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七十二候の「霜降」十月二十三日

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2022.10.23

霜降

十月二十三日は二十四節気候の中の十八の「霜降」(そうこう)で、七十二候では五十二番目で、露が冷気によって霜隣降り始める頃のことで、楓や蔦が紅葉しはじめ、この日から栗東までの間に吹く北風を木枯らしと呼びます。

二十四節気

古代の中国の戦国時代に、太陰暦の季節がずれるのとは別に、季節を春夏秋冬の四等分する暦のようなものとして考え出された区分手法の一つで、一年を十二の「節気」(立春、啓蟄、晴明、立夏、芒種、小暑、立秋、白露、寒露、立冬、大雪、小寒)と、12の「中気」(雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪、冬至、大寒)に分類して、それぞれに季節を表す名前が付けられているのです。この二十四節気は中国の中華文明の発祥の地である黄河の中流域から下流域の平原の「中原」を中心とした地域の気候をもとにされたもので、日本の気候とは少し合わない時期や名称があって、梅雨や台風の時期があり、夏至は梅雨の真っ最中で蝉はまだ鳴かないし、小暑は蒸し厚くなってきてはいるのに、七夕を眺めるような晴れの夜空は期待できなく、暑中であっても地域によっては梅雨寒ともなるし、大暑は最も暑いのは日本では立秋の前後となって、これらのことを補足するために二十四節気の他に土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」という季節の区分けを取り入れたのです。

七十二候

二十四節気にさらに五日ずつの三つに分けたもので、立春を初侯(東風解凍、春風こおおりを解く)、次侯(黄鶯睍睆、うぐいすなく)、末侯(魚上氷、うおこおりをいずる)、雨水を初侯(土脉潤起、土のしょううるおいこおる)、時候(霞始靆、かすみはじめたなびく)、末侯(草木萌動、そうもくめばえいずる)、啓蟄を初侯(蟄虫啓戸、すごもりむしとをひらく)、次侯(桃始笑、ももはじめてさく)、末侯(菜虫化蝶、なむしちょうとなる)、春分を初侯(雀始巣、すずめはじめてすくう)、次侯(桜始開、さくらはじめてひらく)、末侯(雷乃発声、かみなりすなわちこえをはっす)、清明を初侯(玄鳥至、つばめいたる)、次侯(鴻雁北、こうがんきたへかえる)、末侯(虹始見、にじはじめてあらわれる)、穀雨を初侯(葭始生、あしはじめてしょうず)、次侯(霜始生、しもやんでなえいずる)、末侯(牡丹華、ぼたんはなさく)立夏を初侯(蛙始鳴、かわずはじめてなく)、次侯(蚯蚓出、みみずいずる)、末侯(竹笋生、たけのこしょうず)、小満を初侯(蚕起食桑、かいこおきてくわをはむ)、次侯(紅花栄、べにばなさかう)、末侯(麦秋至、むぎのときいたる)、芒種を初侯(蟷螂生、かまきりしょうず)、次侯(腐草為蛍、くされたるくさほたるとなる)、末侯(梅子黄、うめのみきばむ)、夏至を初侯(乃東枯、なつかれくさかるる)、時候(菖蒲華、あやめはなさく)、末侯(半夏生、はんげしょうず)、小暑を初侯(温風至、あつかぜいたる)、次侯(蓮始開、はすはじめてひらく)、末侯(鷹乃学習、たかすなはちわざをなす)、大暑を初侯(桐始結花、きりはじめてはなをむすぶ)、時候(土潤溽暑、つちうるおうてむしあつし)、末侯(大雨時行く、たいうときどきふる)、立秋を初侯(涼風至、すずかぜいたる)、次侯(寒蝉鳴、ひぐらしなく)、末侯(蒙霧升降、ふかききりまとう)、
処暑を初侯(綿泭開、わたのはなしべひらく)、次侯(天地始粛、てんちはじめてさむし)、末侯(禾乃登、こくものすなはちみのる)、白露を初侯(草露白、くさのつゆしろし)、時候(鶺鴒鳴、せきれいなく)、末侯(玄鳥去、つばめさル)、醜聞を諸侯(雷乃収声、かみなりすなはちこえをおさむ)次侯(蟄虫坯戸、むしかくれてとをふさぐ)、末侯(水始涸、みずはじめてかる)、寒露を初侯(鴻雁来、こうがんきたる)、次侯(菊花開、きくのはなひらく)、末侯(蟋蟀在戸、きりぎりすとにあり)、霜降を初侯(霜始降、しもはじめてふる)、次侯(霎時施、こさめときどきふる)、末侯(山茶始開、つばきはじめてひらく)、次侯(地始凍、ちはじめてこおる)、末侯(金盞香、きんせんかさく)、小雪を初侯(虹蔵不見、にじかくれてみえず)、次侯(朔風払葉、きたかぜこのはをはらう)、末侯(橘始黄、たちばなはじめてきばむ)、大雪を諸侯(閉塞成冬、そらさむくふゆとなる)、次侯(熊蟄穴、くまあなにこもる)、末侯(鮭魚群、さけのうおむらがる)、冬至を、初侯(乃東生、なつかれくさしょうず)、次侯(麋角解、おおしかのつのおつる)、末侯(雪下出麦、ゆきわたりてむぎいず)、小寒を初侯(芹乃栄、せりすなはちさかう)、次侯(水泉動、しみずあたたかをふくむ)、末侯(雉始鳴、きじはじめてなく)、大寒を初侯(款冬華、ふきのはなさく)、次侯(水沢腹堅、さわみずこおりつめる)、末侯(鶏始乳、にわとりはじめてとやにつく)の七十二に分けたものです。

まとめ

霜降は七十二候の中の一つですが、季節感をよく表していて、寒くなってきて霜が降り始める頃で、人は季節の移ろいの中で日々を過ごし、秋から冬に移っていくのを感じ、身体も冬に向けて準備していくのです。それとともに日が暮れるのも早まって、人生も暮れていくのを感じる人が多いでしょう。私の知り合いの御婦人も、秋は寂しいから好きではないと仰る方がおられますが、秋は寂しさが増して行く季節でもあるからそう仰ってたのでしょう。人生の暮れにさしかかると様々な事を感じて、それとともにこの後どうなるのかと不安になるのです。この不安を少なくすることが「恭敬の会」に課せられたことで、それは現世での役割が終えた時、ただ送られる送骨ではなく、僧侶がお伺いし、授与する三つ折り本尊の前で丁寧にお勤めし、それからお骨を預かり納骨するという、安心できる供養を行うことなのです。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、不安を取り除けるのです。 

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