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不惜身命について

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2022.07.20

不惜身命とは

平成六年 相撲の貴乃花関が横綱に昇進する時に「今後も不撓不屈の精神で、力士として不惜身命を貫く所存でございます」と口上しました。学者たちの中では若い人が古風な言い回しをしたと感心していたことがあります。
「不惜身命」(ふしゃくしんみょう)とは、『法華経』の「譬喩品」にもでてくる言葉で、仏法を広めるためや、衆生を救うために自己の身命を惜しまないということで、浄土の教えの七高僧の善導大師の記された『法事讃』には「身命を惜しまざれば須曳に即ち到る」や「身を惜しまずして釈迦諸仏の恩を慙愧すべし」と乗っていて、親鸞聖人のお弟子の唯円坊は『歎異抄』で「身命をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こころざし」と述べておられます。

身命を惜しまず

貴乃花関は、先代の大関貴乃花の次男として生まれ、子供の頃から相撲を一生懸命がんばって稽古に励んで、とんとん拍子に昇進して第65代横綱になって相撲に精進した、平成十二年の夏場所で、右膝を怪我しながらも優勝決定戦で、最後の力を振り絞って渾身の投げで武蔵丸関を破り、優勝したのであるが、その時の形相が相撲の鬼の形相であったと言われ、時の小泉総理も「痛みに耐えてよく頑張った 感動した」と称賛されました。
横綱に昇進するときの「不惜身命」の身命を顧みずという言葉がまさに当てはまると
言えるのではないでしょうか。

仏法を広めるために

中国の唐時代、揚州の江陽県に生まれ十四歳で得度され、十八歳で菩薩戒を受けられ、律宗、天台宗を学ばれ南山立秋の継承者となり、四万人とも言われる人々に授戒を行われたのであるが、西暦742年遣唐使とともに日本から渡って聖武天皇の命を受けた栄叡、普照の二人の僧から、日本には自分だけで出家したと表明する私度僧が多く、戒律(新たに僧侶となる時、自分に誓う「戒」と、僧侶の集団である僧伽(さんが)の中の規則の「律」)を授ける伝戒師がいないので、戒律を日本に伝えて欲しいと懇願されて、日本に渡ることになって、西暦743年に最初の渡海に乗り出されたのだが、渡海を邪魔されてしまい失敗になった。次からは嵐に遭ったり邪魔が入ったりしてして五回も失敗し、六回目の西暦753年にやっと日本に渡ることが叶ったのです。その間に鑑真和尚は失明されるということまで起こってしまいましたが、早速太宰府の観世音寺の隣の戒壇院で初めての授戒を行われ、翌年の西暦754年に奈良の都に到着され、聖武上皇以下臣民の歓待を受けられ、孝謙天皇の勅命で戒壇の設立と授戒を一任されて、東大寺に住され大仏殿に戒壇を築かれ約400名の人々に菩薩戒を授けられたのです。その後唐招提寺を創建され西暦763年に遷化されました。
鑑真和尚も、身命を惜しまず仏法興隆のために尽くしてくださり、不惜身命の最たるものです。

現在の仏教でも

比叡山延暦寺では、「千日回峰行」と呼ばれる天台宗の回峰行があって、それは「悟りに近づくために課していただくことを理解するための行」で約千日の間修行を行うのです。先ず授戒を受け作法と所作を学び、「初百日満行」入り、そのあと七年間の間の一年から三年目は一年のうち連続百日、四年から五年目は一年のうち200日行います。無動寺でお勤めしたあと午前二時に出発して、真言を称えながら東塔、西塔、横川、日吉大社の260箇所をお参りしながら、約30キロを巡拝します。もし途中で続けられないようになったら自害するのです。五年700日を満行できたら、最も過酷な行である「堂入り」が行われます。堂入りの前に今の言葉で言うと生前葬の、「生き葬式」を取り行ってから、無動寺明王堂で足かけ九日間の断食、断水、断眠、断臥の四無行に入り、真言を称え続けなくてはならないのです。堂入りを満行師、堂下がりをすると阿闍梨となる。六年目はそれまでの行程に赤山禅院への往復が加わり、一日60キロの行程を百日続ける、七年目は200日続け満行して後に、米、麦、栗、豆、稗の五穀と塩、果物、海草類を百日間摂取しない「五穀断ち」を師、「十万枚大護摩供」を行って、京都御所に参内しておえるのです。

不惜身命を全ての人が

今は大きくて早い飛行機で空をひとっ飛びできるし、大きな船で安全東シナ海を渡ることができるが、鑑真和尚のように小さな船で凄く危険なか、それを顧みず仏の教えを伝えるため、戒を伝えるためと不惜身命で渡ってきて下さったようなことは出来ないし、貴乃花関のように、一つのことに身命をかけて行うことはなかなか出来ないし、千日回峰行を満行された阿闍梨さんのようには出来ないのです。それでは我々のような一般人は仏様の教えを守りそれを成し遂げることが出来ないのです。そんな我々一般人のために、阿弥陀如来の教えがあり、現世においては往生することが定まって退転することのない位にさせていただいて、現世での命が終わったらすぐさま往生浄土させていただけ。悟りを開かせていただき成就できるのです。

まとめ

たとえ一度なりともお念仏を称えたなら、往生浄土が決定し、この世の命が尽きるまでは自分に与えられたことをできる限り全うできるようにして、日々を過ごし、報恩感謝の御念仏をすることができるきっかけとして、恭敬の会の活動があるのであって、その入り口が 恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養なのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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