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品について

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2022.08.02

品とは

今朝、NHKの朝ドラで、以前トレンディドラマで一世風靡して有名になったある女優さんが「こんな品のないお店には、品のない人がよってくる〜」などといういうセリフを申していました。
それは、このような上品でない店には、上品でない人が集まってくるという意味の使い方だと思うのですが、この品といいうのはどういうことなのかた、調べてみたら、この「品」も仏教の言葉だったのです。

「品」とは

「品」は、今朝の朝ドラのセリフや一般的に使われているのは「ひん」と呼んで、人や物に備わっている「品格」、それはそなわっている気高さ優雅さエレガントさ、という意味で、品格のある人は「言葉遣いが綺麗」、「一つ一つの所作が丁寧」、「礼法やマナーが身についている」ということが言えます。
物の場合は「品質」(ひんしつ)で、工場え生産された製品や、サービス業で提供するサービスの特性、属性を指す言葉です。
それらの言葉の元の「品」は「ほん」と呼んで、中国では、官人(役人)に与えられていた位階でしたし、日本においても、親王や内親王に与えられた、一品から四品まである位階のことですが、それらのもとは仏教の言葉なのです。

九品

画像は、南山城にある浄瑠璃寺の「九品阿弥陀如来坐像」です。
平安時代の後半に末法思想(お釈迦様が涅槃に入られて最初の五百年は「正法」で仏の教えが行われ修行して悟りを開ける時代、次の五百年は「像法」教えは行われるのだけれど、外見だけが修行者に似るだけで悟ることが難しくなる。それが過ぎると「末法」となり、正しい修行も行えなくなり、救われない時代になる。という思想で、その時に救ってくださるのが阿弥陀如来だけになるという)が世間に満ち溢れ、貴族社会においてもそれが広がって、藤原道長によって寛仁二年(西暦1020)法成寺阿弥陀堂が建立され、それ以降に白河上皇や鳥羽上皇などの院政期には、『観無量寿経』にある「九品往生」に基づいて九体の阿弥陀堂が建立され、岡崎にあった六勝寺(法勝寺、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺)に九体阿弥陀堂があったのですが、現在残っているのは、浄瑠璃寺の本堂だけです。
九体の阿弥陀如来が九品を現していて、「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」の九種類なのです。

上品上生

上品上生の 上品は
大乗に巡り合っおかげで遇大と言って、上輩生想と称せられ、その上品の中に 上生と中生と下生の三つに分けられるのです。
では、上品上生は、至誠心(仏を信ずる汚れがない真心)、深心(ひたすら仏道を求めようとする心)、回向発願心(自分が修めた善根功徳を他にも向けて、自他共に極楽浄土に往生しようと願う心)の三種の心(願い)を起こして往生する者で、慈悲の心をもって摂政を行わず戒律行を守って行いみにつけた者、大乗方等経典を読誦する者、六念処(念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天、の六つで信心する上で繰り返し心で念じるべき事柄)を修行する者、の三種類の物で、その功徳によって阿弥陀如来の浄土に生まれることを願えば、一日もしくは七日で往生できるのであって、勇猛精進をもち、臨終に阿弥陀仏や諸菩薩の来迎を観流ことができ、金剛台に載り浄土に往生して、即座に無生放忍(生ずることも滅することもない真理を認識すること)を悟ることができる。

上品中生

上品の中の二つ目 上品中生は
大乗などの経典を読誦しなくても、大乗第一義の義趣を理解して、心が畏怖驚動(たじろいで、おどろき落ち着きを失うこと)することなく、因果律(仏教の根本的な考え方)を深く信じて大乗を謗法(仏の教えをそしること)しない者、その功徳によって聖衆(仏様や菩薩方)の来迎を受け、往生した後に一宿を経て蓮華が開敷して、七日後に無上道(この上もないさとり)を退かず、諸仏の国土に趣、一小劫(極めて長い時間)を経て無生放忍を得る。 

