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恭敬の会の供養、墓じまいについて

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2022.11.27

墓じまい

最近マスコミ等で取り上げられていることがらに「墓じまい」ということがあります。
恭敬の会では、お墓を事情により持てない、お墓に納骨出来ない方々のためにも、一般的に行われている単に送るだけで供養も何しない「送骨」と違って、僧侶がお家にお伺いして、礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めをしてからお骨を預かり、本坊にて納骨して懇ろにずっと供養していくことをおこなっていて、依頼された方々も、亡くなった方に対しても後悔の念がおこることなく、安心していただけることですが、それは事情によって「墓じまい」される方々も対象となっていて、そのような方々も真に安心していただけるのです。
「墓じまい」とはどう言うことかといえば、従来は今まで在った墓が主に跡継ぎが居なくてお参りする人がなく雑草が生い茂るなどして管理が出来なくなってしまい、周りの墓の方々にも迷惑がかかりやむなく墓石を外し、お骨を取り除き無縁墓等に移して更地にすることでした。最近では、先祖が埋葬されている墓地がある地域に住まなくなり、お参りしなくなったから、先祖の眠っている墓地を壊して、自分達の住む近くにお骨や墓地の土を移すということが行われるようになってきました。

墓じまいと言われるようになる以前の「改葬」

世間で「墓じまい」ということが言われるようになる以前からお墓を壊して更地にするということは行われていました。それは後継者が居なくて、家が断絶してしまいお墓の管理が出来なくなって、やむなくお墓を壊すということはずっと昔からあったのです。それは例えば京都市の円山公園の東南にある「東大谷墓地」(京都市の墓地で管理を真宗大谷派が行っています)では年間管理費が何年間か滞って連絡がつかない墓石について、新聞公告を出して連絡が来ない場合には、墓石を外してお骨等を無縁墓地に移し更地にして、墓地の空きを順番に待っておられる方が墓石を建立されていました。また、私が以前に二十数年前まで勤めていて納骨の担当をしていたことがあった東本願寺の外郭団体が運営管理する納骨堂にも、九州などの故郷に両親もいなくなっしまい遠く離れていてお参りがなかなか出来ないからお墓を移したいとの相談が何件もありました。その際には私はその墓地は年間管理費等の管理費が必要な墓地かどうかを確認してもらい、管理費等が必要でない場合や地域の古くからの集落の共同墓地などの場合は、お墓の墓石を壊して全部を移すのではなく、ご先祖はそこで生まれ育ち生活して亡くなられその地の土となられ眠っておられるのだから、一部を移して墓地は残しておいた方が良いですよと返答して、大抵の方はそれに納得して一部だけを移しておられました。

墓じまいという表現

以前からお墓を移したりする「改葬」は行われていて、改葬する前の墓地を管轄する保健所に赴き改葬許可証を申請し、改葬許可が降りて許可書発行されたら、埋葬してある墓地で御移徙のお勤めをしてもらってから、お骨や土を出して、墓石を石屋さんに外してもろあい、処分してもらい、新しく移す墓地または納骨堂に改葬許可書を提出して改葬を行います。それが昨今は「墓じまい」なる表現が作り出されマスコミでも取り上げられるようになりました。それは、田舎や離れたところにあるお墓を始末して自分の近くのところに移して、お参りブースでカードキーを挿入したらお骨が目の前に出てくるとか、雨の日でもお参りしやすいとか、駅から歩いてすぐの立地の室内墓で便利とかいったキャッチフレーズで宣伝していて、自分達の都合で墓じまいしてお骨を移すというものが多いのです。

高校の同級生の話

私の高校の同級生で、総合病院でレントゲン技師をしている友人がいるのですが、ある時に久しぶりに電話がかかり、何事かと思ったら、「息子が千葉に住んでいて、結婚して家も建ててこっちには帰って来なく、自分達夫婦も生まれ育った近江長岡から出て、両親も亡くなり家も潰したから、墓じまいしてしまおうと思ってるんだけど、どう思うかな」という話でした。私は前に勤めていた時のことを例に挙げて「ご両親やご先祖が埋葬されている墓地は、年間管理費等が必要なのでなかったら、できれば墓じまいはせずに残しておいた方が良い」と返事しました。それと「先祖は、近江長岡で生まれて生活され亡くなられて葬られて安心して眠っておられ、見ず知らずのところへ行きたいとは願ってはいない、そんなことをしたら先祖に祟られるかもしれないよ、それに息子さんは千葉に移り住んでいるけれど、その子供は千葉でずっと住むとは限らないし、千葉から移ったらまた墓じまいして移すのかな、それこそ先祖方は喜ば図、怒るかも知れないよ」と返事しました。同級生は納得してくれて、墓じまいはしないことになりました。

まとめ

以前の、どうしようもなく改葬してお骨を移すというのから、昨今の墓じまいは、先祖のことやこれまでの経緯を考えずに自分達の都合だけで簡単に墓じまいしてしまう傾向があり、これでは供養することが軽んじられて、目先のことしか考えない「唯物論」だけの社会になってしまう恐れがあります。また、立体駐車場と同じように、機械でお骨を目の前に出してくるようなものは、メンテナンスを続くなくてはならず、メンテナンスしていてもいずれは壊れてしまうものです。それではずっと続く供養にはなラズ、恭敬の会の送骨である「訪問預骨」は、僧侶がお伺いし丁寧にお勤めしてから本坊にて納骨し、永代にわたって供養を行うものですから、全ての方々が安心していただけることなのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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