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なるこ参り

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2022.09.21

なるこ参りとは

湖西の高島にある、大鳥居が琵琶湖の湖中にあり、近江の厳島とも言われる「白髭神社」で行われる秋の祭りで、「なるこ参り」という珍しい神事が行われます。
生まれた子供が数え年で二歳になると、その子を連れて白髭神社に参拝し、本名とは別の名前を神前にて授けていただきか、その賜った名前で数日間その子を呼んで過ごすと、健やかな成長と延命長寿や、一生幸福を神様から守護してもらえるというものです。

白髭神社

白髭神社は、滋賀県高島市鵜川に鎮座されている神社で、延命長寿白髭の神様として、縁結び、子授け、福徳開運、攘災招福、商売繁盛、交通安全の神様として全国に分布する白髭神社の総本社です。祭神は「猿田彦命」で、国史で「比良神」とあって、白髭神社をさすとみられ、元々の祭神は比良山の神であったとも思われています。近江国の最古の大社でもあります。

白髭神社の歴史

古墳時代の天皇であった垂仁天皇の二十五年に、皇女の倭姫命が創建され、白鵬三年(西暦675)には天武天皇の勅旨を持って「比良明神」の号を賜破りました。『日本三代実録』には、貞観七年(西暦865)正月十八日の条に、「近江国無位比良神従四位下」と記されていて、祭神である猿田彦命がこの比良明神に当たり、弘安三年(西暦1280)の『比良庄堺相論図会』には「白ヒゲ大明神」と記載されています。また、『太平記』の巻十八の「比叡山開闢事」には「白髭明神」と記されていて、鎌倉時代には白髭明神と呼ばれていたことがわかり、比良明神は白髭をたくわえてた老翁の姿と考えられていて、そこから白髭明神と呼ばれるようになったと思われています。白髭神社が沢山分布する近江国や武蔵国、筑前国には渡来人が多く、それらの渡来人が祖神を祀ったとも考えられるという説もあります。
謡曲の「白髭」は、時の天皇が夢告によって白髭明神に勅旨を差し向けられ、参拝させると、明神様が老漁夫の姿をしtえ現れ、比叡山が仏法結界の地となった由緒を語ってから社壇にはいられ、後に天女、龍神を連れて現れられ、舞を舞って奇特を示され、天皇の御代を祝福するというものとなっています。
それから後、慶長八年(西暦16030に、豊臣秀頼の名を受けた片桐且元が奉行となって現在の本殿が再建され、摂末社の造営や境内の整備が行われ、慶安元年(西暦1648)には朱印地として百石を受け、のちに百八十九石になったようです。明治時代になると明治九年(西暦1876)近代社格制度によって郷社となり、それが大正十一年(西暦1922)に県しゃに昇格しました。

境内 建物

境内地は慶長年間(西暦1596〜1615)の間に、豊臣秀頼の命によって整備されました。
本殿は国指定重要文化財で、慶長八年(西暦1603)の造営で、棟札からわかることで、豊臣秀頼の命によって、片桐且元を奉行とし播磨国の大工によっって建てられました。間口三間、奥行三間の入母屋造で、一間の向拝を付していて、屋根は檜皮葺で、向拝の手挟や蟇股などに桃山時代の特徴を示していて、明治時代の拝殿の造営、接続によって向拝の軒先が切り縮められて、権現造りのような複合式の社殿様式となっています。
拝殿は、明治十二年(西暦1879)再建され、間口三間三尺、奥行二間で四棟造りとなっています。
絵馬殿は、旧の拝殿で、寛永元年(西暦1624)、白髭神社のすぐ近くの大溝藩主の分部光信によって造営され、現在は絵馬殿tして使われています。
社務所は、昭和七年(西暦1932)の造営で、書院造で中世を感じさせる造りであることから国の登録有形文化財に指定されています。
大鳥居は、琵琶湖の湖中に建てられてていて、白髭神社のシンボルとなっていて、近江の厳島と言われるようになっています。弘安三年(西暦1280)の絵図では陸上に描かれているのですが、その後の琵琶湖の水位上昇や地盤沈下によってか、水中に立つようになったようで、「江源武鑑」には、永禄五年(西暦1562)の九月ニコ中から華表が顕出したという記事があ李、「為広越後下向日記」には、「鳥居湖につくりかくる」と記されていて、延徳三年(正暦1491)には、すでに鳥居は湖中に造られ隠れているという伝承があったことがわかり、死の伝承に基づいて、昭和十二年(西暦1937)大阪の薬問屋の小西久兵衛によって鳥居が寄進され、昭和五十六年(西暦1981)現在の鳥居が再建されました。
また、社務所の前には、与謝野鉄幹、与謝野晶子の句碑が建てられれています。

まとめ

白髭神社は、琵琶湖の湖中の鳥居の風景があまりにも有名となり、鳥居を撮影する人がひっ切りなしとなって、参拝者が絶えません。また、車で蓮通寺から京都に向かうときは、白髭の辺りは道路が社殿の前の国道161号しかないので、必ず通るところで、京都に勤め出した初めてのお盆過ぎで、お盆の業務で疲れ果ててしまい、運転していて眠くて、我慢できなくなり、これ以上は危険だと感じ、白髭神社のすぐ近くの広場に車を停めて仮眠していたら、トラックが通りタイヤがバーストし、凄い爆発音で目覚めたことがありました、これは白髭神社の神様が私に疲れたのでやすみなさい、眠気が取れたので起きなさいと教えて下さったのかと思いました。それに「なるこ参り」は、名前を別につけて子どもの成長と無事を願うのであって、そのことは、私には本名の他に幼名があり、家族、親類の人達や、親しい門徒さんからは幼名で呼ぼれていて、それで育てられたというのと共通しているのではないかと、感じるのです。人は無事で安心して過ごしてほしいという願いを持って暮らしているのです。「恭敬の会」は、その無事、安心について、煩わしいから、負担がかかるからといって安易に送骨だけにしてしまい、後に後悔することのないよう、お骨を預けた後に安心し無事に過ごせることを願っています。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、煩わしいことがなく、負担が少なく皆さんの安心、無事の願いに沿うことです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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