫降臨の後に、笠狭碕で国を賜った「塩土老翁」の託宣を得て、即位されたのちに大雀命、宇遅能和紀郎子命に二人の皇子に、この神様を崇敬するように命じて、この二人の王子は淡海の国の集福蘇翁に命じて、仁徳天皇三年の四月に、近江国浅井郡下塩津郷集福寺小松山小稲森に社殿を創建して、塩土老翁を陳蔡して下塩津神社としました。
醍醐天皇の昌泰二年(西暦899)には、今出川大納言の次子で、天台宗の僧であった大法深が塩津神社に社僧に任じられ、進行していた熊野三所権現を勧請して、伊邪那岐命、伊邪那美命を配祀されました。


祭りの練習

祭りの練習は、祭り本日の二週間前から始まり連夜行われます。下塩津神社に氏子によって組織される宮若社が行事を運営して、大人から子供まで一丸となって伝承して守り伝えていて、練習は拝殿や社務所で、鉦役の大人二人、太鼓役の大人二人、棒振り役の小学生二名による六人編成の踊りなどを、繰り返し繰り返し練習して上達していきます。親子何代にもわたって参加する家族たちの支えがあっての賜物で、とても大切なことです。

役割発表 衣装合わせ

役割が、張り出されて発表され、二十番にも及ぶ祭りの歌が書かれた扇子を渡されて、衣装合わせにかかります。見るからに使い込まれた太刀や長刀、赤熊(しゃぐま)と呼ばれる太鼓や棒振りの人がかぶる物、鉦打ち役の赤頭巾など、ところどころにあしらわれている赤色がアクセントになっています。雅やかな花笠の娘たちの衣装もあれば、戦国武将を思わせるような甲冑に似たものもあって、祭りへの期待感がふつふつと高まっていきます。

拝殿に荘りつけをして

祭り当日前に、拝殿の中央に神輿を置き大団扇を立てかけて、荘りつけが行われ、お祭りをお迎えする準備が整います。

祭りの行列

祭り当日にいなると、神主が下塩津神社の神前で、祝詞をあげ、巫女に扮した娘さんたちが雅楽の曲に合わせて舞を舞って奉納し、それから集落の端から行列が始まります。前杖、長刀、先箱、毛槍、立傘、台傘、大弓、槍、それから鉦、背中に短冊と丸帯を背負った太鼓打ち衆、棒振りの踊り衆、さらに花をつけた花笠をかぶり五色の布を垂らした花笠の娘たち、後杖の順番で、集落の辻々で踊りながら練り歩きます。

祭りも最高潮に

行列が神社の鳥居をくぐると一段と活気づいていき、踊りのが輪になっていって、鉦や太鼓の音がとても大きく鳴り響きだすと、露払いの長刀をはじめ鍛え抜かれた技を披露していきます。「カンカン」という金の音と、「しょーいっ」という掛け声が境内に響き渡り、祭りも最高潮に達していきます。五穀豊穣と家内安全、集落の安泰を願う祭りも無事に終えることができるのです。これも集落のことを思い伝統を大切に守り伝えようとする、団結力によって支えられているのです。

まとめ

集福寺のちゃんちゃこ祭りは神社ができて千二百年以上、お祭りがおこなわれるようになって何百年という長い間守り受け伝えられてきたのです。毎年できなくても何年かに一度でも、行われていることが大事なことで、コロナをきっかけにしてやめようという声も出ていませんし、これは住人の方々の地域を大切にする想いと、先祖を大事にする気持ち、そして何より祭りが好きだという気持ちが、繋がっているからではないでしょうか。これは神事だけでなく仏事にも言えることです。集福寺の人々のように、人口が減っても毎年はできなくても数年に一度という方法を考え、負担を少なくして頑張って守る姿勢を、全ての人々が同じように持っていただけるとこれからも、神事も仏事も地域の行事も残すことができ伝えられていけます。
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