Blog ブログ

八朔

ブログ

2022.09.01

八朔について

「八朔」とは、八月朔日を略した言葉で、旧暦の八月一日のことを言います。
新暦(太陽暦)で言えば、八月二十五日ごろから九月二十三日ごろまでを言うのですが、現在では主に九月一日のことを言うのが多いようです。
蓮通寺の近在の、長浜市西浅井町庄でも「八朔祭」が毎年行われていて、夏の終わりに皆が集まり、出会いの場としてのこともあったようです。高校の時の同級生がその章の八朔祭で、同じ集落の女性と親しくなり、その世のうちに懇ろとなって結婚したということもありました。

八朔祭の歴史 室町時代

八朔祭のこの時期は、早稲の稲が実流ことから、農民の間で初穂を世話になった恩人などの人に贈るという風習が古来からあり、このことから「田の実の節句」とこ言われるのです。この田の実を「たのみ」とそれが「頼み」に語呂合わせして、公家や武家でも、日頃お世話になっている人達に、そのご恩を感謝する意味を含めて贈り物をするようになりました。
二木謙一氏著の『中世武家儀礼の研究』に「室町幕府八朔」という項があり、室町幕府においては既に公式の行事として採用されていたことが窺い知れます。
幕府の関東における出先機関の前の幕府の本拠地とその地盤の関東十カ国を掌握するための「鎌倉府」でも、八月一日に八朔の儀式が行われて、関東の諸大名や寺社から、関東十カ国を統治する鎌倉府の長官である鎌倉公方に、刀剣や中国から渡ってきた美術品の唐物や、馬などが献上されて、鎌倉公方は献上者にその返礼品して、刀剣や唐物、馬などが下賜されていたことが、『鎌倉年中行事』に記載されていることから知ることができます。その影響を受けて戦国時代には後北条氏や宇都宮氏でも八朔が行われていたと記録に残っています。

八朔の歴史 江戸時代

徳川家康が天正十八年八月一日(西暦1590年8月30日)に、初めて公式に江戸城に入城したとされていることから、江戸幕府ではこの八月一日を正月に次ぐお祝いの日と定めていました。しかしこれは家康の家臣である松平家忠の日記によると、実際の江戸入城は七月十八日であって、これは豊臣秀吉が臣従を拒んだ後北条氏を滅ぼした小田原征伐の後に進めていた関東の諸大名の両国画定作業の「関東分国」が八月一日に佐竹義重の両国が画定したことでほぼ完了し、徳川氏の新しい領国が正式に画定され、豊臣政権による徳川氏の新しい領国確定の日が江戸幕府の成立以降に、家康の公式な江戸入城と解釈されたからだと考えられます。

各地の八朔祭 東日本

「矢島八朔祭」
秋田県由利本荘市の矢島神明社の祭りで、新暦の九月十七日に行われていたのですが、最近は九月の第一土日に行われるようになりました。明和九年(西暦1772)以前から行われていて、宵祭りの灯籠の波と、本滅りの神輿の渡御と山車の巡行でたいそう賑やかに行われます。
「那珂湊の八朔祭」
茨城県ひたちなか市に那珂湊の天満宮で行われる祭りで、八月二十七日に行われます。神輿渡御や山車の巡行が行われます。
「大洗八朔祭」
茨城県の大洗の大洗磯前神社の祭りで、鹿島の神様と香取の神様が、大洗神社に祀られている「大己貴命(おおむなちのみこと)」に国譲りを迫って北上したという古代の神話にちなんだまっつりで、五穀豊穣と四海平穏を祈願しています。
毎年八月二十五日に神事が行われ、その週に土曜日が宵祭りとなり出しが町内を練りまわり、翌日の本祭りにみ出しが巡行して賑わいを見せます。
「都留市の八朔祭」
山梨県都留市四日市ばの生で神社の例祭が発展した祭りで、九月一日に行われます。本祭りでは神輿が渡御して、附祭りでは大名行列や屋台が巡行します。

各地の八朔祭 西日本

「冨木八朔祭」
石川県志賀町富来の冨木八幡神社のお祭りで、八月二十七日、二十八日に行われます。二十七日はお旅祭りと言って、八幡神社から住吉神社に神輿が向かい、二十八日の本祭りに八幡神社に神輿が戻ります。
「山代温泉八朔祭」
石川県の山代温泉のお服部神社で行われる祭りで、境内で奉納のの大獅子が町内を練り歩いて、拝殿では浦安の舞が奉納さr、五穀豊穣の祈願をします。
「新庄の八朔祭り」
福井県美浜町の新庄の日吉神社では、五穀豊穣と子孫繁栄を願って九月一日に行われます。太鼓や笛のお囃子の中、西字、東字の両方から午前中は東字が朱塗りの大角樽(樽神輿とも言われる)を担ぎ、日吉神社までを練り歩き、午後は西字が練り歩くのです。練り歩く間、男根を模した神棒を持った天狗が、女性をその神棒でつつくために追いかけまします。その神棒で突かれた女性は子宝に恵まれると言われています。
「祇園町の八朔」
京都の祇園町では、花街一帯で八月一日に芸妓さんや舞妓さんが、御茶屋さんや芸事の師匠のお宅に挨拶回りをするという伝統行事です。
「松尾大社の八朔祭り」
四条通りの西の果てにある松尾大社で、毎年九月の第一日曜日に行われ、京都の夏祭りの最後で五穀豊穣をを祈念して行われます。奉納相撲や子供の成長を願う赤ちゃん土俵入り、前日に行われるやまぶき回による女神輿の巡行お行われます。境内には三千個の提灯が灯され幻想的な雰囲気が味わえます。
「山都の八朔祭り」
熊本県上益城郡山都町浜寺のお祭りで、野山の自然素材をいっぱい使った「造り物」が有名で、九月の第一土曜、日曜に行われます。町の中心を高さ3〜4m、
長さ7〜8mに及ぶ、お囃子隊が同行する山車の大作り物が数十基も、引き廻されそれは壮観な眺めです。

まとめ

「八朔」は、初穂を喜び感謝を伝えることからから始まって、武家でそれが感謝の儀礼となり、全国に広まる際には、地域毎の祭りなどと融合していき、地域によって特色のあることになって伝わっています。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

この記事をシェアする