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恭敬の会の供養 帰敬式

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2022.11.14

帰敬式について

恭敬の会では、訪問預骨のご依頼を受けた際に亡くなった方の氏名、年齢、命日を知らせていただき、お写真も添付して送っていただきます。それは一般的なただお骨を送るだけの「送骨」と違って、僧侶がお家に伺ってお勤めする時に授与する「三つ折り本尊」に遺影写真を貼り、命日(お亡くなりになった年月日)、行年(仏教では生まれた時を一歳と数える数え年を用います)、俗名とともに「法名」をつけて書き込み、それを伺う僧侶が持参して授与して、お勤めをしお骨を預かり、本坊で懇ろに納骨して供養するのですが、その法名は、生きているうちにお剃刀の儀を受け法名を授与していただく「帰敬式」を受けて、仏弟子になっていただくのが本来の姿で、生きているうちに帰敬式が受けられなかった方のために、亡くなってから法名を授与するのです。

蓮通寺の報恩講で

蓮通寺の報恩講、結願日中にお参りされた、草津市在住のご婦人の今○さんが法要の後に「帰敬式」を受式されました。今◯さんとは、私が京都の某所に勤めていた頃に、当時向日市にお住まいで、今○さんのお父さんの葬儀に伺って、中陰参り、年忌法要に向日市のお宅に伺っていたのですが、その後東山区の青蓮院の近くに引っ越しされた後、草津市に移られお住まいになっていて、お伺いするのが途絶えていて、年賀状ののやりとりだけになっていたのですが、四年前にお電話をくださり、それ以降蓮通寺の報恩講結願日中に参詣してくださるようになりました。今年も参詣してくださるとのお電話で、帰敬式を受けたいと仰り、この度受式されることになり、式の後「釋尼恭泉」という法名を授与し、今○さんはとても喜ばれて安堵してくださいました。
受式された後にお話ししていたら、何故帰敬式を受けたいと思われたかについて、一人娘さんが居られたのですが今は結婚されて東京地方にお住まいで、ある時に今○さんが「私が亡くなったらどうする」と質問されたら娘さんは「何もせずに散骨したらいい」と返答されたようで、今◯さんはそれではあまりにも悲しいと思い、せめて本来のかたちである元気なうちに「帰敬式」を受けて「法名」を授与してもらっておきたい、そして亡くなった際は散骨ではなく、きちんと納骨して欲しいと思い、「帰敬式」を受けたと話されたのです。それによって、これから安心して生きていける、これからもっとお参りにきたいとも話されました。

帰敬式とは

帰敬式とは、一般の在家の信者が仏弟子として歩み始めるための儀式で、僧侶になるための儀式の「得度式」についで重要な儀式です。仏に帰依敬礼の意を表すためのもので、本尊阿弥陀如来と宗祖親鸞聖人の前で、仏教の教えにのっとって
「仏」「法」「僧」の三宝に帰依し、宗祖親鸞聖人が顕かにしてくださった「教え」によって生きていくことを誓う儀式です。帰敬式では受式者の頭の上に剃刀をあてて、髪を剃る形式をとることから「おかみそり」とも呼ばれます。受式した後に仏弟子としての名告りで、お釈迦様の一族になった証の法名の釋〇〇、又は釋尼〇〇が授与されるのです。帰敬式は以前は本山のみにておこなっていたのですが、近年では本山まで行くことができない人がおられるのと、より広い方々にも受けていただけるようにと、一般の末寺でも執り行えるようになりました。
法名の文字は釋または釋尼のあとは二文字で、聖典から選んで付けるのですが、名前の一字を入れることが多いようです。しかしどうしても名前の文字が使えない場合もたまにはあります。

帰敬式の流れについて

帰敬式の流れとしては、先ず開式の辞、次に「三帰依文唱和」、次に後僧によって肩に手拭いを掛ける、次に「剃刀の儀」、次に「執行の辞」、次に「法名伝達」、次に「誓いの言葉」、次に「法名授与」の順になります。
帰敬式における持ち物は、必ず念珠を手に持ち、できれば門徒式章(門徒袈裟とも言います)を掛けていただくのが望ましいです。
服装は、ラフなもの、華美な物やあまりにカジュアルなものは避けて、肌の露出を避け、アクセサリー等は控えます。
男性はビジネス等での装いが良く、女性は過度な露出のない落ち着いた装いが良いです。
剃刀の儀の前に唱える「三帰依文」は、古代中西部インドのアーリア系言語を代表するパーリー語で、「南無帰依仏 ブッダンサラナンガッチャーミー」、「なむ帰依法 ダンマンサラナンガッチャーミー」、「南無帰依僧 サンガンサラナンガッチャーミー」で、「南無」は、パーリー語の「ナマス」を漢字に当てはめたもので、言うなれば「信順してお任せします」という意味です。「帰依」は、心から信じ心のよりどころとすることを指しています。「仏 法 僧」の「仏」は、目覚めたという意味で、最初に目覚めた=悟りを開いた、お釈迦様を指しています。次に「法」は仏が説かれた教えを指します。次に「僧」は、個人としての僧侶を指しているのではなく、サンスクリット語のサンガ=僧伽といって、仏の教えを学び伝える人々の集まり、衆、和合衆のことを指します。お釈迦様が仏教を開かれてからずっと仏弟子になる時は、この三帰依文を唱えているのです。
お剃刀の儀は、刃のない剃刀を頭に当てて、髪を剃るモモで、僧侶になる得度では、髪を剃るのですが、帰敬行きにおいては、髪を剃ることはせず、剃刀を頭にあてて髪を剃るということにするのです。執行の辞は、お剃刀を行った僧侶(本山であれば門跡もしくは連枝)が帰敬式を行う方への言葉を述べるものです。
法名伝達は、法名を読み上げることです。誓いの言葉は、受式者が仏弟子として歩むことを誓う言葉を述べるものです。法名授与は、たとう紙に包まれた法名を受式車にお渡しすることです。

まとめ

生きていて元気なうちに「帰敬式」を受式して法名を授与されることは仏教徒として大切なことであり、望ましいことであります。しかしながら現代生活において仏教徒としての心情を守り、それによって生活をしていくことはなかなか難しいのであ李、又、法名や戒名は死後につけてもらうものだという意識が一般的には強く、又戒名をいただくにあたっての懇志金が考えられないくらい高価となってしまったいては、戒名なんか必要ないと思う人が多くなっているのが現状で、恭敬の会では、皆が等しく仏弟子となられることを大切にするため、法名を授与するにあたっての懇志金は頂かず、訪問預骨の依頼をされたら法名を授与しております。
これは、一般的な送骨ではないことであり、恭敬の会の大事な特徴でもあるのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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