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夏休み

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2022.07.28

夏休みが始まって1週間

夏休みが始まって1週間経ちました。
毎日6寺半になったら子供たちが石段の下でラジオ体操をして、その後1時間くらい境内で子供たちが遊ぶ声がします。
6時ちょうどに朝の鐘を撞いて、境内を見回って(最近、右と左の目の色が違うオッドアイの真っ白な野良猫さんが来てくれて、向拝の辺りでゴロゴロしているので、ナデナデしてみたいのですが、近寄ると逃げてしまうので、実現してませんが)、郵便受けの新聞をとり、玄関に置いて御堂の唐戸を開けて、ラジオのスイッチを入れ、石段の上にあるラッパ型のスピーカーからラジオ体操の前のニュースが流れ、子供たちが集まってきます。

夏休み最初の関門

夏休みは、今は7月20日前後からですが、私の子供の頃は25日からだったと記憶しています。
学校で担任の先生から通知簿を渡され、5がいくつあるかを確認して、私は社会はいつも5で、あとは国語が4か5、理科は4か3、算数は3、というのが大抵で、2や1はなかったのですが、5が二つ以上あると、父や母に嬉しそうに見せましたが、1つだと控えめにでした。それを両親揃って座っているところで評価が下る習慣はドキドキしてました。
これが夏休み最初の関門で、それが過ぎるとやっと安心して夏休みが始まるのでした。

夏休みっ最初の楽しみ、琵琶湖で水泳

夏休みになって最初の楽しみは、学校にプールはなかったので、琵琶湖での水泳(海でないので海水浴ではないのです)が始まる(毎日ではなく週に三日か四日だったと思いますが、保護者が順番に見張り当番してくださいました)のです。
うちから1キロくらい歩いていくと、15メーターくらいの砂浜もなく石がゴロゴロしてるだけなのでビーチとはとても言えませんが、水着は家からつけていくので、上に着ている服を脱ぎ、準備体操をして、みんなで仲良く水に入って泳ぐのです。今から思うとよくあんなところで泳いでたななんて思ってしまいますが。
中学生は、湖岸をもっと南に3キロくらい進んだ、水が澄んでいて、5メートルくらい沖に、大きな岩があって飛び込めたリアできるところでした。

かわそさん

琵琶湖での水泳が始まり、2〜3日すると、今度は塩津中にある香取神社の境内に一緒にお祀りされている「かわそ」さんという、病に苦しむ女性を救ったことで始まったと言われていて、女性の神様を祀っているのですが、その祭りが行われ、夕方から露店が沢山出されて、たいそいう賑やかで、お小遣いをもらって暗い田んぼ道を友達たちと向かい、お参りするのもそこそこに露店巡りをして何かを買って帰るというものでした。
京都から帰って住職となり、子供たちにもあの賑わいを見せたいと思い、かわそさんのことを訊いたら、もう露店は出てなくておの賑わいは過去のものになってしまったと聞かされて、がっかりしたのと寂しい気持ちになりました。

地蔵盆の出し物の準備

「かわそ」さんが済むと、毎日のラジオ体操、午前中の涼しい時間に夏休みの宿題をして、午後からは「地蔵盆」の練習です。
「地蔵盆」は近畿地方を中心として行われていて、道祖神信仰と結びついて路傍のお地蔵さんが対象で、地蔵菩薩の縁日のうち旧暦の7月24日(今では8月)に行われます。地蔵盆については改めて書くことにします。
蓮通寺のある岩熊では、それぞれの地蔵さんで行うのでなく、蓮通じの境内に集められた地蔵さんで行います。
集落の小学生は四十人母五十人弱で、それを4班くらいに分けて、各班が出し物を決めて、、劇をしたり、合唱をしたり、手品をしたりと、子供だけでいろいろ考えて、夏休みの初めから準備を始めて、練習をして8月24日の夕方から、集落の人もお皆んな集まって、子供たちの出し物を楽しむのです。
班ごとに、劇ならダンボールで大道具を作ったりするのです、それも仲間意識が高まり楽しいものです。

盆踊り

夏休みも半分くらい過ぎた8月14日には、石段の下の広場(昔は番場と呼んでいました)に、やぐらが組まれ紅白の幕が貼られ、青年団の人たちが提灯に絵を描いて、やぐらから八方に張られた綱(今だとロープ)に提灯を吊るし、灯りを灯し、やぐらの上に依頼してきていただいた豪州の歌い手さんたちが乗り、小さい太鼓をたたきながら「江州音頭」を歌われ、やぐらの周りに踊りの人たちの輪ができ、グルグルと踊って回るのです。宵闇に浮かぶ浴衣を着て踊る人たちの様子が思い浮かびます。20年少し前から盆踊りも行われなくなり、また復活させたいと願ってます。

木之本地蔵縁日

夏休みの最後の楽しみは、木之本地蔵院浄信寺の縁日(8月22日から25日)です。これは今でも続いていて沢山の露店やいろいろな催しがあり(コロナウイルス蔓延でここ二年は露店の出店がされませんでしたが)湖北地域では最大の地蔵縁日です。昔はサーカスなんかも来ていて、夏休み最後のイベントで、これが終わると夏休みも終わり、私は両親が厳しかったので大抵宿題はそれまでに済ませていましたが、宿題が残っている人は、最後の追い込みで大変だったようです。
宿題が全部済んでいても、夏休みが終わるのは学校に行くのが嫌いではなかったのですが、なんとなく寂しい感じがしました。

まとめ

以上が私の子どもの頃の夏休みの思い出で、目をつぶれば鮮やかに思い出されます。五十年以上前のことでも、大抵の人たちは覚えているのではないでしょうか。それは思い出として、楽しいことも、辛いことも悲しいことも。思い出は今の自分があることの証であり、今後進むべき道の道標ともなるのです。人生最後の思い出は、人が亡くなってからの葬儀、お骨納め、年忌などの法要ではないでしょうか。
人生の締めくくりに、良い思い出を残すことは大事なことであり、そのお手伝いをするのが「恭敬の会」で、恭敬の会お送骨 訪問預骨、永代経、永代供養は負担にならず、後悔することなく、安心できるのと、いい思い出になるのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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