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恭敬の会のお供え『御鏡餅』

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2023.01.12

お供えをする気持ち

恭敬の会に限らずお寺でも一般のお家でも法要の際に仏様にお供えをいたします。それは仏様や神様、ご先祖方に対する崇める気持ち、供養をする気持ちを現すもので、お供え蘇せずにただ単にお勤めすれば良い、参拝するば良いのではなく、自分達が生まれてきて育ててもらい、今ここに居させていただくことは。神様や仏様、ご先祖方、それと両親がいてくださったからこそであり、育つ為には食物を食べなくてはならず、それをを感謝し、お供えをすることは自然なことで、以前は人から頂き物をした際や、初物を手に入れた時には、神棚や仏壇に一番にお供えをしていました。その中で、年の初めのお初月にお供えするものに「御鏡餅」があります。

お鏡餅について

お正月には神様にも仏様にも「お鏡餅」をお供えします。お鏡餅の名前の由来は昔の鏡に似ているということからきていて、鏡はこの世とあの世の境界と捉えられていて、昔の鏡は青銅製の丸型である銅鏡で、神事にも用いられるもので御神体されることが多いようです。また皇室の三種の神器の一つの「八咫鏡」を形どったものとも言われていて、三種の神機の後の二つの八尺瓊勾玉に見立てたものが橙(ダイダイ)、天叢雲剣に見立てた物が串柿であるとされていて、神様の場合は穀物神である「歳神」への供物で神霊が依李憑つく対象物の「依代」となる物です。 

御鏡餅の歴史

御鏡餅は平安時代には飾られていて、『源氏物語』には「歯固めの祝ひとして、御鏡をさへ取り寄せて」という一節があります。御鏡餅が現在のような形でお供絵されるようになったのは、床の間が造られるようになった室町時代以降のことで、武家においては御鏡には譲葉、熨斗鮑、海老、昆布、橙などの物を載せるのが通例とされ、これは具足餅(武家餅)と言われます。江戸時代の正徳二年(西暦1712)の『和漢三才図会』の巻十九には、文徳天皇四年(西暦675)からの習俗として「しとき餅」の項に、「御鏡是也」と解説がされていて、祭餅の図が描れています。これは稗団子(ひえだんご)の類で、古の人は黍や稗を多用していたのだが、江戸時代には鏡に似せて糯米(もちごめ)で円形に造るようになったため、俗に御鏡と呼べれるようになったとも言われています。「しとき」とは、アイヌにも伝わって、アイヌの文化では黍や栗の団子を「しと」と呼んで、女性用の首飾りのタマサイのペンダントヘッドに相当する円い金属の板を「しとき」と呼んでいました。

「古事類苑」

明治二十九年(西暦1896)から大正三年(西暦1914)に刊行された『古事類苑』の「歳時部」の歳暮 餅搗の項に、江戸時代前期の京都周辺の民間の習俗を採録した「目次紀事」から転載されたものとして、御鏡餅についての解説があり、旧暦の十二月末の夜に、倭俗として円形や菱瓢箪型の餅を搗き、それを神仏に供たり母方の親族に贈ることを鏡を据えるという、大きい円を鏡に似ていることから鏡と言う。その鏡餅の上に小さな円を載せることは義である。その形が天に相似ることから小さいものを星点といって、星空に似る星点を載せた鏡餅の色は黒かったようで、昭和十八年(西暦1943)4月10日の大阪毎日新聞に「昔でも代用食研究 食料問題の史的意義 本庄商大学長講演」と題する記事があって、そこには江戸時代の初期国民は一般的に雑炊または黒米飯を常食としたと記されています。また江戸時代の松尾芭蕉の俳句に「花にうき世が酒白く飯黒し」と詠んでいます。

御鏡餅の飾り方

一般的には大小二つの平たい形の餅との上に橙が載せられて飾られるのですが、地域によって様々違いがあり、餅が三段のものや、二段の上の方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻き状に丸めとぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々あり、上に載せる橙を蜜柑で代用することも多く見られます。三方に半紙を敷き、その上にシダ類の裏白を載せ、大小二つの餅を重ね、その上に串柿、干しスルメ、橙、昆布を飾るようになっています。

浄土真宗では

浄土真宗でのお鏡餅は、「修正会」(しゅうしょうえ)の荘厳として、大晦日の勤いの後に打敷水引を前卓に掛け、尊前にお供えします。本尊阿弥陀如来、祖師聖人の尊前には三段(本山本願寺は十段)もしくは五段の御鏡餅を一対供え、その他の尊前は二段の御鏡餅を一対供え、三方ではなく「折敷」(へぎとも呼ぼれる)に杉原紙の白紙を敷いてります。御鏡餅の上には橙を載せます。
一般門徒の御内仏には、本尊前の須弥壇もしくは前卓に二段もしくは三段の御鏡餅を一対お供えすます。

蓮通寺の御鏡餅

恭敬の会を主宰する蓮通寺の御鏡餅は、本尊阿弥陀如来の尊前は、須弥壇上に折敷の上に白紙を敷板上に七段の御鏡餅をお供え氏、その上に橙を載せます。宗祖親鸞聖人の御影前は、前卓に折敷を置き白紙を敷きその上に三段の御鏡餅を供え上に橙を載せます。その他の前住上人、聖徳太子、七高僧の尊前と、蓮通寺歴代の尊前は、折敷に白紙を敷き二段の御鏡餅を一対お供え氏、橙を載せます。御内仏、書院床の間、大日堂には折敷に白紙を敷いて二段一対の御鏡餅を供え橙を載せます。

まとめ

御鏡餅は、年の初めの大事なとき(仏教なら修正会、神道なら年頭の行事)においてのお供えとして一番大事なもので、日本が豊葦原瑞穂国と言われるように、稲作を大切にしてずっと続いてきたものです。最近は食生活も欧米化してご飯を食べない、お餅を食べないという人まで現れるようになってしまい、御鏡餅もビニールパックに入ったものを毎年使い回しするような人も増えています。それと同じように人が亡くなって行わなくてはならない御供養も、出来ないしないというようなことが起こってきています。恭敬の会では背えめて人の一生の最後の締めくくりである供養を、負担が少なく、しかしきちんと行えるように、僧侶がお家に伺ってお勤めしてからお骨を預かって納骨し、丁寧に御供養をずっとしていく「訪問預骨」によって、御供養をきちんと行っていけるのです。

訪問預骨 恭敬の会

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