Blog ブログ

櫛の日

ブログ

2022.09.04

クシの日

今日は九月四日です、九月の「ク」と、四日の「シ」を語呂合わせしてクシ、それで「櫛の日」です。これは櫛を大切に扱って、人々が美容に対する意識を高めてもらおうとするために、全国美容週間実行委員会が定めたのです。

櫛と苦死

日本の言葉で「櫛」は、同じ音の「串」と同じで、「霊妙なこと、不思議なこと」という意味である意味の、「奇(く)し」、「霊(くしび)」が語源となっていて、これによって呪術的な意味づけをされて、また他方では女性が髪の毛を梳くことから女性の象徴的な物品としても扱われるのです。
読み方が「苦死」に通じるので、例えば道に落ちている櫛を拾うことは「苦と死を拾う」ことにつなげられて、縁起が悪いことだと忌み嫌われるということがあるのです。どうしても拾わなくてはならない時には、足で踏んで拾ったり、贈り物として差し上げる時は、「かんざし」と呼んで忌み言葉で表現し、形ばかりですが幾らかの小銭をもらったりするようです。

斎宮の櫛

奈良時代や平安時代、伊勢神宮の斎宮(いつきの宮)に斎王として天照大神の御杖代(みつえしろ)として神宮に奉仕されるために赴かれる。皇女を、見送られる儀式の時に、「別れの櫛」を天皇がおんみずから斎王の髪に挿され、お言葉を述べられたそうです。斎王は身内か天皇に不幸がない限り京都に帰ることはできず、斎王の役を解かれるまで恋愛もできないのです。成人式にあたる「髪上げの儀」では、大人の仲間入りする象徴として櫛が刺されるのです。

伊邪那岐命の櫛

日本では、古来から櫛は別れを招く呪力を持っているとされて、現代の日本人でも櫛を贈答品にしたり気軽に貸し借りをすることは嫌がる人も少なからずい流のです。しの一方では魂の宿る頭に飾る物であることから、自らの分身として旅立つ人に手渡ししたこともあって、時代劇で旅に出る愛おしい人に櫛を渡す場面が写されたりしてます。
『古事記』において、天地の開闢で、神世の七代の最後に伊邪那岐命と伊邪那美命あ生まれられ、そして高天原の神々に命じられて、海に漂っていた脂のような国土を固めるために、天の浮き橋から天沼矛で海を掻き回され出来上がったおのころじまにおいてこの二柱は結婚され、国産み、神産みをされ、日本の国土を形作る多数の子を儲けられ、淡路島をはじめとして本州、四国、九州などの大八洲の島々や石、木、海、水、風、山、野、火などの森羅万象が産まれ、伊邪那美命が火の神である火之迦具土神を生まれる時火傷を負われ、それがもとでなくなってしまい、伊邪那岐命は愛おしい妻の伊邪那美命に逢いたくて、亡くなっったって者がいくという黄泉の国に行かれた伊邪那美命を追って逢いに行かれ、決して除いてはならないと厳命されたのに関わらず覗いてしまい、腐敗して蠅にたかられ、雷の神である八雷神に囲まれている悍ましい様子を見て、逃げ出されたのですが、伊邪那美命は約束を破られて怒って追いかけてこられ、その追っ手から逃れるために櫛の歯を後に投げ捨てられたところ、筍に変わっておってから逃れられることができたのです。

須佐之男命の櫛

八岐大蛇を退治された須佐之男命は、伊邪那岐命が黄泉の国から、辛くも帰還され筑紫の日向橘の小戸の阿波岐原で禊を行われたときに、天照大神、月讀命にが産まれられ、その次に鼻を濯がれた時に産まれられ、伊邪那岐命によって夜の食国または海原または天下を治めるように言われられたのですが、それを断られてしまい、伊邪那美命がおられる黄泉の国に行きたいと申されたために、追放されてしまい、高天原の天照大神を訪ね別れの挨拶をしようとされるのですが、高天原で粗暴な振る舞いをされ、高天原も追放されて、出雲国に向かわれ出雲の鳥髪山に着かれた須佐之男命は、その地を荒らしていた八岐大蛇という大蛇がいることを知られ、八岐大蛇の生贄にさせられることになった美しい櫛名田比売命と出逢われ、櫛名田比売を命の姿形を歯がいっぱいある櫛の形に変えて自分の髪に刺されて八岐大蛇を退治されたのです。

櫛にまつわる神社

櫛にまつわる神社としては京都市東山安井にある「安井金毘羅宮」があって、毎年九月第四月曜日に「櫛まつり」が行われます。櫛まつりでは古代から現代に至流までの伝統の髪型や風俗衣装の時代行列(古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、現代の舞妓)が、祇園界隈から安井金比羅宮までを練り歩きます。
昭和三十六年(西暦1961)に、京都の理美容関係者によって京都市右京区嵯峨小倉に「御髪(みかみ)神社」が創建され、櫛形の絵馬や鋏や櫛のお守りがあって理美容関係の人々が参拝されています。

まとめ

現代はあまり日本髪を結うことが少なくってしまい、櫛を挿すこともほとんどしなくなって、もっぱらお風呂上がりや朝、または出かける前に鏡の前で髪を整える時に用いるだけくらいになってしまいましたが、全く無くなってしまうことはないのであり、これからも花街では芸妓さんや舞妓さんの髪に挿されて、目を楽しませてくれることでしょうし、櫛も実用品だけでなく美術工芸品としても大事にされていくことでしょうし、髪をとかせる道具としては使われていくことでしょう。それは時代が移り変わって行っても同じで、このことは仏様の教えやお参りすることについても言えることです。なんでも生きているうちが花で、死んだら終い無に帰するから何もしなくて良いということにはならないのです。自分が亡くなった時に残った人たちが死んだら無に帰するのだから何もしなくても良いとしてしまったら、亡くなる自分はどう思うでしょう。「恭敬の会」は、煩わしいことは無く負担も少ないのにも関わらず、丁寧にお勤めをしてからお骨を預かり納骨をお行うので、亡くなった方も安心できるのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、生きる方も亡くなっ貴たも安心できることです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

この記事をシェアする