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乗り物について

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2022.07.22

日本の乗り物について 

久しぶりに自分で運転する自動車以外の乗り物に乗って出張することになりました。
そこでふと、日本には昔からの乗り物って何があったのかとおもい、調べてみました。
人が作った乗り物以外で初めに乗ったのは馬ではないでしょうか。
縄文時代に馬に乗ったかどうかはわかりませんが、弥生時代以降になると馬型埴輪が残っているように、馬は使われていたでしょいうし、乗っていたとも考えられます。

騎馬戦 

少し時代が下り国も概念ができると、戦の折なんかでは馬に乗って戦う騎馬戦が行われていきました。
(画像は騎馬武者の絵)

輿

武者や単独での移動には馬に乗って移動したでしょうが、神様や上位の人達は腰に乗られたと思われます。
神様の腰を神輿と言い、天皇が行幸の際に乗られるのを鳳輦(屋根の上に鳳凰がある)、略儀に行幸では葱花輦(そうかれん、屋根の上に玉葱の形ににた宝珠がある)、肩で担ぐのを「輦」と言い、腰の辺りで担ぐのを「腰輿」(ようよ)という(現在、葵祭で斎王代が乗るのを「およよ」と言っているが、肩で担ぐので腰輿の本義からは外れているようです)、他には「網代輿」(あじろごし)、「四方輿」(しほうごし)、「板輿」(いたこし)、「小輿」(しょうよ)、「塗輿」(ぬりごし)などがあります。

牛車

平安時代になると、貴族が牛車(ぎっしゃ、ぎゅうしゃと呼ぶ殿は荷物を運ぶ車になります)に乗るようになります。牛車にも種類があり、一番格も高いのは「唐車」(からくるま)で、葵祭の時に行列で出る牛車で、葵祭では本物の斎王(内親王か女王)は居られないから、誰も乗せないですが、最奥の乗り物なので唐車です。
次は「糸毛車」(いとげぐるま)で、絹の縒糸で屋形全体を覆い、その上から金銀の文様を飾った車です。
次は「半蔀車」(はじとみぐるま)屋形の横にある上に押し上げる半蔀になっている車です。
次は「八葉車」(はちようぐるま)屋形の袖に八つの葉の装飾文様が付けられた車です。
などの種類があって、位によって乗れる車が決まってました。

駕籠

江戸時代になると、「駕籠」が主流になりました。
「乗物」(のりもの)武家、公家、僧侶の乗る駕籠を乗り物と言いました。
蓮通寺に「乗物」が残っています。
「法仙寺駕籠」(ほうせんじかご)医者、小身の大名、金持ちの商人などが乗ります。
「あんぽつ駕籠」庶民が乗ります。
「四つ手駕籠」庶民が乗ります。
「山駕籠」庶民が乗ります
などの種類がありましたが、明治になると人力者ができて、駕籠は衰退していきました。

人力車

明治になると人力者が発明され、大正から昭和の初期まで広く利用されたのですが、自動車や鉄道が普及していき減少して、今では観光の乗り物として僅かに残っているだけです。

自動車

自動車は西暦1769年にフランスのニコラ、ジョゼフ、キューニョーが製作した蒸気機関の「キューニョーの砲車」が最初だとされ、その後イギリスやフランスでバスとして用いられるようになり、西暦1870年ジークフリート、マルクスによって初めてのガソリン自動車が発明され、西暦1876年ゴットリーブ、ダイムラーが液体燃料のガソリンエンジンを改良して、西暦1885年カール、ベンツが自動車を販売したのです。西暦1908年アメリカのフォードがT型フォードを発売して富裕層だけだっったのが体臭にも拡大して行ったのです。我が国でも輸入されそれが国産自動車に結びついていきました。戦後になりGHQの統制が解かれ
ると日本の自動車業界が活発になっていき、昭和四十年代になると名神高速道路の開通を契機としてモータリゼーションが進んでいき、自動車の輸出も盛んになっていき、
今では世界一の自動車生産国になったのです。国民の収入も増え消費が爆発的に増大して自動車も一家に一台から、地方では1人に一台くらいと思われるほど普及して、自分の好きな時に移動できるようになりました。

