Blog ブログ

桜の花

ブログ

2023.04.02

桜の花の頃

桜は、春になると桜色と表現される白や淡紅色に綺麗な花を咲かせて人々の目を楽しませてくれます。長い寒い冬が終わり、お彼岸が過ぎて日が長くなっていくと人々はいつ桜の花が咲くのかということを話題にして、日本列島を南から北に向かって桜前線が上っていくということをニュースでも話題になっていきます。以前では桜は四月の花として、入学式のシーズンに桜の下で写真を撮るということがよく行われていましたが、三十年くらい前に三月末にサクラが咲いたと言われるようになり、今では春の彼岸が過ぎる頃に咲くようになり、三月末には満開となるようになってきました。桜の花は咲き出したら一気に咲く出して満開になり、一週間ほどで散ってしまうので、潔いことの象徴のように考えられていて、平安時代後期の西行法師は「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」と和歌を残され、その通り桜の花の頃に往生されました。
恭敬の会を主宰する蓮通寺においても、桜の花の頃にお骨を納めたいと依頼してこられるかたがたくさんおられ、墓地や本堂の須弥壇に納骨される方がおられます。また、恭敬の会の送骨である、僧侶が訪問して礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前でお勤めをしてから骨を預かる、「訪問預骨」をもし込まれる方も、桜の時期には増えてまいります。

桜の花

桜はバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹で、一般的には春に桜色と表現される白色や淡紅色から紅色の花を咲かせます。桜はシベリアから日本、アメリカ合衆国、中国、カナダなどの、主に北半球の温帯に広範囲に自生するもので、日本には歴史的に見ても凄く馴染みの深いものです。変異しやすい特質を持っていて、特に日本で花見を目的として栽培品種と栽培品種が沢山作り出されてきました。そのうち花見用として最も多く植えられているのが「ソメイヨシノ」で、観賞用として「カンザン」などもあって、日本由来の栽培品種が世界各国に寄贈されて各地に根付いています。有名なものとしてアメリカ合衆国の首都ワシントにサクラが友好の証子として寄贈され、今では毎年綺麗に咲き誇って「桜まつり」が盛大に行われています。

桜の種類

桜の種類は「白山桜」、「染井吉野」、「河津桜」、「八重桜」、「枝垂桜」、「江戸彼岸桜」、「大島桜」、「寒緋桜」などがあります。
「白山桜」は、吉野の桜で有名な奈良県の吉野山を覆い尽くす桜で、日本固有の品種で江戸彼岸桜に次いで長命な品種で、花びらはは白から薄紅色の花を咲かせ、下千本、中千本、上千本、奥千本と山の麓から山の上にm向かって咲いていき、三万本とも言われる日本一の桜の名所です。
「染井吉野」は、江戸時代の後期に江戸の近郊の染井村の植木屋が山桜の名所として有名な吉野の桜のブランド名を借りて、エドヒガンを母とし大島桜を父とし作り上げた栽培品種て、日本中に広まっている桜で、現代の桜の代表的品種です。
「河津桜」は、比較的早い時期から咲き始める早咲きの桜で、静岡県の河津で発見されたことから名付けられました。
「八重桜」は、たくさんの花びらが重なっている桜で、染井吉野などは花びらは五枚ですが、八重桜は六枚以上で一番多いのは百枚以上によび、「牡丹桜」の別名があります。
「枝垂桜」は、枝が細く柳のように大きく垂れ下がっている桜で、花びらの色は薄い紅色から濃いピンク色までさまざまあって咲き方も一重から八重までありmす。京都の円山公園の枝垂桜が有名で、沢山の人々が鑑賞しています。
「江戸彼岸桜」は、桜の品種の中で特に寿命が長い品種で、原種の桜の一つです。病害虫にも強く圧倒的に寿命が長く樹高が30メートルを超すものみおあり、巨木になりやすく、岐阜県尾根尾にある樹齢千五百年以上の「薄墨桜」が有名です。
「大島桜」は、もともと伊豆諸島の大島に分布していた桜で、海沿いに自生するため潮風にも強く、育てやすいことが特徴で、各地に野生化して街路樹や公園樹として植えられることが多い品種です。
「寒緋桜」は、早咲きの桜の中でも特に色が濃くて美しく、緋桜と言われるように緋色の美しい鮮やかな色の花びらの花を咲かせる品種です。

親鸞聖人と桜

親鸞聖人は、父上の日野有範卿、母上の吉光女様が亡くなられ、九歳の春に叔父の範綱卿にともなわれ、慈圓僧正を戒師として得度されるために粟田口の青蓮院に向かわれ、日が落ちて暗くなったもで、慈圓僧正が暗くなったから得度は明日にしようと仰られたのですが、松若丸(のちの親鸞聖人)は、「あすありと おもうこころのあだざくら よわにあらしの 深ぬものかは」と歌を詠まれ、明日があると思っていても、桜の花は夜中に嵐が吹いて花が散ってしまうこともあリマス、から今すぐに得度させていただきたいですと、気持ちを示され、そのお心にうたれた慈圓僧正は直ちに得度式を執り行われ、親鸞聖人は「範宴」となられ、比叡山に登られ修行生活をお粉荒れることになったのです。

まとめ

桜の花は日本人にとってはとても大事な花で、菊とともに国を象徴する花として親しまれています。平安受代の歌人で有名な「西行法師」は、「願わくは 花の下にて 春しなん その如月の 望月の頃」と往生される十年前にこの歌を詠まれ、実際に釈尊が涅槃に入れれた二月十五日の翌日の二月十六日に往生され、この二月十六日は陰暦ですから、太陽暦である源田では三月の後半にあたり、西行法師はご自分の願い通りに往生衣されたのです。これにちなんでか、最初にも書きましたが、桜の花のころにお骨を納められる方が沢山おられ、これは綺麗な桜と共に、ゆっくり眠らせてあげたいという気持ちだと思われます。恭敬の会の送骨、訪問預骨でも沢山の人々の思いとともに、安心しておこてうを納めてもらえ、丁寧に供養しているのd、皆さん大変安心していただけます。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

この記事をシェアする