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各地の民家

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2022.11.09

民家について

日本は南北に長く、北の宗谷岬から南の端の沖ノ鳥島まで2845キロあり、東西も東の端の南鳥島から与那国島まで3142キロあります。
また、人が生活している範囲としても、与那国島から知床半島まで3000キロあり、北海道から南西諸島までにはさまざまな民家があります。それは寒いところから暑いに近い暖かいところの違いがあり、蘇に気候や風土に合った民家となっています。

民家とは

民家とは、普通一般の庶民が暮らす住まいのことで、建築学や民俗学の上においては、伝統的な様式で作られた農家や漁師の家、林業の家、町屋、それと中級から下級の武士の屋敷も含めています。
日本の伝統的な家は、高温多湿な気候に対して快適に暮らし尚且つ耐久性を待たせることが基本となっていて、夏を基準として建てられています。
民家は建築された当時の生活状況が反映されていて、農業や商業などの生業(ないわい)や、伝統的な行事に結びついた要素が多分に見られて、それは地域差があって、萎れぞれの地域によっての特色があります。最近では対象となる年代が広がって明治や大正、昭和の初期の建物などの調査研究が行われています。
民家の最初は、竪穴式住居などの建物(弥生時代の遺跡の建物を復元しているような建物)から始まっているとされていて、それから掘立て柱の建物になっていき、それが礎石のある建物に発展していったのです。

民家の類型

民家の類型としては、大きく二つに分けられます。
農家
屋内に広い土間があって、田の字の型の間取りとなったものが典型的なものです。土間には煮炊きをする「かまど」があり、馬屋も見られます。「囲炉裏」の周りで家長を中心として食事を行い、接客用の部屋も造られていくようになり冠婚葬祭で沢山の人が集まる場合は、板戸や襖を外したり開け放して部屋を広く使えるように工夫されるようになり、土間で縄をうったり、縁側で機織りしたり、屋根裏で蚕を飼うといった、、生業との結びつきが強くて、茅葺、杉皮葺、瓦葺などの屋根を葺く材についても色々特徴があります。
町屋
間口の大きさによってかけられる税の額が違ったこともあり、間口が狭くて奥行きがあり、裏まで通り抜けられる通路が設けられることが多くで見られ、道路に面して短冊形に敷地を取る形状に町屋が日本各地には見られます。道路に面した表側は店として使われることが多くて、裏の方に住まいや蔵などを設けていました。京都の町屋で見られる坪庭と呼ばれる小さな庭は、痛風や採光の役割を果たしています。

民家の形式

民家の型式としては、
東日本では、北海道のアイヌの「チセ」、青森県の「草を植えた棟」、岩手県の「曲がり家」、秋田県の「中門造」、長野県の「本棟造」、山梨県の「つきあげ屋根」、群馬県の「赤城棟」、埼玉県の「入母屋」、東京都の「寄棟」、千葉県の「別当造」、静岡県の「兜造」、などがあります。
西日本では、岐阜県の「合掌造」、滋賀県の「湖北型」、奈良県の「大和棟」、香川県の「四方ぶた造」、島根県の「そり棟」、山口県の「箱棟」、佐賀県の「くど棟」、佐賀県や熊本県、大分県の「鍵屋型」、鹿児島県の「二棟造」、沖縄県の「別当型」
などのように沢山の形式があります。

長野県の本棟造

長野県の中信地域から南信地域に分布する民家の形式で、切妻造りで妻入で、緩い勾配の屋根、雀おどしと呼ばれる棟飾りがあり、梁間が大きくて平面全体の形は正方形で、間取りは一方を通り土間として、床上は二列で平面に六室以上となります。

曲がり屋

南部曲がり家が有名で、母屋と馬屋がL字形の平面で一体化しているので、「曲がり家」と言われます。屋根は茅葺で母屋は寄棟で、L字型に曲がった馬屋は入母屋か寄棟で、右が馬屋になっていたり、左が馬屋になっていたりします。
家畜を飼育する空間が一体になていて、作業や収納、居住空間の三つから構成されていて、馬屋が母屋の下手に接続されていて、台所のかまどからでた暖気が馬屋に流れ込んで飼育している馬たちを暖めるようになっていました。それはさっむい地域での家畜を大事にするという思いやりです。

岐阜県の合唱造り

岐阜県の飛騨地方と、富山県の五箇山に分布する民家の形式で、茅葺き屋根で叉首構造になった屋根を特徴としていて、屋根の勾配が豪雪に対するために急傾斜になっている主に切妻屋根になっているのを特徴としていて、屋根裏が二層もしくは三層になっていて、蚕を育てるようにしたり、二層や三層の方が沢山蚕を飼えるのです。書院造りなどの小屋組に比べると、大きな構造の違いがあって、合掌造の小屋組は、両側から「人」の字の形に寄りかかった部材が、棟木の点で交差する形状となっていて、これを扠首(さす)構造と言われます。

滋賀県の伊香造り

滋賀県北部の湖北地域では「伊香造り」と呼ばれる民家が分布しています。これはヨシ葺きの入母屋造りの屋根で、入母屋の破風には「前だれ」と呼ばれる独特の棟飾りが付けられていることが特徴で、間取りは前広間三間とりと言われ、入り口を入ったところにニワと言われる土間があり、それに続いて入地(ニウジ)と言われる土間より掘り下げられ固められたタタキの上に、稲の籾殻を数センチ敷いて、その上に筵を敷いた広間があり、その奥にアゲマと言われる床上で客間となる座敷や寝間となるオクがあります。

奈良県の大和棟

奈良県に分布する民家の形式で、切妻の草葺きの屋根と、瓦屋根が組み合わされていて、洗練された切妻の白い漆喰壁と屋根の対象性が美しいのが特徴で、棟の高い部分が主屋で低い部分が釜屋(おくどさんや土間)で構成されています。
大和は国のまほろば、と言われるようにさすがに民家でも洗練されています。

まとめ

日本は長く、気候も寒さが厳しいところから、穏やかなところ、暑いところとさまざまで、その地方の気候と暮らしにあった民家が分布しています。最近は画一化された面白みのない外観で、夏を基準とするのではなく、断熱材を張り巡らして、空調機器で暑さ寒さをしのぐようにして、しかも耐久性が長くない(三十年も保たない)、入口はいってすぐ小さな床の間があったり、和室を日本間などというような家屋が建てられるようになってしまいました。それはほんの目先の自分達の暮らしのことしか考えず、何代にもわたって大事にして受け伝えることは全く考えないということからでしょうが、せっかく高い金銭を出して建てるのに勿体無いこと、それこそ今高らかに言われているSDGsに反することではないでしょうか。
目先のことしか考えない、というのは亡くなった方に対して、ただ簡単にお骨を送るだけというのも当てはまるのではないでしょうか。
「恭敬の会」では、ただお骨を送るだけとう目先だけのことでなく、僧侶がお伺いして、礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、丁寧にお勤めをしてから、お骨を預かって納骨します。‘これは大事に伝えられてきた想いを大切にすることなのです。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は目先だけではなく、永代にわたっての大切にする供養です。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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