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地蔵盆

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2022.08.20

地蔵盆

近畿地方を中心とする地域では八月下旬になると「地蔵盆」が行われます。
子供にとっては夏休みの最後のイベントとでもいうような行事で、地域の子どもたちの安全と健全な育成を願って行われ、辻々にあるお地蔵さんんにお荘りの提灯をたもし、さまざまなお供えをして夕方をお迎えします。今日宇土では六地蔵と言って京都の入り口のあたりにあるお地蔵さんを祀る御堂やお寺で大々的に催されます。

地蔵さん

地蔵さんは、地蔵菩薩を親みをこめていう時の呼び方です。地蔵菩薩は、仏(如来)の位になる前の位の菩薩の一つで、お釈迦様が涅槃にはいられてから、次の仏様である弥勒菩薩が仏となられるまでの 無仏の時の衆生を救済することをお釈迦様から委ねられた菩薩様です。
サンスクリット語では「クシティガルバ」と言って、クシティは「大地」、ガルバは「胎内」、「子宮」の意味で、意訳いて「地蔵」とされていて、大地が全ての命を育む力を蔵しているように、苦悩の人々を、その無限大の大慈悲の心で包み込み、救うところから名付けられました。
日本では民間信仰の道祖神(村の境目や峠の路傍で、外からくる疫病や悪霊を防ぐ目的で 男根などの形の自然石や文字を刻んだ石などがある)と結びついていることが多いです。
地蔵菩薩は忉利天(トウリテン 色界、無色界と並ぶ三界の一つである欲界の第二番目の天で須弥山の頂上の閻浮提の上の八万由旬のところにあって、中央に善見宮があり、四面それぞれに八幡由旬の大きな城があり、そこに帝釈天が住んで下、四方にはそれぞれ八つの城があって、その所属する天部の衆徒や神々が住んでいる、お釈迦様の生母の摩耶夫人はお釈迦様産んで七日後になくなり、この忉利天に転生しておられ、お釈迦様は忉利天に登って、三ヶ月の間、お母様のために説法されたもです)に在していて、お釈迦様の依頼を受けて、お釈迦様が涅槃に入れれてから五億七千六百年後か五十六億七千万年後に弥勒菩薩が現れて宇陀さるまでの間、現世に仏が不在となってしまうので、その間六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)全ての世界に現れて衆生を救ってくださる菩薩なのです。

六地蔵

六地蔵と聞けば、京阪電車の徒京都市地下鉄の駅と思い浮かべられるこおが多いのではないかと思いますが、京都の入り口付近の地の六か所におられる地蔵さんもことなのです。
仁寿二年(西暦852)小野篁が桜の大木を用いいて六体の地蔵菩薩を彫ったとされ、紀伊郡木幡の大善寺に祀り、その後後白河法皇の勅命を受け、平清盛が西光に命じて疫病退散のために京都の街道口の六か所に、それぞれ六角堂を建立し、六体の地蔵菩薩を分けて祀りました。
奈良街道には 伏見の大善寺、大阪街道には、鳥羽の浄禅寺、丹波街道には、桂の地蔵寺、周山街道には、常盤の源光寺、鞍馬街道には、加茂の深泥池のほとりの上善寺、東海道には、山科の徳林庵、の六か所で、この六体の地蔵さんを巡拝して、家内安全、無病息災を祈る「六地蔵巡り」が始まって、小野篁の大善寺が根本道場徒されています。

岩熊の地蔵盆

蓮通寺のある岩熊でも昔から地蔵盆が行われています。
岩熊には沢山の地蔵さんがおられ、道祖神の意味合いもあって、田んぼや畑、山から降り出されと門徒さんが蒸してお寺に持って来られることがあって、境内には五十体くらいの石の地蔵さんが祀られています。
最近も、家の後ろの山の中に地蔵さんがおられたので、それを預かって欲しいというのや、家を継ぐひとが亡くなって、その家を買われた方が、預かって欲しいと言われたことがまだまだあります。
岩熊では、辻々にあるお地蔵さんや、岩隈に入り口に祀られているお地蔵さんで地蔵盆のお荘りや供をしてお勤めを行うのでなく、蓮通寺の境内にお祭りしてあるお地蔵さん方で、提灯を吊るし、境内にも張り巡らして丸い小さな提灯を吊るしてそれぞれを灯して、お供えをしてお勤めを行なっています。
以前は子供たちが沢山いたので、四班位にわけてそれぞれの班で出し物(劇をしたり、歌を歌ったり、マジックをしたり、クイズをしたり)を行なっていて、夏やすみが始まると、午後から班ごとに集まって劇の大道具を作って練習したり、マジックに練習をしたり、歌の練習をしたりで賑やかで、集落お人たちも民集まって楽しんでいました。
先金は子供が少なくなって班で分けるkとができなくなったので、出し物ができなくなってしまい、お勤めをして、流しそうめんをしたり、ビンゴゲームをするということに変わってきました。
それでも、岩熊では定着した楽しい行事として続けられています。

まとめ

私が学生の時、担当教授が、「君が住職になったら、地蔵さんも大日さんも境内の外に出してしまいなさい」と仰ったことがありましたが、住職になって二十年経ちますが、境内の外には出していませんし、境内の外になることもないでしょう。
それは、浄土真宗の教学だけを第一にして、それだけを大事にするのでは観念だけになって、世間の意識とはずれてしまい、門徒の方々はじめ世間一般の人の思いや、願いに応えられないと思うのです。これからは益々自分のこと、目先のこと、結果がすぐ出ることだけを重視するようになっていると思われ、そのような中でお寺はどのよゆにすれば社会の構成要因として存在感を保つことができるのかが必要となっています。その一つが「恭敬の会」であり、恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、今までご縁の薄かった方、なかった方も受け入れていただけけることなのです。

恭敬の会の送骨 訪問預骨

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