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拝む

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2023.02.09

拝むとは

恭敬の会では、事情によりお葬儀が執り行えなかったり、墓地や納骨堂に納められなかった方々のために、僧侶がお家に訪問して礼拝の対象としていただける「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めをしてお家の方々とともに拝んで、お骨を預かり、それを本坊蓮通寺にて納骨して懇ろに供養していきます。その際には皆さんでてを合わせて拝みます。
「拝む」とは、両手を合わせて、頭をさげ神仏に祈ったり願ったりすることで、敬いの心を現す姿で、人間が敬う対象(自然や神、仏)に対して敬いの気持ちを示す時に行うものです。

祈る

「拝む」と同じよな意味でうに使われるものとして、「祈る」ということがあります。「祈る」には二つの意味があり、一つは神や仏に対してお願い事をして、目的が達成できるように願うということで。例えば重い病気にかかって治癒がなかなか難しい状態になったとし、もう手を尽くすことができないから神様や仏様にお願いをかけることがあります。これは「病気が治りますように」と心の中で思ったり、声に出して神様や仏様に願うのです。もう一つは、こうなって欲しい、叶って欲しいと心から思うような時です。子供が出掛けていて夜遅くになっても帰ってこない時なんかに、不慮の事故に遭ったり事件に巻き込まれていないか心配になり、「子供が無事に帰ってきますように」と心で思ったり、声に出したりすることがあり、これを「無事を祈る」といいうのです。

神社に参拝

「拝む」の一つに神社に参拝することがあります。神社に参拝する際は、神社の外と内を分ける意味があるり、鳥居から中は神様の領域であることを示している「鳥居」の前に立ったら、目上の人の家に訪れる心持ちで、先ず一礼します。次に「正中」(せいちゅう)と呼ばれる、神がお通りになる道である参道の真ん中を避け、少し左右に寄って参道を歩き、拝殿などのお参りする場所の近くには「手水舎」(てみずしゃ、ちょうずしゃ)があるますから、そこの水で身も心も清める「禊ぎ」(みそぎ)を行いかます。右手で手水舎の水盤の柄杓を持ち、水を汲んで左手を洗う、次に左手に持ち替え右手を洗う、また右手に持ち替えて左手の掌に水を受けて柄杓に口をつけないようにして口をすすぎます。柄杓を立てて残った水が柄杓の柄に流れるようにして、柄を洗います。拝殿あいをに進み、お賽銭の箱の上に「鈴」がある場合は、鈴の音色で参拝者を祓い清める意味があるので鈴を鳴らして気持ちを整え、お賽銭を賽銭箱に投げ入れ、「二礼二拍手一礼」の作法でお参りします。最初に姿勢を正し、深いお辞儀を二回する。次に胸の高さで右手を少しずらして手を合わせ、肩幅程度に両手を開き、二回打つ。次に手をきちんと合わせて、心を込めて拝む。最後に深いお辞儀を一回する。というような作法でお参りします。お参りが済んで境内から出るさいにも、鳥居のところで立ち止まって振り返って一礼して退出します。

お寺のお参り

お寺にお参りして「拝む」には、先ず境内の入り口(門がある場合は門扉の外で、門柱の場合は門柱より外で)一礼して神社に参拝するのと同じように心を整え、参道を歩き、手水舎がある場合は手を洗ってから御堂の向拝に進み、向拝では履き物を脱いで上がる御堂の場合は履き物を脱いで、脱がなくても良い御堂の場合はそのまま進み、御堂に入る前で立ち止まり、軽く会釈をしてから御堂に入ります。御内では焼香卓があり焼香できるようになっていたら、先ずお志であるお賽銭を賽銭箱に入れ、自分が思い上がっていないかへりくだるために軽く会釈し、香合もの中のお香を右手でつまんで香炉に焚べ(その際宗派によっては仏法僧も三宝を敬うということで三回焚べるところもあり、額におし頂いく場合もあります)お香を焚べた後に数珠に両手を通し合掌します。合掌を解いたら、また軽く会釈して次の方に順番を譲ります。数珠は、お寺にお参りする際には必ず持参します、それは数珠をかかてお参りしないと、仏様を手掴みにするのと同じことになると言われているので、できるだけ手掴みはしないほうが良いということで数珠を掛け拝みます。また、お香をおし頂かないようにするのは、いくら高価なお香であったとしても、仏様の世界に比べたら高価とは言えないので、浄土真宗においてはお香はおし頂くことはいたしません。お賽銭もお願いを聞いてくださいと願いを込めて賽銭箱に入れるのではなく、感謝の気持ちを込めてお賽銭を入れます。お参りは法要があるに日時には、法要の前にお焼香して、法要の途中に退出するのではなく、方よが済むまで静かにお参りしたほうが良いと思われ、やむを得ず退出する場合には、他の参詣者の方々に迷惑をかけないように、静かに目立たないように退出するのが望ましいです。

まとめ

「拝む」ことは、自分に願いを叶えてもらうため、自分の希望を進めるためではなく、敬いの心、崇敬の心を表したもので、神社のお賽銭もお寺のお賽銭も、ここk路ざしを納めますから願いを叶えてくださいではなく、ありがとうございますという、感謝の心や敬いの気持ちから納めるもの立ち言えます。拝むとは感謝であり崇敬でなくてはならにものでしょう。恭敬の会では感謝の念を持って遺骨をお預かりして、のこつし供養を行っていくのは、拝むことの本来を続けて伝えていくことを大事にして行っています。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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