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恭敬の会の供養のお供え ご飯

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2022.11.23

仏様へのお供え ご飯

恭敬の会は、一般的に行われている「送骨」のように、ただ郵パックでお骨を送るだけというのではなく、僧侶が依頼された方のお宅に伺って、礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めし、その後にお骨を預かり本坊にて納骨して懇ろに供養していくので、ずっと安心していただけて、僧侶がお伺いする際に大層なお供えやお荘りは必要ないのです。お骨を預かってから礼拝の対象としていただく「三つ折り本尊」を日夜拝んでいただき、個人を偲んでいただくようになるのですが、亡くなった方の祥月命日などには、できればご飯をお供えしていただけることが望ましいことではあります。一般的に仏事には必ず「御仏供」(おぶく)と呼ばれるご飯をお供えします。そのお供えするご飯もその年のに取れた新米をお供えするのは世間一般と同じ「新嘗祭」の頃になります。

御仏供とは

仏様にお供えするご飯のことを「御仏供」(おぶく)といって仏様のご飯という意味です。仏教を開かれたお釈迦様は、悟りを開かれ始めて教えをお説かれた「初転法輪」から、お弟子ができて僧伽(サンガ、修行者の集まり、教団)が形成されていき、人々から布施をしていただき日々の糧を得て食事をできるのですが、それが一日に一度、午前中だけでした。それにちなんで仏教では、朝のお勤め(晨朝)の後にご飯をお供えして(これが「朝飯前」という言葉の語源)、正午の前にお控え(お下げ)してそれを昼食(お斎)としていただいています。浄土真宗では御本尊の阿弥陀様にニふく(お釈迦様のお姿で阿弥陀様を現しているので)お供えし、宗祖親鸞聖人の前に一ふく、その他に御影にも一ふくずつお供えします。東本願寺では炊きたての白米を「盛槽」(もっそう)と呼ばれる突き出して盛るものを用いて仏器に盛りつけ、西本願寺では丸く小山のように盛り付けます。それは東本願寺は蓮の実を表して、西本願寺では蓮の蕾を表しているのです。

ご飯(お米)をお供絵すること

ご飯(お米)をお供えするようになったのは、米作が中国の長江流域の湖南省周辺で始まり、それがインドのアッサム地方に広がり、日本にも江南の方から伝わっていきました。お釈迦様が仏教を開かれた頃にはインドでは米作が盛んに行われていて、お釈迦様の仏教教団の人々が托鉢をされ日々の糧を得られる際に、人々はお米を施されたのです。有名な話ではお釈迦様のお弟子の目連尊者が、悟りを開かれ神通力を持たれ、目連尊者のお母様を神通力の一つの天眼通で探されたところ、餓鬼道に落ちておられ、すぐさま飛んでいかれお母様に食物を差し上げられたのですが、口に入れる寸前に炎となってしまい食べることができず、それを嘆かれお釈迦様に相談され、お釈迦様は目連尊者だけの力では救うことはできない、僧伽の人々に施しをしてその功徳で救われると、教えていただかれ、目連尊者は托鉢をされ、頂かれたお米を炊いて全ての槽伽の人々には差し上げることはできないので、水粥にして施され、蘇に功徳で尊者のお母さんは餓鬼道から救われたという説話があることからもわかります。それからもわかるように仏様の教団ではお米を施してお供え一番大事なお供えとして、それがずっと続いているのです。

日本において、お米を供ること

日本は、別名を「豊葦原瑞穂国」(トヨアシハラノミズホノクニ)と言われるように、中国の兆候流域で始められた米作が、江南地方から日本に伝わってきて、米作がとても盛んになり、各地の弥生時代の遺跡を復元した建物でもわかるように、湿度とネズミなどから米を守るように高床式の倉庫が作られるようになって、大和朝廷が日本を収めるようになってからは米作の収穫が行われた時期に収穫祭とも言える「新嘗祭」(ニイナメサイ、シンジョウサイ)が一番大事な宮中祭祀として行われるようになりました。宮中の「神嘉殿」(シンカデン)に紙座と御座をお作りし、十一月二十三日の夕方に天照大神と天神地祇(全ての神様)に神膳を供え、天皇陛下自らも食事を共にされます。日が明けた二十四日の早朝にも、同じように食事をされながら神々をおもてなしして、感謝の示してお見送りをされるという儀式で、古来より天皇陛下が神と交わる大事な日で、特別な祭祀とされていて、この新嘗祭が済むまでは新米は食べることはできないのです。これは一年に一度なのですが、これが天皇陛下が践祚され即位の大礼を行われたときのものが「大嘗祭」なのです。この新嘗祭に使われる新穀は各都道府県から二ヶ所ずつ選ばれた農家が献上いたします。

勤労感謝の日

新嘗祭は明治六年(西暦1873)から昭和二十二年(西暦1947)まで国民祭日として行われてきましたが、敗戦後GHQの占領政策の一環として、宮中祭祀のである新嘗祭を国民の休日から切り離すという措置とられ、休日としては残すものの名称を変更することになって、それが「勤労感謝の日」となったのです。それはアメリカでも同じ時期に「サンクスギビングデー」があって、「収穫祭」の意味があっ他ことが理由とされるようです。それは「収穫」とすると農業などに偏ってしまうかもしれないので、全ての勤労に対するとして「勤労感謝」となったと考えられます。いづれにしても収穫を感謝することで、日本人の主食のお米を大事にすることなのです。

まとめ

仏様のお供えとして一番大事にする「お仏供」と神事の神膳とは共通するもので、収穫に感謝し、施しに感謝し、人々に感謝することなのです。これは仏教に基づいて行われる恭敬の会でも同じことで、収穫や施しに感謝し、先祖や社会に感謝することから、何もせずに郵パックで送るだけではなく、僧侶がお伺いして、お勤めをしてからお骨を預かり、本坊にて納骨して懇ろに供養をずっと行うことが感謝を示す\ことなのです。

送骨 恭敬の会 訪問骨

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