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三月九日

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2023.03.09

三月九日は「ありがとうの日」

三月九日は、ごろあわせでサンキュウと読めて、英語でサンキュウすなはち「ありがとう」の日と言われるようになり、NPO法人が制定しました。
恭敬の会の送骨である、「訪問預骨」も、事情により葬儀が行えなかって、墓地や納骨堂にお骨を納められていない方々が、亡くなった人に対してありとうという感謝の気持ちを伝えるために、ただゆうパックでお骨を送るのではなく、僧侶が訪問して、礼拝の対象となる亡くなった方の画像と法名、俗名命日が脇に記された「三つ折り本尊」を授与して、その前でお勤めをしお骨を預かって本坊蓮通じの墓地に納骨し、懇ろに供養を行なっていくもので、感謝の気持ちのありがという気持ちを込めて行うもので、サンキュウという感謝の行いと言えます。

ありがとう とは

「ありがとう」とは、漢字では「有難うかっこと書かれ、形容詞である「有り難し」の連用句の「有り難く」の「く」の部分が「う」と発音されるようになったものです。「ありがとう」は、本来は「有ること」が「難しい」という意味を、持ってていて、滅多にないことや貴重であることを指すのです。その後、貴重であることに対しての感謝の言葉となっていき、現在では一般的なお礼の言葉として使われるようになりました。

世界のありがとうを表す言葉

英語ではThank You(サンキュー)
Thank((感謝する)の古英語のthancianと、think(考える、思う)と同じ古英語のthenanの語源は同じだと言われていて、Thank you は、「貴方のっことを想っている」という意味から感謝の言葉として使われるよになりました。
中国語では謝謝(シェイシェイ)
「謝」は「言」に「射る」と書いて、「射る」は、矢が放たれて緩んだ状態の弓を表していて、言いたいことを口に出すと緊張あ緩むことを指するのであり、感謝したい気持ちを伝える言葉としえt、謝謝が使われるようになっていきました。
フランス語ではMerci(メルシー)
Merciの語源は、ラテン語のMERCES EDIS (慈悲)で、「弱者に対して親切にする」といった慈悲、哀れみっと言った意味を持っていて、感謝するときに使われる言葉に変化していったものです。
スペイン語ではGRACIAS(グラシアス)
GRACIASの語源は、ラテン語のGRATUS(喜び、心地よさ)から派生したGRATUS(好意)という言葉で、喜んでいることや相手に好意を持っていることを伝えるために、感謝の言葉として使われるようになっていきました。
ドイツ語ではDANKE(ダンケ)
DANKEは日本語での「考える」という意味を持っていて、DANKEN(考える)が語源とされていて、「相手のことを考えたり想ったりする」気持ちを感謝の言葉としてつ変わるよにうになったのです。

感謝とは

「感謝」とは、優しさや贈り物、手助け、好意やその他に厚情を受けた人物が、それらを施してくれた相手に対して示す気持ちやその感情を表す反応です。
感謝の経験は、歴史的に幾つかの宗教的世界の焦点となっていて、それは古代、中世、近代の哲学者にとっても興味深い題材で、現代の哲学者も関心を寄せ続けてます。心理学における感謝の体系的研究は、西暦1998年にマーティン、セグリマンが「ポジティブ心理学」という新しい心理学の一分野を紹介したことから始まって、心理学における感謝の研究では、感謝という感情の短期的な経験(状態的感謝)、感謝を感じる頻度お個人差(特性的感謝)、これらの二つの側面の関係性、さらには感謝の治療的効果などが理解されています。
感謝は「恩義(義理を含んだ恩返しの気持ち)」とは同じもではなく、感謝も恩義の感情も施しを受けた後に生じるものですが、恩義は援助の対価として何らかの返済義務があると認識したときに生じるものです。この感情は様々な行動につながっていて、恩義を抱くことは援助を受けた人が、援助者を避けるような動機にもつながるもですが、その点において感謝の気持ちは援助者を探して関係を改善しようとするおといった動機になることがあるのです。

仏教でのありがとう

感謝の気持ちを表す「ありがとう」は、『法句経』の一節に「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」とあり、人として生まれたことの「有り難さ」と命の尊さを伝える言葉が語源だとする説があって、人間として生まれたことの「有り難さ」を釈尊は「盲亀浮木(百年に一度海面に浮上する目の見えない亀が、大海を漂う一本の流木に開いた穴に偶然頭を入れるくらいに滅多に起こらない事)に例えられ、弟子方に説かれる話が、『涅槃経』や『譬喩経』にあって、いずれもこの世に生を受けたこと自体が「有難い」喜びであり、そのことを感謝しましょうという教えです。また、ありがとうという気持ちを行動で表す実践として金銭がなくても実行できる1、優しい眼差しで人に接する「眼施」。2、にこやかな顔で人に接する「和諺悦色施」。3、優しい言葉で人に接する「言辞施」。4、自分の身体でできることを奉仕する「身施」。5、他のために心くばりをする「心施」。6、席や場所を譲る「床座施」。7、自分の家を活用してもてなす「房舎施」の「無財の七施」で周囲に喜びを与えなさいという教えが『雑宝蔵経』で説かれているのです。

まとめ

恭敬の会の送骨の「訪問預骨」は、仏の教えのでありがとうの感謝に気持ちを表す「無財の七施」と同じっことで、いろいろな事情で供養が行なって来れなかった方々のために、自分がこの世に生まれさせていたさいたことを感謝するために、負担が少なく、煩わしいことがなく供養が行え、有難うの心で供養を行えるもので、このサンキュウの日を契機として進めていくことが一番の供養にあり、感謝の念を表すことになるのです。

送骨 訪問預骨 恭敬の会

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