鉄道

18世紀後半、イギリスで蒸気機関を中心として産業革命が起こり、蒸気機関車が牽く客車、貨車が運行されるようになり、日本でも明治維新になって導入されましたが、日本は山が多く平地が少なくが曲がりくねって敷設しなくてはならないという条件を考慮されたのか、イギリス、フランスなどで採用されている標準軌(1435mm)ではなく、狭軌(1067mm)で敷設されたのです。それでも、江戸時代は江戸から大阪まで行くのに歩きということもあり、2週間程かかりました(速飛脚でみ3日くらい。それが鉄道だと20時間ちょっとでいけるよいうになり、大幅に短縮できるようななり、大正時代には12時間、昭和の戦前で9時間、昭和の電車特急こだま号が走るよになって6時間50分、新幹線が開通して3時間10分となり、現在では最短2時間20分と短縮れ、本当に便利になったのと、1時間に十二本以上の新幹線が走っていて、驚異的であり、これが日本の経済成長を進展させたのだと思います。

海外に行くには

船によって海を渡っていきました。
奈良時代の遣唐使船は、船事態も大きくなく凄い危険を冒して中国まで行っていました。それから江戸時代までは大差のない船だった音、幕府n鎖国政策により、海を
渡ることがないので、さほど進歩しなかったもですが、幕末の開国によって助汽船が導入され、諸外国と交易をすることになり、船もより大型化されていきました。一度に沢山の荷物や人を履こうことができ、何年とかかかってよその国に渡ったのが、ひと月とかに短縮され、国同士の交流が活発になりました。
今でも貨物の主流は船です。

飛行機ができて

戦後になると、飛行機の発展がめざまし、船で一月とかかかっていたのが、ジェット旅客機だと、日本からヨーロッパに行くのも、12時間から13時間でいけるようになり、世界が益々身近になってきました。
おまけに料金も手ごろになり、国の垣根を超えての交流が、考えられないくらい盛んになりました。

仏教でも乗り物があります

それは、仏様の教えに出会うのに、すごく時間をかけてもの凄く苦労をして、しかもひょっとしたら振り出しに戻ってしまうどころか、苦しみの世界に落ちてしまう恐れもあるのです。
それは、以前はインドからスリランやミャンマー、タイに伝わった仏教(南伝仏教、上座ぶ仏教)のことを「小乗仏教」と申して、小さな乗り物に乗るようなもだと言っていたのです。
それに対して、中国から日本に伝わった北伝仏教のことを、大きな乗り物にのって、皆んなが救われる仏教「大乗仏教」と言っていたのです。
仏様の教えを乗り物に喩えたのでしょうね。
上座部仏教では、修行を積んで人間に生まれ変わり、それを繰り返し弥勒菩薩によって悟りを開かせていただくもので、とてつもなく強い意志と考えられないような時間がかかるのです。それに対して大乗仏教の至極とまで言われる浄土の教えは、たとえ一度だけでもお念仏を称えたなら、今生きている世で、悟りの世界に生まれることが確定し、この世での命が尽きたら瞬時に極楽浄土に往生し、悟りを開け仏となれるもです。
乗り物で例えたら、歩いて江戸から大阪に行くのが、新幹線で2時間ちょっとでいける、よりも早いのでしょうね。
そんな乗り物なら乗って見たいですよね。

まとめ

そんなに速くて楽で一瞬にしていける乗り物(お念仏の教え)に出会うのも、難しくない、費用が高くない、後の人たちに心配お変えずに済むという、大乗の極地中の極地と思える恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養なのです。

恭敬の会の 送骨 訪問預骨

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