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宗教離れ

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2023.06.27

宗教離れについて

以前(三十年くらい前)から「お寺離れ」ということが言われるようになりました。それが、最近になってお寺どころか「宗教離れ」と言われるようになり、それが加速しているのです。お寺離れとは、若い世代の人たちがお寺に親しみを感じなくなって、お寺に寄り付かなくなるという事でした。以前の田舎であったら朝起きたらお仏壇にお参りし、ご飯を食べて、でかけていく日常、または先祖の月命日にはおて次の住職がお参りして、休みの日であったら家族でお参りする、休みでなければお祖父さんかお婆さんがお参りするというのであ理ました。また日曜学校といって門徒(檀家)の子供達が月に一二度お寺に集まって、お勤めしたり、仏様の話を聞いたりうることがありました。それがが、都会に出ていき家庭を持ち、核家族化して日々の生活をするのに、手を合わせることがなくなり、亡くなった人もいないから住職がお参りすることもなく、お仏壇もないというようになっていき、お寺に行く事が少なくなっていき、お寺が日常から離れたっものとなり「お寺離れ」と言われるようになっていき、それが最近になって「宗教離れ」言われるようになり、それが加速しているのです。そこで以前のように煩わしいっことがなく、経済的な負担も少なく、拠り所としていき、日常生活がおくれるように「恭敬の会」が始まったのです。

昔の世界の人の生活は

現代の人間の祖先であるホモサピエンスが世界中に広がる前に居たネアンデルタール人の生活していて亡くなって埋葬されたと思われる洞窟に、花が供えられたと考えられる痕跡がありました。これは人が亡くなったのを供養する始まりかとも考えられ、宗教というのは自然崇拝、自然に対する恐れ、人に対する敬慕の念から起こったものだと思われます。人は自分の宝では推しはかれないことが神の力だと考え、古代ギリシャにおいてみ、ゼウスを始め沢山の神々がおられ、人々の崇拝を集めていました。キリスト教ができて、その後にイスラム教ができて、それらの神はこの世界を創造された方として、敬愛され崇拝され、神のお導きによって生活するというもので、日常生活も朝起きたら髪を崇め、昼においても夜にいても、神を崇め、心の迷い、弱りかけた心のより処は神様でした。だからあれほど立派な聖堂やモスクが建立され、それが今にも伝えられ、人々の集う場所となってきました。それが科学が発達し、神が創造したものというより、人間が作り上げていると思うようになり、生命の科学や倫理においても、人間だけの主張をする人々が増えてきて、神を大事にしない、宗教を必要としないと思う人が現れ、政教分離がなされた西欧においては「宗教離れ」が進んできました。イスラム教の国々においては政教分離がなされていないのと、イスラム教は日常の生活にしっかりと離れられないものとしてなっているので、宗教離れは進んでいないように思えます。

昔の日本の生活は

日本においても、昔は宗教が日常生活に溶け込んでいて、また宗教が生活そのものだったと言えます。縄文の時代、狩猟生活で人は集まって生活するようになり自然を恐れ崇拝するようになっていきました。弥生時代になると狩猟生活から農耕生活になり、天候によって作物の出来不出来が左右されるのを知って、自然に対する恐れや崇拝がなさっるようになっていきました。また日本書紀や古事記によって、知られていますが、日本は「豊葦原の瑞穂の国」といって、稲作を大切にして成り立ってきた国であることが窺い知れ、日本の神々も自然を敬うことから始まっているのではないかと考えられます。伊勢神宮をはじめとし各地の神社は農耕を大事にして、祭祀が行われてきました。仏教が伝わって大和朝廷はこれを受け入れ、日本には神と仏が増しますようになり、人々は崇敬し、日日のお生活の糧でもあり、心の拠り所となっていきました。奈良時代になり国家鎮護のための国分寺や総国分寺である東大寺が建立され、南都六宗と呼ばれる宗が出来上がって、それが平安京に移ると、伝教大師最澄の天台宗、弘法大師空海の真言が出来上がり、天台宗の比叡山からは浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗という鎌倉仏教が生まれ、日本の民衆に根を下ろしていったのです。そせて朝に礼拝、夕べに感謝という暮らして手を合わせて生活するようになっていったのです。

寺離れから宗教離れに

日本は大東亜戦争で敗戦し、アメリカの占領政策によって、まず国家神道を禁じられるようになり、生活も西洋化するようになっていき、高度経済成長で田舎から都会に人が集まるようになっていき、それまでの神棚や仏壇があって毎日お参りし親や祖父母の姿を見て、それに見習うようにする生活であったのが、仏壇も神棚もなく、手を合わせることがなくなっていったのと、教育において宗教について触れられなくなり、唯物論科学万能と思われるようになっっていき、親の背中を見て育つというよ入り、親のおようにならないようにするのが良いとされいきました。お寺や神社は心の拠り所でなくなり日常の生活には関係なく、ただの周りの風景となっていき、「お寺離れ」と言われるようになっていきました。それが、コロナウイルス感染症蔓延によって、人が集まるのは良くない、また新興宗教が人を集めるのにカルトとなって、人から金銭を収受バカりし、家庭を帆崩壊させ、その新興宗教の信者の子供たちが宗教2世問題などと言われるようになり、宗教そのものから離れていくようになってきたのです。

まとめ

宗教離れというのは、日本においては益々加速していき、このままでは神道も仏教も立ち行かなくなります。蓮通寺のある長浜市は浄土真宗が極めて盛んであっった地域で、お寺は各集落に二つとか三つあるのが当たり前の地域で、昔はお米や野菜をいただくことで生活していけましたが、現代ではそれでは生活できず、兼業寺院が九割の地域エス。そのようなことからお寺から出ていく寺族が続出しています。お寺がなくなるっとその門徒さん方も益々手を合わせなくなりり、宗教離れが進んでいくのです。お寺の行事を盛んにしよううと思っても、煩わしい負担がかかると言われるようになっています、そこで、少しでも手を合わせる生活の元とすることに役立つようになればと考えて行うようになってのが「恭敬の会」で、最初は礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、お勤めしお骨を預かって、本坊蓮通寺で納骨して懇ろに供養を行い、お骨を預けられた方々は、安心して三つ折り本尊を拝むようにされ、手を合わせる生活になっていき、お寺もただの風景でないと感じてもらえるようになっていけるとおみうのです。

恭敬の会、送骨、訪問預骨 供養

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