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恭敬の会のお供養の基本の月参り

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2022.10.22

月参り

恭敬の会でも、依頼があれば行うことの一つに月参りがあります。蓮通寺では毎月、ご門徒さんのお家に伺ってお経をお勤めし御文を拝読し、世間話などから始まるお話をしてからそのお家から退出することをおこなっています。お寺の近所の門徒さんから、県境に近い集福寺という集落、塩津中、長浜市中心部、敦賀市、遠くは京都市にお住まいの門徒さん数軒までを毎月訪れています。

月参りとは

月参りとは、毎月の決まった日(基本的には、直近に亡くなった方の月命日)にお家に伺ってお勤め(本願寺教団の場合は「仏説阿弥陀経」)をして、お話をしてお布施をいただいて帰ることで、亡くなった方を縁として、仏様の教えを聞いていただく毎月の機会とすることなのです。蓮通寺のある辺りでは「常時参り」(じょうときまいり)と申して今sが、他の地方では「常飯」とか、「お常飯参り」や「月忌参り」とか申しておりますが、一番多いのは「月参り」と言うことが多いようです。

月参りの始まり

江戸時代の初期にキリスト教が禁止され、キリスト教徒でないことを示す目的もあって、「寺請制度」が行われるようになって、門徒、檀家が一つの寺に固定されていきました。それは一つの集落で一つお寺というところもあったり、一つの集落に三か寺や四か寺というところがあって、それぞれのお寺に門徒、檀家として所属し、固定化されていったのです。
そこで、それぞれのお寺の門徒さん、檀家さんに毎月亡くなった方やご先祖の月命日にお参りをしてお布施を納めていただくことになっていったのが月参りの始まりです。

月参りのお勤め

月参りは、平生の装いである、襦袢の上に色服と呼ぼれる小袖の着物を着て(西本願寺では色服が廃止されているので白衣)、その上に間衣(お西では布袍)を着て、和袈裟、畳袈裟を掛け、念珠を左手に持って、お勤めする経本をも袋や鞄に入れて持ち、お家に伺い、立燭燃料香(蝋燭をたて火をつけ、線香にも火をつけ香炉に入れる)してくださっている場合は、そのまま仏壇の前に正座位してお勤めします。立燭然香されていない場合(月参りの時はこちらのほうが多い)には、用意してくださっている蝋燭を燭台に立てて火をつけ、線香を折り(浄土真宗では線香は立てません)火をつけ土香炉の中に寝かせて入れます。その後、威儀をを糺してが合掌しお勤めを始めます。
おつとめは、先、総礼(合掌)キン(りん)二打『仏説阿弥陀経』(皆切、阿弥陀経は三節に分かれていて、三節とも途中で切り、二節めの終わりにキン(りん)を一打します、あともう一つの二切は二節目と三節目を切らずに続けて読誦します)、キン(りん)一打、短念仏十遍(念仏の最初と最後にキン(りんを一打ずつ打つ)、和讃(随意、阿弥陀経の和讃の十方微塵絵世界の が多いようです)、添え和讃(和讃の一行目をお勤めせずに、二行目の最小の二文字か三文字を調声して、そのあと引き続いてお勤めします)、回向文(願以此功徳、最後うどんの一行でキン(りん)を三打)、総礼(合掌)、お参りしている方の方に向きを変えて、御文(お西は御文章)拝読(随意、五帖目の聖人一流か末代無智が多いようです)以上のようにお勤めをします。それに続いてお話しをします。

私の月参り

私が月参りを最初にしたのは、名古屋の同朋大学卒業した時、教員免許取得が手違いで単位不足となってしまい、一年間科目履修の聴講生をすることになったのですが、学科の部屋で、講師をされている先生に声をかけていただき、そこのお寺の手伝いをすることになったのが初めてでした。
お寺に伺い、御住職に会ってお話をし、毎日朝七時にお寺に行き朝食を食べてから、お寺の車を運転してお参りに行くというものでした。それまでの生活は朝の七時は夜中のようなものでしたから、大丈夫かと心配でしたが、なんとか起きられ、その当時住んでいた豊臣秀吉が生まれたという中村区から、お寺のある瑞穂区の堀田まで、車で三十分弱(朝早いので道路はガラガラ)かかり、お寺について朝食をいただき、それから月参り(はじめの頃は十軒くらい)です。最初は緊張(お参りする門徒さんにも慣れていないし)してゆっくりお勤めしていて移動の時間も含めて1時間に二軒のペースだったのですが、慣れていくと早く済ませたいという心が起こり、最高1時間に四軒回ってみたのです、移動の時間も含めてですから流石にお勤めが早いと苦情が来たので、一時間に三軒くらいになりました、瑞穂区だけでなく、一番っ遠いところは東名高速のパーキングエリアのある守山区まで回ったので、おかげで名古屋市内の道路をほぼ覚えてしまいました。早くお勤めしたのは、若かったのと、自分のお寺(蓮通寺)の門徒さんではないからという心があったのかもしれないかもしれません。

京都での月参り

昭和六十一年四月から、東本願寺(現在東本願寺派真宗大谷派に吸収され閉鎖登記)の外郭団体の納骨堂に勤務するようになり、そこの理事長(東本願寺連枝)が、納骨堂の直接の門徒さんを増やしたいと希望され、勤めている僧分はそれに応えるべく頑張って、月参りを勧めて行きました、それは大阪府までにも及び普通のお寺では考えられないような効率の悪さと言えなくみなかったのですが、ただお参りしてお経を読誦することではないことを勉強させていただけました。
それが、父がにわかに遷化し住職になってから、蓮通寺の門徒さんにお参りすることのためにすごくなりました。

まとめ

蓮通寺を取り巻く環境もすごく変化し、家が絶えてしまうところ、夫婦ともに働きにでて、留守をしているお年寄りがおられなくなると、月参りをやめてしまわれる家も出てきました。それとともに家の中が片付かなくなり、今までは一番大切な部屋であったお座敷が物置状態になってしまったりすることが起きています。月に一度お参りすることで、玄関からお座敷までが片付けられ整頓できるコットもあり、家が乱れることが少なくなるのと、お勤めのあとお話しして、それには旦那さんに対する愚痴や、色々な相談事や、自分が思っていることなどを話してくださることがあって、私は聞き役にまわることが多いのですが、それによって自分の中に溜まっていることを吐き出していただけ、そのことが言うなればご利益ではないのかと思うのです。だから、月に一度お参りしてお勤めをしてもらわないと気が済まない、来てもらえて話すことができて嬉しいとの声があります。
これこそが月参りの一番大事なことだと思い、我々僧分の役割だと強く思い、これをもっと知っていただきたいと頑張って行きたいと思ってます。
「恭敬の会」は、この、人の話を聞いて差し上げ、心のわだかまりを吐き出してもらう関わりを大事にしていくための会なのです。
恭敬の会の送骨 訪問預骨、永代経、永代供養は、お伺いしてお勤めした後に、出来るだけお話しをお聞きして、心っを軽くしていただけるようにいたします。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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