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参拝

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2023.03.02

参拝について

参拝とは、神社、寺院、教会、廟墓に訪れて神仏や死者を崇敬の念で拝む行為のことです。また、祈願する人に代わって参拝することを「代参」、祈願する神社や寺院に参拝、参詣せずにその方角に向かって拝むことを「遥拝」と言います。
恭敬の会では、事情によりお葬儀が行えなかった方々、お骨を墓地や納骨堂に納めるこができていない方々が、負担がかからず、煩わしいことがなく、供養ができて参拝できるようにと、僧侶が訪問して礼拝の対象となる「三つ折り本尊」(その三つ折り本尊の脇には、亡くなった方の遺影が貼られ、法名、俗名が記入されています)を授与し、その本尊とお骨に前で丁寧に心を込めてお勤めをし、その後お骨を預かって、本坊蓮通寺の墓地に納骨してずっと供養していきす。離れた場所にありのですが、いつでも参拝できますし、参拝できない時は遥拝できるのです。

参拝はいつがいいのか

参拝(お参り)するのはいつが良いのかと質問される方がおられます。それに対しては、いつでも参拝すれば良いのです。お寺では毎日欠かさず晨朝(朝のお勤め)が行われていて、それは門徒や檀徒であるなしに関わらず、誰でもお参りしていただけば良いものなのです。蓮通寺では最近は晨朝にお参りされる方は少なくなりましたが、何年か前は数人のお婆さんたちが毎日欠かさずお参りしてくださいましたし、百年前に境内の石垣を造る時は、門徒のみなさんが毎日たや畑に行く前にお参りして、石を積んでくださいました現在はなかなかすべての門徒さん方が朝にお参りされることはできなくなりました、それは蓮通寺の門徒さんは昔は会社や工場に働きに出られることはなく、お店等を営業されているお家以外の大多数の方々は、米作の農家であったからということがあったからで、心の拠り所としてお寺にお参りしてから野良仕事に出かけられたからでした。しかし現在は専業農家をされている家は二軒しかなく、他の家は会社勤めされていて、朝御堂にお参りできるのは、隠居されたお年寄りばかりになりました。また、心の
拠り所というの気持ちが薄れてきて、昨年暮れにお母さんが亡くなられた男性が晨朝にお参りくださり、それからちょくちょくきてくださるようになりましたが、家族の不幸などを縁としておまいりされるしてくださることにより、お年寄りでなくてもお参りしてくださる、ということで喜んではいますが、大抵は年忌法要の時くらいになっています。そこで、参拝は年忌の時で良いと思われることが増えました。それは家族の大切な方の年忌がきっかけとなっていて、、参拝は一般のお寺では年忌の時にすれば良いとなってきています。有名な社寺は年等のお参りや、旅行で訪れた際にということが多いようです。お商売をされている方々は、稲荷大社には毎年欠かさず年頭に参拝されることがあり、これは習慣となっていることか思います。いづれにしても、参拝するのは吉日良辰によってするのではなく、いつでも思い立った時に参拝すれば良いのです。

神社の参拝

神社の参拝は、先ず境内に入る前に鳥居のところで一礼します。それは自分のお頃を鎮めるのと、参拝するのではなく、参拝させていただくのだといいうへりくだった気持ちになり謙遜の心になるためです。鳥居をくぐり参道を進みますが、参道の真ん中は神様の通り道ですから、少し右か左に寄って進みます。真ん中を横切る場合は頭をさげ会釈してから横切る方が良いと思います。次に手水舎では身を清めるために柄杓を右手に持ち、水を汲んで左手にかけ洗います。次に柄杓を左手に持ち替え、水を汲んで右手にかけて右手を洗います。また柄杓を右手に持ち替え、水を汲み右手の掌に注ぎ口を洗います。最後に柄杓を立てて柄を洗い柄杓をもとあった場所にふせて戻します。身を清めた後に拝殿に進み、「鈴」がある場合には鈴を鳴らして祓い清め手、お賽銭を賽銭箱に入れます。それから二礼二拍手一礼(1、一度姿勢を正して、深いお辞儀をする。2、胸の高さで、右手を少しずらしててを合わせ、肩幅程度に両手を開き二回てを打つ。3、てをきちんと合わせて、心を込めてお参りする。4、深いお辞儀をする)という作法で参拝し、そのあと退出して、また鳥居のところで一礼します。

お寺の参詣

お寺での参詣は、神社と同じように境内に入る前に一礼あいをします。それは思い上がった心で参詣したにように、気持ちを落ち着かせる意味があります。参道を進み手水舎があれば、神社と同じように清めます。次に本堂等の御堂に向かい位、中に入る際には一礼します。御堂に入ってお賽銭を納め(投げ入れることは控えます、法要でお参りする際は奉書に包んだお布施を)焼香卓がある場合はお焼香します、その際最初に一礼し、今からお焼香させていただきますという、へりくだった気持ちになり、お香を摘んで二回(西本願寺では一回、その他の宗派では三回行うところもあります、よく頭におし頂かれるかたを見かけますが、おし頂くことは致しません)香炉に焚べ、両手を念珠にとおし手胸の辺りで合掌(手を高く掲げることは無作法になります)して、また一礼して次の方にかわります。法要の途中の場合はなるべくもの音を立てないように氏、おしゃべりは決していたいません。お勤めがある時は、できるだけ最後までお参りすることが大切です。

まとめ

参拝、参詣するのは、自分の願いを叶えて欲しいという、願望成就のためにするのではなく、感謝の念でお参りすることが大切だと思いmす。それは初詣に行かれた際も、昨年の過ごせたことのお礼と共に、新年になり気持ちを新たにして過ごして行く誓いをするようなものです。願望成就だけを目的としていたら、叶えられない場合はお参りしないとか、自分の都合の皆なってしまう恐れがあります。これは神社でみお寺でも同じで、自分の都合でお参りするということはしないようにすべきではないでしょうか。恭敬の会では感謝の気持ちを大切にしていき、それを広い人々に進めていきます。

送骨 恭敬の会 訪問骨

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