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八月十二日

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2022.08.12

八月十二日

一昨年の八月十二日は、母の葬儀を執り行った日です。
八月九日に往生し、その日から根菓餅作り、紙花作り、木花立て等の準備を沢山の方々がおこなってくださり、十一日お昼過ぎに出来上がり、十二日に葬儀を葬儀を行い、法中の皆さん、親類、門徒の方々、お盆をお迎えし大変暑い中を参集いただき、無事にお勤めすることができました。
あれから二年たち、今年は三回忌です。
八月十二日は、世間でも色々ああことがあった日で、国歌『君が代』がまず唱歌として制定された日でもあり、日航機が墜落した日でもあります。

君が代記念日

明治26年(西暦1893)文部省が官報で「祝日大祭日歌詞詞並楽譜」を交付され、祝日、大祭日の唱歌に『君が代』を定められました。しかし官報は国の広報紙であり、法令ではないので、平成十一年(西暦1999)「国旗国歌法」が制定されやっと国家となりました。
歌詞は「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」というもので、男性と女性が共に支えているこの世は 千年も幾千年もの間 小さな砂がさざれ石の用うに やがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えていきますように という意味なんです。
この歌詞は『古今和歌集』のなかにあって、読み人知らずとなっていて昔から歌われていた歌なのですし、日本ではとても親しみのある歌なのです。
左寄りの人たちは、天皇を賛辞する歌で、戦争のイメージがあってよくないというのですが、君は貴方という一面もあり、天皇陛下だけを指す者ではなく、よその国の国歌は、戦争や敵をやっつける戦闘的な歌詞が多いのですが、我が国の国家はとても平和的で、国民皆んなのための歌でもあり、国民に広くに親しまれ定着しています。

茜雲忌

昭和60年8月12日(西暦1985)群馬県の御巣鷹山に日本航空123便が午後6時56分に墜落しました。その遺族方が作る8、12連絡会が編集したメッセージ集のタイトルにちなんで「茜雲忌」と名付けられました。
日本航空123便 乗員乗客524人を乗せた、羽田午後6時12分発大阪行きボーイング747ジャンボジェットが離陸十二分後に相模湾上空で操縦不能に陥り、6時56分に群馬県に御巣鷹山に墜落したのです。
夕方のニュースで、日航機が行方不明と一報が入り、テレビはこの日航機のこと一色になり、私も含めて国民の多数が固唾を飲んで見つめて心配していました。
ニュースでは、レーダーから機影が消えていることから相模湾にでも不時着しているのではないか、とかさまざま憶測されてコメンテーターが話していました。
それは、あの機体が以前に大阪空港で尻餅事故を起こして、それによって機体後部の圧力隔壁が破損したのですが、その破損の修理が完全でなく、羽田を離陸して直後に圧力隔壁が壊れ、垂直尾翼の大半が吹き飛び、方向を制御することができなくなってしまっていて、最初は左右のエンジンの推力をコントロールして制御しよう有としたのですが、それもできなくなっていたのです。しかしニュースで流れた時にはすでに御巣鷹山に激突していたのであり、それは在日アメリカ軍では把握していたようです。アメリカ軍から応援の打診があったようでしたが、日本はそれを受けずに探し続け、日付が変わって明るくなって群馬県の御巣鷹山に墜落したと発表がありました。13日自衛隊が生存者四名絵お救助している様子がテレビに映されていました。しかし、あの時アメリカ軍に要請していたらもっと沢山の人が助かっていたかもしれないのです。生存者の人から墜落直後は沢山の人の声がして、まだ亡くなってはいなかったとの証言があり、とても残念ですし、悔いが残ることになりました。それは平成五年の阪神大震災には生かされず、の教訓は平成二十三年の東日本大震災になってようやく生かされ、アメリカ軍によって沢山の人が助けられました。

アメリカ軍 ともだち作戦

阪神大震災の時にもアメリカ軍は応援を打診してきましたが、村山内閣はそれを受けずでしたが、各地から集まったボランティアが活動して、人を助けたり片付けを行ったりして、ボランティア活動がクローズアップされ、それ以降は各地で起こる災害なのどに沢山のボランティアが行かれ活動されることになり、東日本大震災でも大々的にボランティアが活躍され、アメリカ軍も空母を派遣して「お友達作戦」と名付けて、海上から、ヘリでたお沢山の人を助け、日米の絆はより深まったのと、それが継続され広がっているのですが、御巣鷹に墜落した日航機の事故の時に打診してかたアメリカ軍は言うなればボランティアだとも言えるのではないでしょうか。

まとめ

アメリカ軍が「ともだち作戦」で助けてくれ、また日本国内でもボランティアで助けあいをする、というのは、それこそ「君が代」の 男性と女性が共に支えているこの世は、一千年も幾千年もの間 小さな砂がさざれ石のようにやがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えますように、という歌詞のように、助けあって共に進んで発展していくことで、我が国はずっと昔から、助け合いを大事にする言うなればボランティアの国だったのではないでしょうか。
この助け合い、が「恭敬の会」の趣旨で、お弔いがなかなか難しい方々のために、お供養が出来にくいのを負担は少なく、それでも安心していただけることなのです。
恭敬の会の 送骨 訪問預骨 永代経、永代供養は助け合いなのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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