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松上げ

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2022.08.23

松上げについて

八月の下旬になると、「松上げ」と言われる神事が京都市の左京区の山間部の花背、広河原、久多で行われます。松上げは京都と若狭を結ぶ街道周辺の山村で地蔵盆の時期に行われる火祭りで、松上げは山火事を恐れ、防火に霊験がある愛宕神社を崇拝する愛宕信仰が起源となっています。京都に町の人々の台所にはたいてい愛宕神社のお札の「火廼要愼」と書かれた火伏札が貼られています。

愛宕神社

愛宕神社は全国に九百社ある愛宕神社の総本社で、山城国と丹波国の国境にある愛宕山(標高924メートル)の山頂に鎮座する神社です。古くから比叡山と共に信仰を集めて、神仏習合の時代は愛宕権現を祀る白雲寺でした。
大宝年間(西暦701〜704)に、修験道の開祖の役小角と、白山の開祖の泰澄によって朝日峰に神廟を建立されたのが、始まりとされています。天応元年(西暦781)に慶俊僧都と和気清麻呂によって中興されて、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立され、山中に唐の五山に模した白雲寺、月輪寺、神護寺、日輪寺、伝法寺の五つの寺があったようです。その後は神仏習合で修験道の聖地として信仰を集めて、修験道の霊山として七高山の一つに数えられ、『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡阿多古神社」記載があるが、これは亀岡市の愛宕神社を指すと思われ、この時代に本殿には愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵が、奥の院に愛宕山の天狗の太郎坊が祀られていました。江戸時代には勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院などの社僧の住まいの坊舎があり、繁栄していたのですが、明治時代の神仏分離令によって、白雲寺は廃絶され愛宕神社になるとともに、勝軍地蔵は大原野の金蔵寺に移されました。

松上げの柱松

松上げは、「松の柱松」(はしらまつ)「灯籠木」とも言います。の準備から始まります。それは、杉の葉っぱなどが詰められて燃えるようになっている逆円錐形の傘がついた高さが約10メートルから20メートルも及ぶものです。
こんなまっすぐで高いまつがあるのも山が深くて、手入れが常に行われているからなんでしょうし、住民の人たちの意気込みも感じられます。

手松明(上げ松)、地松

手松明(上げ松)は、10センチほどの檜の割木を束ねて荒縄をつけてたもので、法被を着た人たちがこれに火をつけ灯籠木の上の籠にむけて投げ入れるのです。
地松は、1、5メートルの竹の先に松明をつけたもので、灯籠木場一帯に約千本の地松が立てられます。

灯籠木

聖火台とも思えるもので、高さ10メートルから20メートルにも及ぶ、檜の大木の先に竹で作った直径2メートル、深さ1、5メートルの逆円錐状の大籠を取り付けて、木枠に立てて固定されます。大籠には杉の枝葉がいっぱい詰められます。松上げは神事ですから、現在でも参加できるのは男性に限られていて、灯籠木場の入り口には赤傘の高張提灯が掲げられ、結界が造られます。

地松への点火

神社に奉納された種火が祭壇に運ばれ、ここから男衆たちが持つ松明に火が移され手灯籠木場に向かいます。時間になったら用意された約千本の地松に火が灯され、灯籠木ばは火の海のようになり、幻想的な空間となります。

上げ松が投げられて

まず、古老が灯籠木の大籠をめがけて上げ松を投げ入れるのを合図に、灯籠木の周りから次々と競って上げ松が飛び交います、円を描くようにくるくると上げ松を振り回し勢いをつけて一斉に放り上げる様子は、まるで運動会の玉入れ競争のを連想させます。上げ松の一つが大籠の中に入ると歓声が上がり、これを「一の松」と言って、これを投げ入れた人は一年の無事があると信じられています。
それから、大籠の中に上げ松が次々と投げ入れられていくと火柱が上がって炎が乱舞して、大籠が燃え尽きる頃には灯籠きが倒されるのです。
約三十分くらいの時間ですが、地松の炎の梅に囲まれて上げ松が描く炎の軌跡と、大籠の火炎の共演は、幻想的でこの世とあの世をつないでいるとも、山の民だからこそ、火を恐れ、山を大事にすることが窺い知れ、自然への畏敬がこれを生み、伝え守られてきたことがよくわかります。

まとめ

今から二十年ほど前、京都にまだ住んでいる頃の今に季節ですが、子供たちと一緒に蓮通寺に帰ってきていて、上の娘が小学校で、夏休みの思い出と学校が始まった時の同級生たちとの話の種になるかと考え、岩熊から京都へ帰る時間を早めて、松上げ見物の人たちが沢山来るので、良い場所を確保するために、夕食用のお弁当を持って広河原の松上げを見ることにしたことがあったのですが、下の息子はまだ赤ちゃんでしたから、内室殿に抱っこされているのでよかったのですが、上の小学生の娘は待つのに飽きてしまい、ふくれっ面で駄々をこねていたのですが、松上げが始まって幻想的な雰囲気に驚きと感動したのか、駄々をこねるんはどこかに行ってしまいました。
私達夫婦も、今までにない幻想的な様子に見惚れて感激したことがありました。
本物に出会うと大人も子供も同じように感激するのであり、感激したことは、忘れていてもふとしたことで、思い出します。松上げなあの感動をまた味わいたいと、これを書いていて思っています。「恭敬の会」では、感激や感動していただけるようなお勤めを目指していて、会の一同は毎日儀式作法、声明に励んでいるのです。それによって心のこもったお勤めをして、ご依頼された方々に感動と安心していただけるようにいたします。
恭敬の会の送骨 訪問預骨、永代経、永代供養は、皆様に方々の安心につながります。

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