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体育の日

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2022.10.10

体育の日

十月十日は「体育の日」です。昭和三十九年(西暦1964)十月十日、東京オリンピックが開催され、それを記念して昭和四十一年(西暦1966)に「体育の日」として制定され、ずっと十月十で、各地の学校の運動会もこの日に行われることが多かったのですが、平成十二年(西暦20000以降ははハッピーマンデーとして十月の第二月曜日とされることになり、平成三十年(西暦2018)六月二十日に国民の祝日に関する法律が改正され、令和二年(西暦2020)一月一日に施行され体育の日が「スポーツの日」に変更されました。スポーツの日の趣旨は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」というものです。

体育の日の制定、沿革

昭和三十六年(西暦1961)に公布されたスポーツ振興法では、十月の第一土曜日を「スポーツの日」に制定していて、昭和三十九年(西暦1964)十月十日、東京オリンピックの開会式が行われて、昭和四十一年(西暦1966)、十月十日を「体育の日」と定めて国民の祝日とし、これに伴ってスポーツ振興法で定められたスポーツの日は体育の日に改められました。それが平成十二年(西暦2000)唐はアッピーマンデーによって十月の第二月曜になりました。その後超党派の国会議員で構成されているスポーツ議員連盟によって、平成二十八年(西暦2016)に「体育の日」を「スポーツの日」に変更するための検討会が始められ平成二十九年(西暦2017)れえお市政法案の国会提出の準備がされ、スポーツは体躯より広い意味を持っているので、自発的に楽しむことを含意するということが変更の理由とされたのです。平成三十年(西暦2018)六月十三日に改正祝日法が参議院本会議で可決、成立して、令和二年(西暦2020)一月一日付けで「体育の日」は「スポーツの日」へと改められることが決定し、またその趣旨も体育の日の「スポーツをしたしみ、健康な心身をつちかう」唐、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力のある社会の実現を願う」に改められました。スポーツの日は初めてカタカナを使った祝日で英語の名称による祝日でもあるのです。
「体育」を「スポーツ」に改める動きは、スポーツの日に限ったものではなく、平成三十年(西暦2018)四月一日に、日本体育協会が日本スポーツ協会に名称を変更し、改正祝日法と同時に可決され成立した改正スポーツ基本法では、「国民体育大会」を令和五年(西暦2023)からは「国民スポーツ大会」に改称することが決められています。




東京オリンピック

体育の日が制定されるきっかけとなった昭和三十九年(西暦1964)「東京オリンピック」は、最初は昭和十五年(西暦1940)の東京オリンピックが日中戦争によって中止され、昭和三十五年(西暦1960)オリンピック夏季大会の開催地に立候補したのですがローマに敗れ、昭和三十四年(西暦1959)西ドイツのミュンヘンで開かれたI OC総会の投票で、アメリカのデトロイト、オーストリアのウイーン、ベルギーのブリュッセルを抑えて開催地に選出され、昭和三十九年(西暦1964)に開催され、アジアで初のオリンピックが開催されました。
十月十日が開催式で十月二十四日までの十五日間にわたって競技が行われました。このオリンピックに際して、国立競技場が大規模に改修され、バックスタンドが増設され収容人員が大幅に増え、開会式、閉会式、陸上競技のメインの会場として使われました。駒沢には国立競技場に次ぐ第二会場として、弓道場以外の陸上競技場、体育館、屋内競技場、野外の第一競技場、第二競技場、補助競技場が整備され、サッカー、レスリング、バレーボール、ホッケーの会場として使われました。皇居の北の丸には東京大会から競技になった柔道の競技会場として日本武道館が建設され、オリンピック以降はビートルズのコンサートに使われたり、国葬の会場や戦没者慰霊式に使われるようになりました。渋谷区の代々木には国立代々木競技場として、第一体育館(代々木オリンピックプール)、第二体育館、屋内プールが建設され、競泳競技、バスケットボールに使用され、丹下健三氏が設計した吊り橋と同じ構造を持つ屋根全体が吊り下げられる内部に柱がな構造で、観客を競技に集中させるために考案され、上から見ると貝が二つくっついているような独特な形をしていて、デザイン的にも極めて優れていて国の令和三年国の重要文化財に指定されました。代々木には在日米軍の施設で全面返還されたワシントンハイツ内の独身士官向けの宿舎を整備して選手村も建設されました。初めて我が国に沢山のスポーツ選手が来て、暮らして開会中は60万色にも及ぶ食事をするので、アジア中東選手向け「富士」、欧米選手向け「桜」、女性専用の三つの食堂が設けられ、日本全国から料理をする調理師が集められ、これによって、日本の料理の質が向上し均一化したとも言われています。
このオリンピックを契機として、インフラも整備され首都高速度道路、東海道新幹線も建設整備されました。

まとめ

体育の日(スポーツの日)の十月十日は、日本では特異日で、雨が降ることが極めて少ない日ということと、秋になって暑くなく気候が良いことで選ばれました。日本でオリンピックを開催背うるなら、この日が最適と思われ、昨年の東京オリンピックも良い気候で行うなら、十月十日が最適だったのですが、オリンピック委員会の都合で梅雨の末期で蒸し暑い七月下旬に行われ、コロナ禍で一年延期され無観客で行われたことと合わせて残念だと思います。しかし競技は盛大に行われて記録も伸びて良かったです。体育の日はスポーツを通して、他者を尊重し健康な体と活力のある社会を願うという目標に向かって全ての人々が心をよせるきっかけとすることが大事で、他者を尊重する精神を培うのは、信仰することにも必要なことです。それは自分が信じている宗教だけが大事で、それ以外はぢ時にしなくて良い、というのでは軋轢が生まれ、対立していき争いが起こってしまうのです。仏の教えは他者を尊重し互いを認め合い慈しむことが一番大切なことで、それが安心に繋がっていくのです。「恭敬の会」は、尊重して安心していただくために、ただお骨を送るだけでなく、僧侶がお伺し礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めして、その後にお骨を預かって納骨し供養いたします。それは亡くなった方を尊重し、依頼される方も安心していただけるものなのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、体育の日の精神を大事にするものです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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