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四苦八苦について

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2022.07.17

四苦八苦って

何かを始めたり、行いを継続している途中に、人から状況を尋ねられたりしたときに四苦八苦してますと答えることがあります。
それは、なかなか進捗状況が捗ってないというときなんかに、四苦八苦してると使ったりするのですね。
また、なかなか難しいけれど少しは前に進んでいるときなんかにも使います。
この場合は、目標に向かってほんの少しだけでも進めていけるという、希望がある時にも使います。
でも、主には難しいという意味で使われることの方でしょう。

四苦八苦の種類

四苦八苦も仏教の四諦説の言葉です。
四法印(諸行無常、諸法無我、一切行苦、涅槃寂静)の中の一切行苦でも説明があるが、「苦」を生、老、病、死の四つの苦に、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五種蘊苦の四つを加えたのが四苦八苦なのです。

「生」は、生苦とも言い、「生きる」ではなく、「生まれる」です。生まれると母の胎内から産まれる(出産する)ことではなくて、輪廻によって生類(人間だけでなくあらゆる生き物)の中に生まれてくることが苦であることです。

「老」「病」「死」は、お釈迦様が釈迦族の王子として生まれられ、美味しいものや綺麗な調度品、綺麗な女性たちに囲まれてお育ちになっっていたのですが、ある時にお城の門から出かけられた時、老人を目にされ、若くて綺麗でもやがて老いて弱った姿になって行く様子を見られました。またある時は乗り物に乗せられて運ばれて行く病人を見掛けられ、生ているものは元気であっっても病に罹ると体が弱って身動きが取れなくなり不自由になる様子を見られました、次の門では亡くなった方の葬儀の列を見掛けられ、生ているものは死ぬのだと言うことを見られました。
それが生老病死の四苦です。
「愛別離苦」は、愛する人とも必ず死によって離れなくてはならない苦しみです。
「怨憎会苦」は、嫌いで憎しみを持つような相手とも会っていかねばならない苦しみです。
「求不得苦」は、求めていても手に入らない、思い通りにならないという苦しみです。
「五取蘊苦」は、生老病死の四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦のを合わせた七種の苦を概括した苦しみです。

四苦八苦の意味

四苦八苦の意味は
「生苦」は、生き物として生まれるのは、自分自身の意志が及ばないところで受精し受胎し(親と喧嘩して、産んでくれと頼んだ覚えはないなんて言うことがあるが、まさに自分の石で生まれたもではないのです)それが人間であったり、動物」として生まれたりするのを選ぶことはできない、輪廻(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の中で、選んで生まれてこれない苦しみです。

「老苦」は、お釈迦様が感じられたように、五体満足に生まれ元気で育っていても、年月が過ぎると目が見えにくくなり、耳が聴きにくくなり、顔に皺ができ、髪の毛が白くなり薄くなって、背も縮んでいき、身体も思うように動かなくなっていく苦しみです。

「病苦」は、老いていけば臓器にしても、身体機能にしても衰えていき、どこかしら不具合が生じてきて、病に罹って行きます。日本人を例に挙げると、多数が癌に罹ったり、高血圧による心疾患になったり、糖尿病に罹ったりしてますが、癌は遺伝の要素が多いですが、心疾患や糖尿病は後天的要因(自分自身が原因を作ること)が多いです。病に罹ると悩み苦しみが増します。

「死苦」は、元気に生まれ順調に育ち生活をし、自分の目標に向かっって頑張り、達成したとしても、老いていき病に罹ったら死ななくてはならないのであって、老、病、死によって自分や家族の生活不安や地位、名誉、権力が失しなわれて行く不安を抱えながら、どんなところへ行くのかという不安も抱えて死んで行く苦しみです。

「愛別離苦」は、どんなに好きで愛していても、年月が経ち老いて病に罹り、死が訪れると必ず別れなくてはならない苦しみです。

「怨憎会苦」は、嫌いだったり嫌いになったり、自分が苦手とする相手と出会い、一緒に働いたり過ごしたりしなくてはならない苦しみで、どんな人でも全く嫌と思わない苦手としない人に合わないことはありえないのであり、生ていく苦しみとお言えます。

「求不得苦」は、どんなに求めても得られない、自分の欲求、欲望が満たされない、ということで、煩悩の全てであると言える苦しみです。

「五取蘊苦」は、一切の法である五蘊に対する自己中心的な取著執著を持ったならば、すげてが苦であるという苦しみです。

まとめ

これらの四苦八苦という、人間が生きて行く上でのすべての苦しみは、それらの苦しみを受け入れて行く、生まれてきたことを自分が頼んでないのにでなく、それがどんな境遇だったとしても生まれさせていただいたと思い、老いていくのも人生を積み重ねさせていただいた、病も、なかなかできないことですが、「病原の得て病原の楽しむ」という言葉があるように受け入れる、愛をなくすことも憎しみに苛まれることも、煩悩が叶えられないことも、全てを阿弥陀如来の願いとお救いにお任せし、それに感謝の念を持つことで受け入れていけ、与えられた人生を全うできるのです。
それには、先祖を大切に思い感謝することが大事で、それを表していくのが恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養なのです。

恭敬の会

恭敬の会の送骨 訪問預骨

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