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カルトについて

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2022.07.14









人権擁護委員の研修会で

今日は、人権擁護委員のブロックの会合と研修でした。
今年半期の取り組みの報告と、下半期の目標、予定等について。
それが済んでから、カルト教団からの脱会支援に尽力されている、八日市の瓜生崇氏のカルトについての講演を拝聴しました。
瓜生氏は、自身もカルトから脱会され、浄土真宗のお寺の住職となられ、経験を活かすのと使命感を持ってカルトから人々を助ける活動を精力的に行われていて、蓮通寺にもカルトの話ではないですが、布教使としてきていただいたことがあります。

カルトって?

カルトって聞いたことがあると思いますが、何のことでしょう。
ウィキペディアによると
カルト(仏;secret、英;cult)は、元来は「儀礼.祭祀」の意味を表す、批判的なニュアンスを持たない宗教用語であったが、現在では反社会的な集団あ組織を指す世俗的な異常めいたイメージが定着し、犯罪行為をするような反社会的な集団や組織を指して使用される。
語源は
「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語cultusから派生した意味である。フランス語(仏;cults)は、宗教の宗旨別を意味し、学術用語としてはカリスマ的指導者を中心とする小規模で熱狂的な死んじゃお集まりを指す。

と説明されているように、熱狂的で反社会的集団というように日本でも捉えられています。



外国でも

アメリカで有名なカルトといえば、ジムジョーンズという牧師が、純粋に人種差別はいけないという運動を進めて、ガイアナに「人民寺院」という集団で生活を行う場を作っていったのだが、1978年に900人の信者が集団自殺する事件が起こり、アメリカ合衆国で社会問題化して、マスコミが社会的に危険とみなされる宗教団体を指して報道で用いられるようになって、絶対服従やマインドコントロール、犯罪行為を行う反社会的な集団を指しようになっていった。



我が国では

我が国においては、平成二年頃、有名人らが統一教会信者の集団結婚式で取り上げられ、日本から半島に花嫁として渡り、苦労したり家庭内暴力で苦しめられても、木リスト教では離婚は許されないなどとして問題になったり、統一教会は信者に多額の寄進を強制したり、霊感商法と言ってなんでもない壺を物凄く高額で売りつけるのが大問題となり、信者の奪回、脱会を目的とした弁護士らによって、「反カルト」の動きが行われるようになりマスコミにより広められた。
その後に、松本智津夫率いる「オウム真理教」による、教団と対立した弁護士一家を誘拐して殺人した「堤弁護士一家殺人事件」、教団支部立退訴訟を担当する判事を殺害する目的で行われた「松本サリン事件」、教団への捜査と首都圏の混乱を目的にして、12人の死者と数千人の負傷者をだした「地下鉄サリン事件」(画像のもの)など、枚挙に絶えないくらいの事件を起こしたことが起こって、カルト教団は恐ろしい、社会にあだなすものとして認知されるようになった。

カルトに入る人

カルトに入りやすい人、入りにくい人があります。
入りやすいのは、私は大丈夫だと自信を持っている人で、そういう人は一番危ないよいうです。
又、ボランティア活動に尽くされて、人智ではどうにもならないことを眼にされた人もカルトに惹かれていきやすい様です。
片や、自分は入ってしまうかもしれないから気をつけなくては、と思う人は比較的大丈なことが多いようです。

カルト教団に惹かれるのは

カルト教団は、いい加減な無茶苦茶な教えで、人の悩みにつけ込んで洗脳し、マインドコントロールしてしまうのだと思う方は多いかと思いますが、オウム真理教を例に挙げれば、教義としてはお釈迦様」が開かれて直ぐの初期の仏教の教えと言って良いほど、純粋でしっかりした教えだったのです、だから京都大学、東京大学という凄く勉強して入学し、頑張っていた人が松本千津夫の、信を求めて集まってくる人達に対する一生懸命で真面目で的確な対応に惹かれて入信し、修行に励み、この教えが唯一正しくて他は間違ってい許せなくなるという認識を強くしていったから、教祖の言うことが間違った反社会的な事だったとしても、これこそが正しいのだと凶行にはしてしまったのです。

宗教は

宗教は、社会規範を乗り越えたところにあり、人間は神秘的なものに惹かれると言うこともありますが、又、人間は自分では決断するのが怖いのであり、決断できない、決断を躊躇うと言うことがあり、だから決断をしてもらうための宗教や占いに頼ることがあり、政治や日日の活動でも、自分で決められず占いをしたり、神のお告げを求めたり、新興宗教なら教祖の発言で行動を決定するのです。
だから、宗教は人々に100%間違いのない正しいと教えるのだから、既存の宗教もカルトや新興宗教に惹かれる以上に、人々を惹きつけていかなくてはならないのです。

まとめ

人々が間違いを起こすようなカルトに惹きつけられない様にするためにも、お寺は難しいもの、煩わしいものと思われない、気軽だけれど本当に安心ができ、ありがたいと言う感謝の気持ちが湧いて来るようになってもらえる入口として、恭敬の会の送骨である訪問預骨、永代経、永代供養があります。

恭敬の会

恭敬の会の送骨 訪問預骨

人々が間違いを起こすようなカルトに惹きつけられない様にするためにも、お寺はm難しいもの、煩わしいものと思われない、気軽だけれど本当に安心ができ、ありがたいと言う感謝の気持ちが湧いて来るようになってもらえる入口として、恭敬の会の送骨である訪問預骨、永代経、永代供養があります。

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