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バスの日、空の日

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2022.09.20

バスの日、空の日

今日は九月二十日、彼岸の入りの日です、それとともに「バスの日」と「空の日」でもあるのです。「バスの日」は昭和六十二年(西暦1987)全国バス事業大会で制定されました。「空の日」は、昭和十五年(西暦19400九月二十八日に「航空日」が翌年九月二十日に決定されてそれが定着し、戦後に「空の日」と改称されたものです。

バスの日

明治三十六年(西暦1903)九月二十日、京都のニ井商会が乗合自動車によって京都市内の堀川中立売と七条、そして祇園の区間を走ったのです。これが日本で初めての営業バスとされていて、このバスは蒸気自動車を改造した六人乗りで、雨風や砂埃を防ぐための幌はなかったようです。明治のこの頃はライバルの乗合馬車からの妨害や、車両が故障するといったことが起こって、翌年の明治三十七年(西暦1904)一月に経営破綻して営業を終え本格的な営業はなかなか難しいですかったようで、大正時代になると自動車の故障も少なくなって信頼性が高まって、全国的にバス事業が発展する初期の段階となっていきました。
昭和になると、地方の道路も整備されていき、路線も広がっていきました。
蓮通寺のある長浜市西浅井町の辺りを例に挙げると、昭和になって名古屋から大陸に向けての玄関である敦賀に向けて道路輸送を行えるようにする「名敦道路」が完成されて、西浅井がある旧伊香郡の中心の木之本から、乗合バスが走るようになりました、木ノ本駅から岐阜県境の山の中に向けての杉野線、長浜米原に向けての路線、名敦道路で開設された賤ヶ岳のトンネルを抜け琵琶湖岸を通り、塩津浜唐、敦賀に向かう敦賀線、塩津浜から蓮通寺のある岩熊(やのくま)を通り、月出峠を通って、永原に行き、今津に向かう琵琶湖線などが開設されていきました。昭和の初めまでは琵琶湖の舟運河が主な交通手段だったのが、バスが走るようになって便利になりました。鉄道の北陸線は昭和三十年に柳ヶ瀬を通るルートから塩津を通るルートになり、北陸線が通るようにはなりましたが、主力はバスでした。昭和三十九年(西暦1964)四月、私は木之本の幼稚園に入園し、毎日バスで通園してました。ある時賤ヶ岳のトンネルに手前で、その頃には珍しい渋滞が起こり、バスの運転手さんが窓から降りて様子を見に行く姿を目にして、何故だかかっこいいと思い、それから卒園するまで、幼稚園で描く絵はバスばかりでした。バスは地方でも、都会でも日常の足として発達し、なくてはならないものになっていったのですが、昨今は地方ではとくに乗客が減り、存続の危機となっていて、木之本から今津に向かう琵琶湖線という路線は無くなってしまいました。しかし、乗合(路線)バスは生活に欠かせないものですから、バスの日にそれを考えて、距離は短くなっても存続できる方法を考えなくてはならないのではないでしょうか。

空の日

明治四十三年(西暦1910)、代々木練兵場で徳川好敏、日野熊造の二名の陸軍大尉が動力飛行に成功してから三十周年、それと紀元二千六百年を記念して、昭和十五年(西暦1940)に制定された「航空の日」が翌年に九月二十日と決定され、定着していきました。敗戦後GHQが日本の航空産業を禁止し、この日も廃止されましたが、昭和二十八年(西暦1953)に復活し、平成四年(西暦1992)日本の民間航空再開四十周年を記念して、「空の日」と改称され、九月二十日から三十日の間を「空の旬間」とされました。日本の民間航空は昭和二十七年(西暦1952)に民間航空が再開されて以来、目覚ましい発展を遂げて、国民の生活にとって不可欠の交通機関となったのと、空港は地域発展の核となりました。
私は毎年十月に三回北海道に行くのですが、その中で二十一日から二十三日までいく知床の羅臼に行く際、中標津空港を利用するのですが、中標津は鉄道が廃止される時に空港を誘致し、それが活かされて周りの町より発展しています。また
、飛行機は、乗ってしまえば国内だったら2時間くらいで到着することもあり、移動の手段としては時間が節約できるのと、自動車に比べたら圧倒的に安全快適な乗り物だと言えます。北海道と東京を移動するのも千歳 羽田便は片道で50便ほどもあって、すごく便利です、片や他の空港からの便は、近畿からだとその半分くらいにはなるのですが、鉄道だと、新幹線で東京まで2時間半かけて行き、東北新幹線位に乗り換え4時間半かけて函館まで行き、函館からは4時間弱かけて札幌に着くのですから、11時間かかるのです。それが2時間でいけるのですから、よほど飛行機が嫌いでもない限り、2時間で着く方でみんな行くのではないでしょうか。というように飛行機は社会生活ではなくてはならないものとなり、空の日はそれを確認できる日ではないでしょうか。
あとは、空港までのアクセスが良ければ言うことなしになるのですが。蓮通寺から空港までは、飛行機に乗ってるよりも長い時間がかかってしまうのです。

まとめ

乗合(路線)バスも、飛行機も現代生活においては必要苦可決で、これからもそれは変わらないと思います。必要不可欠といえば、人が亡くなってお悔やみをし、お供養を行うことは必要不可欠です。昨今は親しい方が亡くなっても、葬儀を行わない、行えないもありますが、お供養のお勤めを行わず、そのまま荼毘にふし、お骨を送るだけということが行われ始められていますが、それは負担が大きい、煩わしいということをしたくないからかと思うのですが、それによって後で後悔してしまう人もおられるのです。「恭敬の会」は、そのように後悔することがないように、負担が少なく、煩わしいこともなく、お供養を行えるように、僧侶がお伺いし、礼拝の大将となる三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めし、お骨を預かって納骨いたします。
恭敬の会の送骨 訪問預骨 永代経、永代供養は、これから社会の必要不可欠のものになっていきます。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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