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恭敬の会の送る骨で座ることについて

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2022.10.18

恭敬の会の送る骨でお勤めに際に座ることについて

恭敬の会で、お宅にお伺いしてお勤めする際には、基本的には正座をしてお勤めして、お骨を明日かって本坊蓮通寺の内陣でお勤めします。蓮通寺では毎日、御堂でお勤めする際、正座をします。
昔はほぼ全ての家で正座して三食食べていました、ドラマなんかで見かける「ちゃぶ台」と呼ばれる机の周りに正座して食べてました。
最近は、食事もテーブルに椅子、居間にいてもソフアーなどに腰掛けることが多いので、正座することはあまりなくなりました。それに法事のなんかでも正座しても長くは座っていられない人が大多数です。毎日常に正座しないと無理もなことです。
それに正座はそんなに古くからのものでもないのです。

日本の気候

日本の気候は、ドイツの気候学者のケッペンによる気候区分では、ほぼ温帯湿潤気候か冷帯湿潤気候に属して、世界的に見ても四季がはっきりしていて、気温の年較差が日較差よりも大きいのであって、降水量が多く、梅雨や秋霖の影響で降水量の年変化が大きいのが特徴です。
一部には例外があり、青森県や岩手県の沿岸部、北海道の道南の沿岸部には西岸海洋性気候が分布し、群馬県や宮城県の一部には、温帯夏雨気候のところがありますし、富士山頂や大雪山頂付近はツンドラ気候で、石垣島や西表島、小笠原諸島は熱帯となっています。
地球温暖化や都市化が進んだことによりヒートアイランド現象が、日本でも起きるようになってます。

日本の家は

日本の家は、湿潤な気候に合わせて作られていて、昔から家を建てるときは夏に合わせて建てるように言われてきました。弥生時代の遺跡を発掘して復元された高床式の建物などのように、また有名なものでは「正倉院」のように、地面から結構高いところに床が張られています。それは湿潤な空気によって建物がしけないようにするためなのです。それに合わせて建物内には履き物を脱いであがるようになってました。欧米なんかは靴を履いたまま家に入り生活しますが、日本ではそうならず、床に座ることになりました。

座り方の色々

座り方には沢山の種類があります。
「正座」、江戸時代に幕府によって小笠原流の礼法が武家の礼法に採用され、茶道でも広まったもので、神様や仏様にお参りする時はこの正座です。
「跪坐」つま先を立てた正座で、神道、弓道や空手、古流の剣術の控えの姿勢で、足が痺れない正座なので、避ける、反撃するなど即座に反応しやすいのです。変安時代から室町時代まで、目上の人に対する下級武士や従者の座り方とし、膝頭を開脚した跪坐も見られます。
「片膝立」中国、インドなどにも見られ、立膝tも言われます。また古代エジプトの壁画にこの座り方が沢山描かれていて、エジプト座りとも言われます。
日本でも中世以前においては一般的な座り方で、今でも能の控えの姿勢や、古い居合術の座り方として残っていて、立膝における後ろ足は、たいてい星座のように尻の下におり敷くのですが、膝頭を開脚させて胡坐のように横に倒すこともあって、これは楽立て膝とも、歌人が歌を詠む際にとった姿勢の歌座や、如意輪観音の座り方の輪王座とも言われます。
「胡坐(あぐら)」、両膝を左右に開き、体の前で足首を組んで座るもので、正座が苦手な人はたいていこの座り方をします。足は痺れないのですが、背中が曲がると腰が痛くなります。
「安座」、胡座の足を組まない座り方で、古い居合術の形に大座という名称で残っています。
「結跏趺坐」、仏教やヨガなどに見られる座り方で、坐像の仏像はこの座り方です。
「合蹠座」、日本では貴人の座り方で、両膝を左右に開き、体の前で足裏を互いに合わせた座り方です。
「蹲踞」、剣道、相撲などの競技前にするつま先で体を支え、足お開いて踵に尻を乗せ背筋を伸ばす座り方です。

正座

小笠原流礼法によって武家の礼法の座り方となり、あらたまった席にはこの正座で、「かしこまる」と呼ばれることで、神前や仏前のどでの儀式や、家臣が主君に対してかしこまる時の座り方で、入澤達吉という医学博士の「日本人の座り方に就いて」という論文には、元禄から享保の時代に広まっていったのが有力な説になっていて、また三代将軍家光が臣下に正座を命令したという説もありますが、それは長い時間正座をすれば足が痺れて、襲おうとしても足が痺れて立てなくなるということもあったのかもしれません。

まとめ

内陣、余間、矢来内に出仕して法要を行う僧分の人たちは、儀式や作法が台無しになるのと、正座でないと声が出し難いので、正座をいたしますし、これからも続けていきますが、参詣の方々には、現代の人たちは、日頃から正座することは少ないので、御堂における法要の場合も、真っ先に埋まるのは椅子の席です。だから蓮通寺でも常に椅子が沢山並べてあり、報恩講の場合には椅子をもっと増やしています。それは無理に正座して足が痺れ苦痛を感じながらお参りしてもらうのでは、法要が苦痛になってしましますし、お参りしようという気持ちお起こらなくなるかもしれません。だからそれは時機に応じることが大事かと思うのです。
「恭敬の会」は現代の時機に応じるようにすべく、経済的にも日々の習慣においても、負担を少なくして、その上で厚く丁寧に供養を行えるようにと考え始められたものなのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は現代の時期に相応しています。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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