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招き猫

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2022.09.29

招き猫の日

九月二十九日は「招き猫の日」です。
平成七年(西暦1995)招き猫の愛好家が集って結成された「日本招猫倶楽部」によって制定されました。く(九)るふ(二)く(九)、くる福という語呂合わせで九月二十九日が、より多くの人々に魅力を知ってもらうことを目的としています。

招き猫とは

招き猫(まねきねこ)とは、前足で人を招いている姿すをしている猫の置物で、猫は農作物や解雇を食べるネズミを駆除するためもあって、養蚕の縁起物でした、養蚕がおこななわれ無くなってからは、商売繁盛の縁起物とされています。
右手(右前足)を挙げている猫は金運を招いて、左手(左前足)をあげている猫は人(客)を招くとされていて、両手(両前足)を挙げているものもあります。
一般的には三毛猫なのですが、最近では地の色が伝統的な白や赤、黒色の他にピンクや青、金色のものまであって、色によって「学業向上」青は「交通安全」、ピンクは「恋愛成就」などといった意味が異なります。黒い猫は日本では「夜でも目が見える」等の理由で「福猫」と言われていて、魔除けや厄除け、幸運の象徴とされていて、黒い猫は主に魔除け厄除けに意味を持っています。また赤色は疱瘡や麻疹が嫌うとされる色とされていて、紅招き猫は厄除けの意味を持っているのです。

招き猫の由来 今戸焼説

今戸焼説
江戸時代の地誌である、『武江年表』の嘉永五年(西暦1852)の項に、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧さであいねこを手放したところ、その猫が夢枕に現れて「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言って、その猫の姿の人形を今戸焼の人形の焼き物にして浅草の三社の鳥居の横で売るようにしたところ、たちまち評判となったという逸話があり、古い伝世品や遺跡からの出土品から、江戸時代の今戸焼の招き猫のがあったことは確認できて、嘉永五年の記述と符合します。有坂与太郎の『郷土玩具大成』によると、今戸は招き猫の唯一の生産地とされていて、最盛期は文化文政年間(西暦1804〜1830)になってからだとされ、当時は猫と狐は今戸人形を代表しているとされています。
子これとは別に、平成の初め頃から、浅草の今戸に鎮座する今戸神社が、平成の招き猫ブームや縁結びのパワースポットのブームに乗って、自ら「招き猫発祥の地」として看板を掲げて、沢山の招き猫が奉られるようになって、その論拠は9の今戸八幡が今戸焼の産地である浅草今戸町の産土神であったということによるものなのですが、古い文献には旧の今戸町と旧の亀岡町との結びつきを示す記録はなく、平成の招き猫ブームや、新、縁っ結びパワースポットなどに伴って、マスコミなどに対して、発祥の地と名乗るようになったと考えられます。

招き猫の由来 豪徳寺説

世田谷区の豪徳寺が招き猫発祥の地とする説で、
徳川家の先鋒を務める彦根藩の二代目藩主、井伊直孝が鷹狩の帰りに弘徳院という小さなお寺の前を通りかかった際に、この寺の住職が飼っていた猫が門前で手招きをするようね仕草をしていたので、井伊直孝の一行は寺に立ち寄って休憩をしたと頃、急に雷雨になり雨に降られずにすんだことを直孝は喜んで、寛永十年(西暦1633)この寺に多額の寄進をして、井伊家の江戸での菩提寺と定め、豪徳寺と寺の名前を改め、住職はこの猫が死んだ後、墓っを建てて弔ったのです。それが後世になって招猫堂が建立され、猫が片手を挙げている姿をかたどった小福招猫がつくられるようになったという説です。また同じ豪徳寺説でも、別の説があり、それは井伊直孝一行が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをして、直孝はその猫に近づいたところ、雨宿りをしていた木に雷が落ちて、難を逃れることができたことに感謝して、豪徳寺に多額の寄進をしたという説で、この猫が彦根の有名なキャラクターの「ヒコにゃん」のモデルとされています。
この二つの説が有名なのですが、他にも新宿区の自性院という説もあります。
これは、江戸城を最初に作った太田道灌が戦で劣勢に立たされていたところ、黒猫が現れて手招きし、自性院に案内をし、これをきっかけにして道灌は盛り返すことができて、この猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵を経由して招き猫ができたという説です。
また、豊島区の西方寺が発祥だという説もあって、西方寺が吉原遊廓に近い場所に在ったころ、吉原の花魁が「玉」という猫を飼っていて、厠に入ろうとしたところ猫が着物の煤を噛んで離さないので、駆けつけた楼種よが猫の首を切り落とすと猫の首は厠の下に潜んでいた大蛇を噛み殺し、花魁は自分を守ろうとして猫を死なせてしまったことを後悔して、西方寺に猫塚を建立して、猫を祀っって、猫を失って気落ちしていた花魁に馴染み客が猫の木彫りの像を花魁の死後に西方寺に寄進し、それが縁起物として広まったという説ああります。

招き猫の生産地

招き猫の生産地は、一番沢山生産しているところは、愛知県常滑市で、その他としては愛知県の瀬戸市で、ともに陶器生です。また他には群馬県の高崎市で、ここは木型に和紙を貼り付ける張り子によるものです。

まとめ

招き猫は招福のシンボルとして、日本の人々に親しまれていて、我が家でも「とと丸」という猫を飼っていて、彼は我が家の癒し担当をしてくれていて、いつも家族を和ませて癒してくれています。たまに招き猫のようなポーズで寝ていたりして、癒しという最高の福をもたらしてくれています。これこそ招き猫だといえると思っていて、感謝しています。福をもたらしてくれるのは感謝の気持ちを持つことからではないでしょうか、それは一番身近では父母、兄弟、祖父母、そして亡くなった方に対する感謝の念が大事なのです。「恭敬の会」は、感謝の念を表すのに、どうしたら今の世相に相応し負担が少なく、煩わしいことがなく、しかし丁寧に供養して感謝の念を示すために、僧侶がお伺いし、礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、丁寧にお勤めしてから、お骨を預かり、納骨して供養するのです、それによって感謝の念を示すことができるのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は感謝の念を示すためにあるにです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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