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敬老の日

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2022.09.19

敬老の日について

本日九月十九日は令和四年では「敬老の日」です。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和二十三年七月二十日法律第178号)で「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを主旨とした日で、あいにくの天気となってしまったので延期されるところもあるかもしれませんが、各地で敬うのと祝う行事がおこなわれます。

敬老の日の歴史

兵庫県の中央部、丹波山に囲まれた風光明媚な兵庫県多可郡野間谷村(現在は高町八千代地区)において、昭和二十二年(西暦1947)九月十五日に、野間谷村主催の「敬老会」が開かれ、これが「敬老の日」の始まりとされています。
これは野間谷村の村長であった門脇政夫氏が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と言う主旨から行われたもので、九月十五日と言う日取りは農閑期にあたって、暑さが落ち着きかけて気候が良い九月中旬にちうことで決められました。昭和二十二年の頃は戦後すぐの大変な時期で、子どもを出生させた家の親も沢山いて、みんなが精神的にも疲労の極みの状態でした、そんな中門脇村長はそのような親の人たちに報いるべく、「養老の滝」の伝説にちなんで、九月十五日を「としよりの日」として、五十五歳以上の人を対象として敬老会を開催したのです。

全国的に広がる

昭和二十三年(西暦1948)七月に、「国民の祝日に関する法律」が制定され、「子どもの日」「成人の日」はえらがれたのですが、老人の日は選ばれなく、門脇村長は兵庫県の各市町村に呼びかけて、敬老会の活動の輪を広げていきました。昭和二十五年(西暦1950)、兵庫県が「としよりの日」を制定しました。昭和二十六年(西暦1951)、中央社会福祉協議会が九月十五日を「としよりの日」と定めて、九月十五日から二十一日までの一週間をその運動週間としました。昭和三十八年(西暦1963)、老人福祉法で、九月十五日が老人の日、九月十五日から二十一日までを老人週間として制定し、翌年から実施されることになりました。昭和四十一年(西暦1966)、国民の祝日に関する法律が改正されて、国民の祝日である「敬老の日」が制定され、老人福祉法においても「老人の日」が「敬老の日」に改められました。

九月十五日

「敬老の日」は、野間谷村の敬老会が起源で始まりなのですが、その敬老会が開催された九月十五日については、昔、美濃国の貧しい木こりが、深い谷の岸壁から流れ落ちる水を眺めて、あの水が酒であったら、老いた父あ喜ぶだろうと思い、父がその酒を飲んでよろこぶ姿を思い浮かべていた時に、足を滑らせ岩から滑り落ち気を失っってしまっって、しばらくして気がつくと酒の香りがしてきて、辺りを見回すと近くの岩の間から山吹色の水が湧き出ていて、舐めてみたところ酒の味がして、それを汲んで持ち帰り、父に与えたところ、飲み干した父がすっかり若々しくなって、大喜びしたのです。この話が平城の都に伝わっていき、元正天皇が霊亀三年(西暦717)九月に、この滝に行幸され、この湧水を飲まれ「老を養う若返りの水」と仰られて、養老の滝と命名され、年号を「養老」に改元され、全国の高齢者に品々を下賜されたことにちなんだというのと、推古元年(西暦593)九月十五日に、聖徳太子が浪速に四天王寺を建立され、それと同時に悲田院と現代でいう社会福祉施設の「四箇院」を設立されたことによるとが日付に根拠になっていると言われています。

九月第三月曜日

平成十三年(西暦2001)、祝日法が改正されて、土曜日、日曜日い、月曜日が三連休になるように、一部の祝日が固定された日からあ特定の週の月曜日に移動になるという、いわゆる「ハッピーマンデー制度」の実施によって、平成十五年(西暦2003)からは九月の第三月曜日となりましたが、奇しくもその年の九月第三月曜日は九月十五日となって、九月十五日以外になったのは平成十六年(西暦2004)からでした。敬老の日が第三月曜日に移動することになる時。賛否両論が出て、敬老の日の元となった敬老会を最初に開催した門脇元村長や、財団法人全国老人クラブ連合会も反対しました。

我が国の老人の割合

令和三年(西暦2021)の時点での65歳以上の人口は、3640万人で、前年より22万人増えて、総人口に占める割合は29、1パーセントとなり、国民の約三割が65歳以上となって、これから益々その割合は増えて行くことかと考えられます。昔は65歳というと本当にお年寄りという感じでしたが、昨今では八十歳を越てやっとお年寄りといえるくらいになってきていて、皆さん元気な方が増えています。それとともにお勤めの定年が、以前は55歳だったのが60歳になり、65歳定年というところも増えてきています。働くのも70歳以上でも働く人も増えてきていて、これからは歳が重なって入ってもやり甲斐を持って生きていくことが増えていくようです。

まとめ

敬老の日は、今まで社会のためにつくしてきて下さった方々を敬って感謝し、長寿を祝うので、65歳以上でしたが、その年齢でも元気に働かれる人が増えて、これからはそれより十歳くらいは上がるかもしれません、それは総人口に占める老齢人口の割合が増えるからでもありますが、歳を取ってもそれぞれの人々には役割がある、やりがいがあるということでもあると言えます。役割ということで言えば、「恭敬の会」は、このままだと丁寧にお供養せずに、お悔やみもされずに、ただ送られってお骨を収められる散骨されてしまうことが増えて、後で後悔する人がでできて来るのを、少しでも少なくすることが役割だと考え発足しました。それは負担が少なく煩わしいことがなくて丁寧にお供養を行って、お骨を納めるために、僧侶がお伺いし、礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めしてから、お骨を預かり納骨するということなのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、時期に相応していることなのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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