上品下生

因果律を信じ大乗を誹謗(こなし、けなすこと)をせずに、ただただ無上道心を起こす者で、その功徳によって回向し往生を希求し、また往生下のちに1日一夜で華が開き、三七日(二十一日)日後に耳目が明らかになって、諸仏の国土に趣き、三小劫の後に歓喜地(菩薩が長い修行の果てに、煩悩を断じて悟りに近づき喜びを得る位)に往生する。

中品上生

中品は、小乗に値遇するゆえに遇小と言って、中輩生想と称せられます。
その中品に三つあって、中品上生は
五戒、八戒など諸々の戒律を具足(身にそなえ)し尽くして悪業を所作しない者。往生して蓮華が開敷し、即時に阿羅漢果(仏教を信仰し修行する比丘の中でも、供養を受けるに相応しい者)を得て、三明(宿命通、天眼通、漏尽通)六神通、八解脱を得るのです。

中品中生

一日一夜に五戒、八戒を具足し、また沙弥(年少の僧侶が受ける戒律や具足戒を持って、威儀端正で欠くことがない者、往生して蓮華が開敷して、法を聞いて歓喜して須陀おん果(無漏の聖者も流れには入った者)を得て、半こうを経て阿羅漢となります

中品下生

父母両親に孝行し養い、世間に仁義して慈しみを行う者。臨終の時に阿弥陀仏の本願や国土の楽を知り、往生した後に勢至菩薩や観世音菩薩の教法を聞いて、一小劫の後に阿羅漢になるのです。

下品上生

三つも品のうちの下が「下品」で、一生に増悪して無間の非法をするので、遇悪と言って、下輩生想と称せられるもです、その中でも 下品上生は
大乗方等の経典を誹謗しなくても、多くの悪事をおこなっているのに恥じることがない者。臨終の時に大乗十二部経の経題を聞いて、千劫の極重悪業を除いて、阿弥陀仏の名号を称えると五十億劫の生死の罪を滅除し、化仏(仏や菩薩が衆生を救うために、衆生の気根に応じて現れる仏や菩薩で仮の仏の姿)の来迎を受けて浄土に往生し、七七日(四十九日)を経て蓮華が開敷して、勢至菩薩や観音菩薩から教えを聞かせていただき、十劫の時間を経て菩薩の初めの地に入るのです。

下品中生

五戒、八戒、具足戒を犯して、僧祇物を偸盗し、不浄の説法をして恥じることのない者、臨終の時に、まさに地獄に堕ちようとする時、阿弥陀仏の十力威徳、光明神通、五分法身、を聞いて八十億劫の罪業を減除して、地獄の火災が変じて天華となり、観音や勢至も説法を聞き無上道心を起こすのです。

下品下生

五逆罪、十悪をおかして、善をすることなく地獄に落ちるべき者、臨終の時に善知識に遇い、仏の微妙な法を聞いて、仏を念じようとしても、苦しみに喘ぎ念じることができない、ただ十念を心から思って阿弥陀仏の名号を称えると、念々んい八十億劫の生死の罪業を滅除して、金の蓮華を見て往生しrことができて、十二大劫を経て蓮華が開敷し、観音や勢至の説法を聞いて、無上の菩提心を起こすのです。

まとめ

以上の九つが九品の内容です。朝ドラで、人のことをこんな下品なと言うような人は、それこそ下品下生なんでしょうね。
お金が沢山あり贅沢な暮らしをするのがセレブで、セレブこそが上品と思っている人が沢山いて、テレビなんかでもセレブセレブともてはやしていますが、本当はそうではなく、慎みを持ち優雅で気高くという人こそ、上品なのです。
上品になるのは、仏様や先祖、家族ご縁のある方々のご恩を大切にすることからです。恭敬の会はそれを知り実行できるもとで、恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養はその入り口なのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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