Blog ブログ

差別

ブログ

2023.05.24

世の中には差別が沢山ある

今の世の中、さまざまなことで差別があります。
それを全てのことに当てはめて、あれは差別だというのはいかがなものでしょう。
それは、仏様のことでもあるのです。「差別」(さべつと読んでウイキペディアには、差別とは、特定の集団に属する個人や、ある属性を有する個人に対して、その所属や属性を理由にして特えつな扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている)と載ってあります。
これは一般的な生活の音だけではなく、人が亡くなってからも起こりうることなのです。人が亡くなって事情によりお弔いができず、お骨もお墓に納められないことが起こってきていて、それを知った周囲から、誹謗中傷を受けて差別されるということも起こっているのです。恭敬の会ではそのようなことが起こらなようにするためにも、経財的や精神的に負担が少なく、煩わしいことがなく、きちんとお弔いができて、納骨してずっとお供養をしていけるので、言われない差別も起こらずに済むのです。

仏教で言う 差別とは

差別とは仏教の言葉で、「しゃべつ」と読み、区別することの意味で、全てのものがそれぞれ異なる独自の姿をして、多様なものとして存在している様子をあらわしていて、世の中に存在する全てのものの価値を認め、個々を認識するというものです。
これは、今一般的に使われている「さべつ」とは反対の意味なんです。
それが今ではしてはいけない事、人権侵害の最たる事の意味になってしまい、人としてしてはいけない事の最たるものになりました。
差別は「呉音」(ゴオン、お経を読むときに大抵はこのゴオンで読みます)では「しゃべつ」と読みます。区別、相違という意味で、現象世界の全てが区々別々であり、多様なものとして存在していて、すべての存在現象は相互に縁起することによって成り立っているところから、万法が一如であるとする見方があって、それに対して存在現象はあくまでも個々それぞれ独自であって、異なる相を持っているから、差別があるとするのです。
「種々の党類の差別に依って交互に相違す。品類の差別に五十五あり。諸の仏菩薩は他心智を以て十方の無量無数の有情の心の差別を智る」
悟りの上からは差別の見は捨てられるが、衆生の目は「相」を見るしかないので、差別があるとする。完全に区別を離れて平等であると見るならば、それは悪平等と言われるのです。菩薩の修行によって、自利利他の差別相を超えて、初めて円満な平等に達することができるのでし。

差別の種類

歴史的に見ると、差別には色々な種類があります。
先ず、「身分による差別」、これは前近代社会においては身分制を敷いた社会があって、近代化の過程で社会契約論などによって身分制は再編成されていき、階級制へと移行していきました。身分差別としては、穢れ、賎民、カースト、穢多、非人といったもの。 部落差別。家柄差別。敵対階層といったものがあります。
階級と職業に関する差別としては、プロレタリアート、フリーター、ニート、露場生活者、収入による差別、勝ち組負け組といったもの。学歴による差別。職業差別(土工、百姓、徴税人、と畜、性風俗産業に対する差別)。人種差別民族差別(代ギリシャのバルバロイ、中華思想などのように古来唐あってしばしば自民族中心主義お裏となって現れ、西暦十九世紀の西欧諸国では植民地交易を正当化するために、人種差別が科学と結びつけられたり、社会進化論や優生学を援用した擬似科学に根拠おおいたイデオロギーとなっていき、このような人種差別や植民地主義に基づいて先住民族の迫害や、アフリカの黒人を対象とした奴隷貿易、奴隷制が行われていたのであり、近代以降においては戦争や民族主義の台頭や、独立運動の抑圧によって様々な迫害や差別が表面化しました。西暦1930年代にドイツに登場したナチスは、ユダヤ人、ロマなどの差別、迫害を正当化する極端な人種差別政策を行なったし、アメリカ合衆国や南アフリカで行われた有色人種への差別政策は徐々に解消されていったのですあ、テロ、難民、移民の増加を背景とした特定の民族、宗教への排斥を正当化した極右思想や排外主義は今でも見られるのです。
文化差別には、哺乳類の肉を食する文化に対するものとして、鯨肉を食する。犬食文化。うさぎ肉を食する。カンガルー肉を食するというミノがある。
また、昆虫食に対する、爬虫類や両生類を食することに対する差別があります。
また、言語差別や地域的な差別、地方差別、国籍差別というものがあり、性に対する差別としては男尊女卑、女尊男卑、女性差別、男性差別というも己があります。その他、病人に対する差別として、ハンセン病、エイズ、コロナウイルスに対する差別ああり、能力に対する差別、といった種類のものがあります。

仏教の宗派においての差別

これは、東本願寺において昭和44年に起こった「開申事件」をきっかけにして、左寄りの僧侶達が東本願寺の勢力を利用して日本を左傾化しようとした取り組みに対して、宗派内の旧来のやり方を守ろうとする保守勢力との争いに発展し、左よりが上層部を牛耳るようになったために、保守勢力が真宗大谷派から離脱独立したのですが、それに対する嫌がらせ、差別の最たるもので、東本願寺紛争から四十年以上経っているのにも関わらず、滋賀県の長浜界隈ではいまだにこのような嫌がらせを行っていて、仏の教えを守り伝える者のすることではないのです。

まとめ

仏教の本来の「区別」の意味であった「差別」は、現在社会一般で使われる意味では、人を傷つけたり、嫌がらせをする意味になっていて、人間は生ている限り煩悩にまみれて、完全に無くすことは難しいのですが、この意味での差別は無くすように努力していかなくてはならないのであり、恭敬の会では少しでもそれの助けとなるべく、ただ郵便でお骨をように送るだけの「送骨」ではなく、僧侶がお家に訪れて礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めをして弔いを行い、お骨を預かって本坊蓮通寺で懇ろに納骨し、ずっと供養を行っていき、供養をできなかったことに対する差別がされないようにしています

送骨 恭敬の会 訪問預骨 供養

この記事をシェアする