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供養について 1

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2022.07.03

供養とは 前編

供養は「敬意をもって懇ろにもてなすことで、「供給資養」を略した仏教の言葉です。
昨今は「供養」という言葉だけが独り歩きして本来の意味から離れた使い方をされることが多くなってます。
一般的には「亡き人のために何か施しをしたり行動をすること」と解釈されています。
しかし供養にも色々あい、追善供養、讃嘆供養について取り上げます。
仏教を大きく分けると「聖道門(しょうど右門)と「浄土門」に分けられます。
聖道門とは、自らの力で修行して自らの力で悟りを開き、自らの力で仏となる教えです。
聖道門には次の世で浄土に生まれ、浄土にて悟りを開くという「来生の開覚(らいしょうのかいかく)という考え方が無く、あくまでも今生きている世「今生(こんじょう)での悟りを目指します。
今生で悟りを開けなければ、修行をするのと善行を積んでこの世での命が終わった後
次の世で人間に生まれ変わり、また一から修行して悟りを目指します、それでも悟れ無かった場合は、また次の世で人間にうまれかわり修行を行うのです。
この世で生きている間に一つでも悪業(悪口を言う、妬みの心を持つ、その他のこと)をしてしまったら次の世で人間に生まれ変われないかもしれえません。
それで「難行道」とも申します。
これに対して「浄土門」とは、聖道門が限られた人しか行けない険しい陸路の山道を
進むようなものに対して、阿弥陀様の本願(全ての人を救うと誓われた願い)におまかせして誰もが平等に救われる、険しい陸路の山道に対し楽に舟に乗って渡らせていただける、難しくなく易しい「易行道(いぎょうどう)」です。
聖道門は、道を行けない人は迷いの世界から抜け出せないでるのに対し、浄土門は、一人も漏らさず救い取ってくださる、たとい悪行を積んでも阿弥陀様のお慈悲によって浄土に参らせていただくのです。

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