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宗教について

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2022.07.12

先日の凶行によって

本日は、先日凶弾にたおれられ、お亡くなりになった安倍元総理の葬儀が執り行われます。
犯人は、とある宗教団体に母親が入信して沢山の献金をさせられ破産して家庭が壊れたことを、安倍元総理がその宗教団体に関係していると思い込み、こともあろうか逆恨みして凶行に及んだとされてはいるが、真相はどうなのかわからない。
これによって宗教に対して国民が良い感情を持たなくなるのは懸念されることです。
 
画像は 安倍元総理の葬列が増上寺からでるところ

目に見えない神秘的なものや事柄に

人間は、目には見えない何か神秘的なものを畏れる、または惹かれる、という気持ちは誰しもあることではないでしょうか。
数年前に亡くなった漫画家の水木しげる氏の妖怪のこととか、昔話なんかを聞いて怖がったりし覚えがある人も多いでしょう。
私も暗いところや、夜一人になった時、何か気配を感じたり何かに見られているような感じがして怖くなったことがあります。
毎日届けられて購読している新聞にも、毎週日曜日の子供向けの紙面の最後に妖怪についての特集があり、歳を重ねた今では楽しんで読んでいます。
テレビなんかでもスピリチュアルという言い方をして、番組が組まれてたときが有りました。
又、血液型占い、生まれ月の占い、星座占い、方角の占い等たくさんの占いがあり、ついつい見てしまい、その書かれていることを気にすることも多いのではないでしょうか。
西洋でも東洋でも、メソポタミア文明でも、古代エジプトでも古来から、占いが行われそれによってまつりごとが行われてきたことからも分かるように、人間は、神秘的なものに弱かったり、惹かれたり、縋ったりするのは自然なことなんです。

画像はインタんーネットの本日の星座占い

宗教の種類

世界では三大宗教と呼ばれる、キリスト教、イスラム教、仏教という宗教があり、それぞれ沢山の信者があります。
日本においても仏教伝来以前からの神様への信仰と仏教が結びついて盛んになっていました。
日本仏教の祖師方(法然上人、親鸞聖人、道元禅師、一遍上人、栄西禅師 等)が学ばれ仏祖に奉仕されていた比叡山延暦寺は、都の鬼門にあたる地に建立され、その延暦寺を護る神社が日吉大社というように、歴史で習ったように「本地垂迹説」というように神様と仏様は一緒なっていました。
明治になり、国家神道を進めるために神仏分離となり、廃仏毀釈の嵐がっ吹き荒れ、神社と寺院は別のものとされてしまいましたが。
又、新興宗教と言われる宗教も、戦後に沢山(天理教は江戸時代末期)できて、それが沢山の信者を集め広まっていきました。
新興宗教の多数は、日蓮宗から起こったものが多く(創価学会、立正佼成会、霊友会等)、またキリスト教系では韓国で起こった統一教会、最近では幸福の科学といったような 様々な宗教があります。

浄土真宗は

阿弥陀如来が法蔵菩薩という菩薩の位のとき、今まさに如来になる寸前に、今から仏になるのだけれど、全ての人々が救われないのならブツにならないと願いを起され誓われ、その願いが叶って仏となられた、人間には煩悩があり、修行を積んで煩悩を無くし悟りを開き物になるのが望ましいのだけど、それはこの世において命がある限り煩悩から離れられず、なかなか難しいのであり、全ての人は救われないのであり、唯一阿弥陀如来の慈悲の救いによって、この世においては正定聚不退転という位(必ず極楽往生して仏となれる)に就くので、安心して与えられた人生を送りなさい、その有難いと思う気持ちで南無阿弥陀仏の念仏を称えればいいというものです。
だから、念佛を称えたらすぐに結果が現れるものではないのです。

結果をすぐに求める

浄土真宗だけでなく、既存の宗派では結果がすぐ現れる、ご利益がすぐ得られるということではありません。
禅宗でも、曹洞宗は座禅はお釈迦様あ悟りの境地に入られた過程の追体験で、その中にさたりはあるとしてますし、臨済宗でも、公案(禅宗の問答)は、悟りの境地に達するための手がかりであり、道標だとされてます。
天台宗も、戒率(仏の弟子として守らなくてはならない決まり事)を授けてもらい、自分自身に仏となる性(しょう)があるということを自覚し、修行に励む。
真言宗でm、真言密教によって、自分を見つめ、自分とは何なのかを知ることによって即身成仏を目標とする。
というように、結果がすぐにでるというものではないのです。

ところが、今の人達は結果をすぐに出てほしい、ご利益がすぐに得られるのを求めるというようになっていて、その心を利用するという宗教団体も出現して問題を起こしています。

まとめ

結果がすぐにでるわけではないのですが、亡くなった方の遺骨をただの物として扱うのではなく、依頼される方も遺骨となられた方も、お参りして預かり納骨することから安心でき、残された方も人生を豊かに過ごせる恭敬の会の訪問預骨、納骨、送骨は大事なことだと言えます。

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