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恭敬の会のお供養、葬儀の荘厳

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2022.11.17

葬儀のお荘厳について

恭敬の会では、お葬儀が行えずにいてお墓にも納骨できていない方々に対して、現在一般的に行われている郵パック等で送るだけの「送骨」と違って、僧侶が依頼された方のお家に伺って礼拝の対象の「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めをしてからお骨を預かり、本坊にて納骨して、懇ろに供養をいたします。だから何もせずに送るだけの送骨と違って後で後悔したり、心の中に気掛かりとして残ったりすることが無く安心していただくことができ、その後の生活や人生を意義あるものにできるのですが、葬儀の依頼があれば葬儀も行うのです。旧来葬儀はお隣や親類縁者が集まって準備をし、乾物を貼り付けたお供えや、山や野ある木の花を供え、咲かせる準備をして亡くなるのを待つことになる色とりどりの花を用いることはありませんでした。

葬儀のお荘厳の元となる、お釈迦様が涅槃に入られた(亡くなった)時の様子

仏教を開いてくださったお釈迦様は、釈迦族の王子として生誕され、何不自由のない暮らしをされていたのですが、世の無常を感じられ出家され、六年の歳月難業苦行の末に苦行では悟ることが出来ないことを知られ、苦行を捨ててナイランジャー河のほとりで水浴され身を清められ、村娘のスジャータから乳粥の供養を受けられ、衰えた体力の回復を図られ、菩提樹の木の下でお座りになり、瞑想にはいられ三十五歳で成道(悟りを開かれ)され、それから四十五年間にわたってインドの各地を布教して回られ、ガンジス川を渡った地でお腹を患われ涅槃に入られました、その際に付き従っていたお弟子のアーナンダーに「自らをよりどころとせよ、真理をよりどころとせよ、決して他のものをよりどころとしてはならない」と仰り、「自燈明、法燈明」という教えをお示しになりました。
この涅槃図にも描かれていて、少し見づらいですが、お釈迦様のお母上で亡くなった摩耶夫人は、雲のに乗って薬を届けようとされたのですが、間に合わずに涅槃に入られたのです。その時にお釈迦様は頭を北にされ、お顔を西に向けられ、右脇を下にされ田尾です。これが亡くなったら北枕にすることのもとになります。

紙の華

お釈迦様が涅槃に入られた(お亡くなりになった)際に、それまできれいに咲いていた沙羅双樹の花があまりの悲しみで枯れてしまったと言うことにちなんで、お葬儀のお飾りとして、紙の華(紙華、四華とも言います)を野卓の上に荘厳流のです。それは陰陽を現すために向かって左に銀を、向かって右手に金西って、一つの花瓶の四隅に一本ずつ四本、金銀合計で八本の切り裂き状(たまにループ状のを向けますが、ピンと張った切り裂き状が正しいです)の紙の華になります。

杉盛華束

野卓の上の鶴亀の燭台の後方には一対の杉なりに盛った華束餅をお供えします。
日本は豊葦原の瑞穂の国と言われ、お米作りが盛んで、そのお米から作られる「餅」を神事においても仏事においても必ずお供えされます。浄土真宗においても法要には華束餅と呼ばれるお餅をお供えし、年間で一番重要な法要のお「報恩講」では須弥山の形を表す「須弥盛華束」を何対もお供えし、その他の法要には「杉盛華束」と呼ばれる杉なりに盛られた華束餅を供ゲの上において供え、葬儀の場合は銀色の「供ゲ」の上に置きます。

根菓餅

野卓の上には「根菓餅」(コンカペイ)と言う、山の物、里の物、海の物の山海里の乾物を貼り付けた四隅に般若木と呼ばれる柱がある物をお供えいたします。
根菓子餅は、百味とも言って、正式には百台お供えするもので、奈良県の談山神社においてお供えされる「百味御食」(ヒャクミノオンジキ)が有名です。浄土真宗においては、乾物が主に供られ、山の物としては栗、ドングリ、胡桃などの木の実や、椎茸などのキノコ類があります。里の物としては、高野豆腐、饅頭、干菓子、ちまきなどです。海の物としては、海藻類の昆布、寒天などがあり、それぞれ重い思いの貼り付け方をして、決まりはなく、貼り付ける人によってそれぞれの様子になります。昔は東本願寺だけでなく、西本願寺でも供えられていましたが、現在では東本願寺には残っています。百台お供えされたお葬儀は、大正時代に行われた、東本願寺二十二代法主のお現如上人のお葬儀で、それ以降は数量を減らしてお供えされています。蓮通寺では山の物、里の物、海の物をそれぞれ一対ずつ、合計三対お供えしております。

六灯

根菓餅、杉盛華束、鶴亀燭台、金銀の紙華が載せられている「野卓」(のじょく)の左右には「六灯」(ろくとう)と呼ばれる蝋燭立てを三本ずつ立てます。
これは、葬儀のお勤めの中の、夜を通して遺体を守り葬儀の日を迎え、「出棺勤行」(しゅっかんごんぎょう)をお勤めし、門口(かどぐち、玄関の事)でお棺が家を出るお勤めをして、「葬場」までの未知の」辻々に蝋燭を立てていたことにちなんで、葬場の「野卓」(のじょく)の左右に片方三本ずつ、両方で六本の燭台を立て、葬場勤行の際に蝋燭に火を灯します。

まとめ

以上のような荘裏をして、葬儀を行うのが本来で、それは先に述べたようにお釈迦様が亡くなった時の様子「如来涅槃の儀」を守って行うことを大事にしてきたことなのです。それが戦後になり日本のきちんとしたしきたりを無視するようになり、また昨今では葬儀社の商業主義によって、華美になりあってはならない生の花で祭壇を組んだりするようになり、経費も相当かかるようになり、これに疑問を感じられる方や、葬儀が行えない方も出てくるようになりました。恭敬の会では、このような方々のためにも、本来の質素だけれど厳かな荘りの葬儀を行うとともに、葬儀が行えない方が
火葬して、お墓に納められず、ただ郵パックで送るだけの「送骨」をされ、後に後悔の念が心にの残されることを無くすためにも、僧侶が依頼された方のお家に伺って、礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めしてからお骨を預かり、本坊にて納骨して懇ろに供養をずっと行います。それによって後悔の念を残さず安心して暮らしができるようになるのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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