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建国記念日

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2023.02.12

二月十一日

昨日の二月十一日は「建国記念日」です。恭敬の会とは直接関係がないように思えますが、我々日本人が毎日喜怒哀楽を繰り返して生活をしていけるのはこの国があってこそのことで、日本の国が建国された日を祝い喜ぶのはこの国に暮らすものとしては自然なことではないでしょいうか。この国があって、仏教を取り入れてきたから恭敬の会で行っている仏教での敬いや、儀式が行え供養が行っていけるのではないでしょうか。そこで、この国が建国された日を記念日として祝うのは、亡くなった方がたが供養することで往生浄土されるのを安心することと同じなのです。

世界の建国記念日

世界の各国でも、国家が独立したり連邦が構成されることで成り立った日を記念することは行われていて、我が国日本では二月十一日です。
国家によって建国した日付を決めるのかは様々あります。の名称も様々です。他の国家から独立、分離よって成り立った場合には「独立記念日」と言われていて、英語ではIndependence day,インディペンデンスデイと言われます。アメリカ合衆国では大西洋沿岸部に位置する13の植民地がイギリスとの紛争が独立戦争になりそれに勝利して西暦1776年七月四日に七月四日がイギリスから独立しアメリカ合衆国となった日です。フランスは西暦1789年フランス人権宣言が出されそれから革命が急進化して、バスティーユ監獄の襲撃などが起こり、七月十四日ルイ王朝が倒され共和制になった元となったフランス革命が勃発した日です。イギリスでは法律で定められた建国記念の日はありません。ドイツは第二次世界大戦によって東西に分断されていたドイツが、ベルリンの嘉べ崩壊によって西暦1990あいを十月三日に再統一され「ドイツ連邦共和国」となほとん日を記念日に制定しています。西暦1946年六月二日に共和制に移行する国民投票で王政が廃止され虚言う倭国になった日を記念日としています。オーストラリアは西暦1788年一月二十六日に、イギリスのアーサーフィリップ大佐に率いられた流刑囚がオーストラリアに上陸し、西暦1901年六つの植民地が連合して自治領として連邦を形成し事実上独立し、記念日としています。カナダは西暦1867年七月一日に1867年憲法法が採択され、カナダの名のもとに一つの自治領である連邦が作られました。インドは、古代からのインド各地の国がイギリスの統治するところとなり、西暦1945年民衆ニョル大規模なイギリスに対抗する暴動が起こり、西暦1947年八月十五日、インド連邦は独立しました。タイは、西暦1238年スコータイ王朝が成立して以来、アユタヤ王朝、ラタなコーシン王国となり、西暦1932年社務の立憲革命によって立憲君主制になった日を記念日としています。スイスは西暦1991年八月一日に、ウリなどの原始三州が、既得権益であった自由と自治を守るために誓約同盟を結成して、この日を建国の日としています。


日本の建国記念日

我が国では、初代の天皇陛下であられた「神武天皇」が大和国(現在の奈良県)橿原の地において即位された日である二月十一日を建国記念日としています。
神武天皇は天孫である瓊瓊杵尊の曾孫で鸕鷀草葺不合尊と玉依姫の第四子として生誕され、彦五瀬命、新羅王の祖とされちいる稲飯命、三毛入野命の兄がおられ、一月一日筑紫の日向でお生まれになり、十五歳で立太子され、吾平津姫を妃とされ手研耳命をもうけられ、四十五歳になられた時に日向の高千穂で葦原中国を治めるにはどこへいくのが適当かを相談され、東に向かうことにされ、東征を開始され、日向から宇佐に着かれ、ウサツヒコノミコト、ウサツヒメのお二人が足一宮を造って食事を差し上げ、そこから移動され筑紫国の岡田宮で一年過ごされ、さらに安芸国の多祁理宮で七年、吉備国の高島宮で八年過ごされ、速吸門で亀に乗った国津神会われ、水先案内人とされました。難波国の白肩津に停泊された際に、登美能那賀須毘古の軍勢がマイ構えていて、その軍勢との戦いで五瀬命が矢に当たってしまわれ、五瀬美琴は「我々は日の国の御子だから、日に向かって戦うのは良くない、まわり込んで日を背にして戦おう」と、もうされ、それで南の方にまわりこんで紀伊から熊野にいかれ、熊野で上陸された際に熊野の大熊が現れ兵士もろともきを失って終われました。そこへ熊野の高倉下が一振りの大刀を持ってきて、それによって目を覚まされ、その大刀を受け取られたら熊野の荒ぶる神は自然に切り倒され、兵士たいも目を覚ましました。また、高木下の命令で遣わされた八咫の烏の案内で熊野から吉野の川辺を経て宇陀に至られ、数々の苦難を乗り越え得られ、中洲(大和国)を征されて、畝傍山の盗難の橿原の地に都を開かれ、事代主神(大物主神)の娘の媛 ヒメタタライスズヒメを正妃とされ、西暦紀元前660年二月十一日に即位され初代の天皇となられました。

まとめ

世界各国でも建国記念日や、独立記念日を祝われているように、我が国が建国された日を祝うこちが行われるのは大切なことで、個人個人が自分たちが暮らしていることは、国があってこそということをかみしめることは必要であり、神武天皇の子孫の大和朝廷が仏教を受け入れることにされ、それに追って我が国に仏教が広まっていき、祖先を思い大事に思って供養することができるようになっていきました。だから祖先を敬うのと同じように大事なことではないでしょうか。それが色々な事情により葬儀が行えなかったり、墓地にお骨を納められなかった人々も供養ができて、丁寧に納骨して供養していける恭敬の会の趣旨を大事にすることではないでしょうか。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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