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恭敬の会の供養 臨終から納棺までの流れ

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2022.12.18

恭敬の会と葬儀

恭敬の会では、主に亡くなった後に僧侶が訪問して礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、丁寧にお勤めをしてお骨を預かり、本坊にて納骨し懇ろに供養する「訪問預骨」を主体としていますが、ご依頼があれば葬儀も行い、その場合は略式の葬儀ではなく、きちんと法式に則った心のこもった葬儀を行います。死は人生において誰一人として避けることができないことであり、葬儀は人生の最後の締めくくりで、不思議なご縁によって結ばれた、人と人との今生で最後のお別れの儀式です。亡き人に心からご苦労さまでしたと頭をさげ、その人を縁として自分の人生を大切に生きる心を新たにするもので、浄土真宗では葬儀を単なる別れを告げる「告別式」にはせずに、厳しい生死無常のお知らせと受け取り「お弔い」と呼んで、亡き人を偲びつつ念仏のみ教えに出会う厳粛な仏縁としてきたのです。それで人生の最後の締め括りの儀式を行えなかった方々のために恭敬の会の訪問預骨によって、人生の締めくくりの儀式を行えるのです。

葬儀について

葬儀から、中陰を通して、悲しみは悲しみのままに、亡き人の願いを聞き取り本当の人生とは何かを問いただしたいもので、「追善供養」という言葉を聞くことがありますが、あとに残った私たちが一日も早く亡き人が心配されずに、確かな人生を歩むもとなることが亡き人の願われることであり、それこそが故人への供養だと言えます。葬儀の習慣には現実には沢山の迷信が行われています。例えば友引に葬儀を行うと葬儀が続くというようなものがありますが、私達はそんなことは言わずにしないといけません、このような迷信は自分が困るから行っているのです。愛おしい肉親さえ死者になったら彷徨う魔物のように考える人間の身勝手さを考えなくてはなりません。迷っているのは亡くなった人ではなく、生きている私達自身なのです。肉親の死という現実、これほど辛く痛ましい出来事はありません、恩愛の情はどれほど道理や理屈がわかっていても断ち切れるものではありません。葬儀は、不思議な深い縁にむすがれた、人と人との人生の最後の別れの儀式です。それと同時に生あるものは必ず死に帰すという、生死一体の人間のありのままの姿を教えていただけるもので、「他人が死ぬのではない、死ぬのは自分である」という事実を我々に教えて下さっている場なのです。葬儀は単に遺体を処理することの代名詞ではなく、亡くなられた方が、生きて在しますが如く「人の一生の生涯を荘厳する」に相応しいものでなくてはならないのです。

臨終について

今は,家でお亡くなりになることがほとんどないと言っていいほどになりました。先日蓮通寺の御門徒のお婆さんが夕方に家で急になくなったら、救急車とともに警察から刑事が来て事件性がないかを調べて、一緒におられたご主人に尋問して、半分疑割れているよいうだったと話しておられました。救急車で病院に運んで検死をしていたいが家に帰ってきたのは二十二時過ぎでした、家族を亡くされたのにすごく嫌な思いをされたとのことでした。亡くなる寸前に医師を呼び亡くなるのを看取ってもらえたなら、警察が来ることはないのでしょうが、だからか、たいてい亡くなる前には病院に入院され,医師と看護師に看取られながら命終をむかえ,死亡診断書を書いてもらい遺体を運んでもらうために葬儀屋さんに連絡し寝台車で遺体を家に運んだあとお寺に依頼して、枕勤めを行います。

枕勤め

ご遺体が家にお帰りになったら、お内仏を中心として仕度をを行い、お内仏を正面にできない場合は臨終仏を奉懸して荘厳をととのえます。ご遺体をお釈迦様が入滅された故事に習って「頭北面西」にして安置するのが望ましいのですが、家の配置や向きによっては必ずしも方角にこだわることは必要でなく、あくまでもお内仏を西とみなして安置します。お内仏もしくは臨終仏の前には三具足(燭台、香炉、花瓶)を置き、花瓶には樒を束ねて挿します。ご遺体は軽いお布団で覆い、手には念珠(故人が使われていた物)を掛けてあげて、お顔には白い「面布」で覆います。ご遺体の前には小さな机か台を置き、香炉を載せ「不断香」(遺体からの匂いが部屋中前有らないように、線香などのお香を絶やさず燃やしておくこと)を用意します。それができたらお手次のお寺の住職にお願いしてきてもらい、そのあと故人の今生での最後のいとまごいのお勤めである「枕勤め」を執り行います。枕勤めは遺体にお経を聞かせるために読経することではなく、故人が今生最後の暇乞いを本尊に向かって行う勤行を、個人に代わってお勤めするもので、遺体に向かってするものでなくご本尊に向かって行います。

お内仏の荘厳、納棺

枕勤めが終了したら、お内仏の荘厳を整えます。中陰用の打敷があるお家は、中引用の打敷を前卓と上卓にお掛けし、花瓶には樒やチシャかけなのの「木花」(キバナ)を挿し、色とりどりの生の花は挿しません、またお悔やみに来られた方々の為にお焼香してもらえるように、香炉と香合を準備し香炭に火をつけておきます。枕勤めが済むと、遺体を棺に納めます。その際には「死に装束」と呼ばれる三角巾や手甲脚絆、わらじなど必要なく、故人が愛用された服や着物を着せて差し上げるのが良いでしょう。お寺では長く使った装束を着せや袈裟をかけます。それは長い年月功徳を積んだものと一緒にという意味なのです。また棺に生花を入れるこおも致しません。

まとめ

以前は、亡くなられると、隣近所が集まってきてくださり、葬儀の準備を据えてして下さっていたのですが、昨今は近所との付き合いが希薄になりつつあり、また葬儀社に任せっきりになっってしまっていることが多いのですが、親しい人の人生の最後の儀式を葬儀社任せでなく、意味について考えていくようにすることも必要なことでないでしょうか。これらのことを恭敬の会では大切にしていきたいと思っています。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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