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得度式

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2022.08.11

得度式

毎年八月になると、京都の新聞や近畿のテレビのニュースに、クリクリ頭の小学生が得度したというニュースが流れます。
これは、九歳になった子供達(主にお寺の子供達が多いです)が夏休みを利用して一斉に大挙して得度(お坊さんになる)するのです。私も五十四年前の夏休みに得度しました。

得度とは

得度とは、僧侶いなるために剃髪して、師僧について出家の許可を受けることを言います。度とは迷いの海を渡って悟りの岸に到ることを言って、得度とは迷いの海を渡りきって悟りの岸についてしまったといういう意味なのですが、出家剃髪することは、悟りの岸に至る始めなのえ、それも得度と言います。得度は定められた儀式を行い師僧から受けて、その儀式を得度式、得度を終えたことを証明する文書を度牒と言います。

インドで

本来、出家得度というくらいですから、娑婆の家庭生活から離れて仏門に入って、修行に励み悟りを目指すことです。出家は、サンスクリット語ではピラプラジュヤ、もしくはプラブラジュタを訳した言葉で、自分の生まれた家、もしくは所属する家を出ること、またはその人の意味で、出家人、道人、沙門、比丘とも言って、一般的には僧侶と言います。
出家は、仏教が起こる前からインドではおこなわれていて、修行者が家から出るのに親権者の承諾を得て、師匠の元に赴き許しを得て剃髪し儀式を済ませたら、比丘、比丘尼、正学女、沙弥、沙弥尼、の五種類があって、沙弥、沙弥尼は十戒、正学女には六戒、比丘、比丘尼は具足戒を受けて、各々の身分となるのです。

浄土真宗以外では

出家得度は、日本でも娑婆の生活から出て、それぞれの師のもとで修行するもので、東大寺、興福寺、薬師寺などの奈良の仏教でも、伝教大師が開かれた比叡山でも、弘法大師の高野山でも、栄西禅師の臨済宗でお、道元禅師の曹洞宗でも、それぞれの家を出て、世俗を離れ戒を守り、男性僧の場合は女性と性的な関係を持たず、女性の僧の場合は男性と性的関係を持たず、ひたすら修行を行い、師匠から弟子に法が伝わるので、法脈と言われてます。
比叡山の座主(一般の寺で言えば住職)は、結婚されない親王や、同じく結婚されない摂関家の師弟がなられていて、そのお住まいを「門跡」と申すのです。

浄土真宗では

浄土真宗は、御開山親鸞聖人が、藤原氏の流れの日野家に生まれられ、幼くしてお母様を亡くされ、お父さんも亡くなられ、世の無常を感じられ九歳になられたとき、叔父様の日野広綱卿と、比叡山の門跡である「青蓮院」に赴かれ、師の慈圓僧正が日が暮れたので明日にしようと仰ったのですが、「明日ありとおもうこころのあだ桜 よわに嵐の吹かぬものかは」と読まれて、明日になったら嵐が来て散ってしまうかもしれないら、今行なっていただきたいのですとこたえられ、
それをお聞きになった慈圓僧正が感激され、すぐに得度式を行われ、比叡山で修行を積まれたのですが、どうしても悟りがひらけないのと、様々な悩みから比叡山を降りられ、法然上人のもとに行かれ、念仏して救われるということに感動され、これしかないと確信されたのと、六角堂に籠もれれたときの夢のお告げによって、慈圓僧正の姪で、関白九條兼実公の娘の玉日姫と、日本で初めて正式に僧侶として結婚され、家庭を持たれました。それによって、浄土真宗のお寺は世襲で子供が出家ではなく得度して、嗣ぐことになっていて、親鸞聖人が九歳で得度されたこといちなんで、東本願寺では九歳から得度できるのです。

水干を着て

東本願寺では九歳から得度でき、毎月得度式は行われるのですが、各地のお寺の子供達は夏休みを利用して得度式を受けることが多いのです。それは、剃髪しなければならないので、八月の始めに行われる得度式なら、髪の毛を剃っても、夏休みが終わる頃には少し毛が伸びて、友達たちからかまわれるというのが多少少ないのです。
得度式を受ける前に、得度考査というのがあり、お勤めができるかとかだけでしたが、地方で行われ(成人の場合は教義についての質疑応答はあります)ます。
そうして本山に向かい、前日に床屋さんで髪を剃ってもらい、当日の朝本山内の大寝殿に集合して、白衣を着て水干と呼ばれる白い装束(宗祖聖人が青蓮院に行かれたときのいでたちで、水干とは申してますが、紐で留めるのでなく、蜻蛉で止めるので、菊綴付き浄衣というのが本んと宇田とは思います)を着て(今はこの水管は着なく、白衣の上に浄衣と名付けられたちゃんちゃんこのようなものを羽織rようになってますが、白衣は下着なので、いくらちゃんちゃんこ見たいのを羽織っても、下着のままで人前に出て御堂に入るのはおかしいのではないかとは思うのですが)、白書院で稚児の盃をいただき(これも今はしないかもしれません)、御堂に行き、暗い中でお剃刀をいただき、大神殿に戻り、度朝をいただきます。その後、円山公園の近くの大谷本廟(今は祖廟と言ってます)に参拝して、一連の得度の儀式が終了します。

九歳で得度することについて

九歳で得度することについて、つい最近SNSなんかで、あれは得度するとかしない判断ができないような子供に、得度を強要すrのは人権侵害だ、などと主張する人がおられますが、善くも悪くも世襲だからお寺が続いてきたのには、大人になってからでは頭を剃るのは抵抗があるし、社会生活をするにも支障があるかもしれない(お寺の八割は他に職を持つ兼業だから)ので、子供の時に頭を剃っておけば、あとは剃ることがいらないのだから、というのもありますし、門徒さん達も、次の住職の候補ができたと喜んでくださるのですから、いいのではないかと思います。

まとめ

クリクリの髪を剃った子供達を見ると、目を細めて和んでしまいます。それについて今の自分の考え、尺度で批判し、それをやめさせようとするのは良くないもではないでしょうか。このことは亡くなった人達や先祖方に対する事柄(葬儀、法事、納骨等)についても言えることではないでしょうか。「恭敬の会」では、今の世状に沿っていて、負担が少ないながらも、古来からの儀式作法を大切に伝えています。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、広い皆様が安心せていただけることです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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