Blog ブログ

中秋の名月

ブログ

2022.09.10

中秋の名月について

今夜は「中秋の名月」です。
太陰暦である旧暦の八月十五日、今年は太陽暦の新暦では九月十日は「中秋」といって、旧暦では七月から九月までを秋としていて、その秋の真ん中を中秋といって、一年を通じって月が最も美しい時期とされていて、平安の貴族たちは中秋の名月に月を眺めて和歌を詠む「観月の宴」を催して楽しんだのです。

月について

夜空を見上げて見える月は、いつ見ても美くしく、我々の目を楽しませてくれるのですが、なぜか昔から秋の月は美しいと言われています。それは、秋の空気と月の適度な空における高度が関係しているようなのです。秋の空気は水分量が春やんつに比べて少なくて乾燥しているのです。そのために澄んだ空気が月をくっきりと夜空に映し出すのです。また、月は冬に近づくほど空の高い位置を通って、夏は反対に空の低い位置を通るのです。また、春は地上の埃などで月が持っている本来の明るさが霞んでしまうのです。そのために、空気の水分量、大気の状況と月の空における高度の条件が揃って、お月見に相応しいと言われてきたのです。

今年の中秋に名月は

中秋の名月は、旧暦に八月十五日で、新暦になった現在では九月から十月となります。風が心地よくなり虫の鳴き声が聞こえてくる頃になります。令和四年の中秋の名月は九月十日となって、秋分の日の十三日前で、秋というよりは残暑の中といったほうが良いかもしれません。一昨年の令和二年は十月一日で、昨年の令和三年は九月二十一日で、年によって2週間以上の違いがありますが、これは月を満ち欠けを元とした太陰暦の旧暦によって中秋の名月が決められるということから違いが現れるのです。

中秋の名月の歴史

中秋の名月を楽しむという風習は、中国の唐の時代の記録にも載っていて、それが平安時代に日本に伝わり、貴族の間に広まっていったのがお月見の始まりとされています。紫式部の『源氏物語』にも「月の宴」と呼ばれる供物を供えて詩歌管弦を奏でる宴が行われることが記されています。月の宴は『平安朝の年中行事』によると、島田忠臣の『田氏家集』に収められた「八月十五夜宴月」「八月十五夜惜月」などと題がつけられた漢詩があって、それが文献上で初めて表れます。文徳天皇の御代から唐の観月の風習に倣って中秋の名月を愛でて漢詩を詠む宴を催されるようになったとされています。宮廷の行事としては、『日本紀略』延喜九年(西暦909)の、記事が最初とされていて、その後宮中の行事として定着していき、村上天皇が康保三年(西暦966)八月十五日の夜に清涼殿で催された「前栽合わせ」を伴っての月の宴は有名で、その様子は『西宮記』にも記録されていて、『栄花物語』巻一の巻名の「月の宴」も、この宴の記事が由来となっています。それ以降、宇田天皇、醍醐天皇の御代では恒例の盛儀ではなく、詩歌管弦の遊宴の性格が強かったようで、このような月の宴の位置付けは『西宮記』には、八月の年中行事を記した巻五にはその記載がなくて、臨時の儀式を記した巻八に「宴遊」として康保三年の前栽合わせの記録が記されています。
平安時代の貴族が中秋の名月を詠んだ和歌としては
藤原顕輔の「秋風にたなびく雲のたえ間より もれ出づる月のかけのさやけさ」
寂超の「天つ空 今宵の名をば惜しむらん 月にたなびく浮雲もなし」
源公忠の「いにしへもあらじとぞ思ふ秋の夜の 月のためしは今宵ないけり」
と詠っています。 


十五夜との関係

月は新月から満月までを十五日かけて満ちていくのであり、新月の日から数えて十五日目の夜を十五夜と呼ぶのです。十五夜は秋だけでなく旧暦の十五日の夜を全ていうのであって、中秋の名月の旧暦八月十五日の夜だけを十五夜というのではありません。

中秋の名月の楽しみ方

中秋の名月には、月見台にススキを飾り、月見団子を供え、「芋名月」とも言われることから里芋やさつまいももお供えします。
芒(すすき)は、神様の依代として考えられていて、稲穂が実る前なので、稲穂に見立てたすすきが選ばれたという説があり、すすきの鋭い切り口が魔除けになるとされて、お月見の後に軒先に吊るしておくという風習のところもあります。
月見団子は、農家の人たちは昔は月の満ち欠けで時の流れを計って、季節の変化を感じ取って農作業をしていました、秋になると作物の収穫の時期で、月が満ちる姿を模した丸い団子は、豊作への祈りや感謝はもちろんのことで、物事の結実や幸福の象徴灯されて、お供えした後の団子を食べることで、健康っと幸福を得られると考えられているのです。
関東では白い丸い月見団子ですが、近畿では月見団子は、里芋に見立てた形をしていて、月にかかった雲やきぬかつぎの皮を表した餡が乗せられています。
また中秋の名月は「芋名月」とも言われ、中秋の名月の時期が里芋やさつまいもの収穫の時期に当たるので、「芋名月」とも言われて、方策を祝う祭りとしての意味も込められているようです。

まとめ

中秋の名月は太陽暦の新暦になってから毎年変わるのと、平日が多いのと、今は月を愛でるという心の余裕がなくなっていることから、一般の家ではなかなか月見の飾りをして月を愛で季節を感じることが少なくなってしまいまいした。このことは人々が
自然に対しても感じて愛でるということができなくなってきたからかもしれないのと、今は便利ですぐに自分だけで楽しむことがあまりに多いからかもしれませんね。
しかし、それは目先のことであって、継続すること次の世代に受け伝えられることではなく、そのばしのぎでしかないのでしょう。それでは虚しく寂しいことになってしまうのではないでしょうか。このことはなくなった方に対することや、先祖に足しることでも同じだと思います。「恭敬の会」では、目先のこだけを考えておこなって送るだけの送骨をしてしま、」い、後で寂しさを感じることのないように、訪問し礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、丁寧にお勤めしてお骨を預かり、納骨いたします。恭敬の会の送骨 訪問預骨 永代経、永代供養は、自然を愛でて自然を楽しむことを大事にすることと同じなのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

この記事をシェアする