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供養を行うことについて

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2023.05.20

供養を行う

我々は、古来より人が亡くなったら弔いを行い、供養して埋葬することを行なってきました。それは洋の東西、宗旨宗派を問わず行われてきたのです。それが最近日本では弔いもせず、供養も行わず、埋葬もしないということが発生するようになってきたのです。それは葬儀を行うのに費用が沢山かかったり、法名、戒名を授与されるにも多額の礼金が必要な場合が多い、供養を行うにも多額のお布施がかかる、といったことから、そのようなことはせずに、亡くなったら24時間過ぎたら火葬し、お骨をただ郵便で送るだけの「送骨」、山や海、野にお骨を撒く「散骨」、酷い場合はお骨を電車にわざと忘れるということがされるようになってきました。それではあまりにも亡くなった方が可哀想で、これを無くすにはどうすれば良いのかということで行われるようになったのが「恭敬の会」の「訪問預骨」です。

昔から行われてきた弔い

日本において古来より行われてきた「弔い」は、神話の時代には、イザナギの命、イザナミの命が国造の後に、イザナミの命が火の命を産み落とされる時の火傷が元で亡くなられ、血の底にあると言われる「黄泉の国」に行ってしまわれ、寂しさのあまりイザナギの命は、黄泉の国のイザナミの命に会いに行かれ、みてはならないというイザナミの命n言いつけを破られ、醜く爛れた姿を見てイザナギの命は逃げ出され、それに怒ってイザナミの命はおいかけ、なんとかそれから逃げおおせて、禊をされ天照大神などが誕生してこられたということから、死は「穢れ」ととらえられてきました。それでなその名残として葬儀の後に「清めの塩」を持って帰って穢れを清めたり、火葬場にいった後の帰り道は行きとは少し道順を変えて、不幸がついてこないようにしたり、といことが行われてきました。また「冥福を祈る」ということが行われてます。

鳥葬

日本では現在行われていませんが、チベットでは今でも「鳥葬」が行われていて、葬儀に相当する儀式を行うことで魂は解放され、魂が解放された後の肉体は肉の抜け殻に過ぎないと考えられて、死体を郊外の荒地に設置された鳥葬台に運び、それを裁断して断片化死ハゲワシなどの鳥類に食べさせるのです。これは死体を断片化させることで血の匂いを漂わせ、鳥類が食べやすいように吸うもので、骨などの食べえのこしがないようにするもので、これは宗教上は魂の抜け出した遺体を「天へと送り届ける」ための方法として行われていて、鳥に食べさせるのはその手段で、多くの命を奪ってそれを食べることによって生てきた人間が、せめて死後の魂が抜けた肉体を他の生命のために布施しようとする思想でもあるのです。

キリスト教の葬儀

キリスト教の葬儀は、プロテスタント、カトリックによって多少の違いがありますが、神に召されるということは同じです。
プロテスタントでは、故人は神のもとで安らかになるという考えであり、神に捧げる祈りが中心となり、神に感謝し、遺族を慰めることに重きをおいて式が進行し、納棺されてから、聖書の朗読、讃美歌斉唱、牧師の説教を行って、葬儀と告別式は分けずにお行われ、その後に墓地で埋葬(土葬)されます。最近では火葬されることも行われる場合もあります。
カトリックの葬儀は、神に故人の罪を詫びて許しを乞い、永遠の命を得られるように祈ります。納棺されてから、聖書朗読や神父による説教を行う「言葉の典礼」と、パンや葡萄酒などを祭壇に奉納するミサが中心となっていて、聖歌に送られて献花等も行われ、その後墓地で埋葬(土葬)します。最近では火葬も行われることもあります。

イスラム教の葬儀

イスラム教ではキリスト教のように、死者の復活を信じられているために、キリスト教では西暦2016にローマ法王庁が火葬を認めましたが、生前の肉体を失うことは禁じられていて、遺体は土葬されます。それはコーランに「現世を罪深く過ごした人間は、地獄の炎で焼かれる」と記述があり、遺体を焼く火葬は地獄のイメージと重なるためにされません。死は人生の終焉ではなく、実際には現世の行いがそのまま反映する来世が存在し、親類や友人が故人お家に集まり、残された家族を慰め、棺に収められ、葬儀の礼拝あ行われるとこりにはこばれイマームによって儀式がとり行なわれ、礼拝あ行なわれたのちに埋葬(土葬)されます。

日本での弔い

日本の弔いは、古来は土葬で、蓮通寺のある西浅井の地域も五十年近く前までは土葬で、亡くなったらすぐに親族が墓地に行き埋葬する穴を掘り、隣近所が集まっって葬儀のかざり(山の物、里の物、海の物の乾物を貼り付けたり、盛りつけた「根菓餅」と呼ぼれる)を作り、団子もしくは餅を杉なりに盛ったものを作り、提灯を作り、葬列のための準備をし、遺体を棺に納め、葬儀を行って後、サンマイと呼ばれる墓地に葬列を組んで行き、灰葬にお勤めをして埋葬していましたが、墓地埋葬等に関する法律によって火葬されるようになり、今では100%火葬されるようになりました。

まとめ

現在の日本は、隣近所が助け合うということが少なくなってきたのと、毎日の生活において宗教を大事にしない、必要としいないと思われるようになってきて、昔ながらの葬儀が行えないようになったのと、葬儀社の会館で行う方が楽で、家を片付けて整頓して行うのが面倒と思う人が増えてきとのと、マスコミが色々なことを報道して、これが流行りというようになり、葬儀がセレモニー化して、派手になり金額もたくさん掛かるようになってきた反動で、葬儀を行わない、墓地にお骨を納めない、納められないといいう事態になる人が出現してきて、お骨をただ郵便で送るだけの「送骨」が出現してきました、しかやはりそれではあまりにも即物的で、亡くなった方への哀悼の気持ちがなくなってしまうのではないでしょうか、そこで「恭敬の会」では、経済的な負担が少なく、煩わしいこともなくきちんと弔い、供養が行えるように、僧侶がお家に伺って、礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めをして、お骨を預かり、本坊蓮通寺にて納骨して、懇ろにずっと供養を行う「訪問預骨」を執り行うようになったのです。

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