Blog ブログ

母の祥月

ブログ

2022.08.09

母の祥月

八月九日は母の祥月です。
一昨年の今日、晨朝のお勤めを済ませ、朝食を食べ門徒さんの月参りに出かけ、戻って一息ついていたら、母がお世話異なっている特別養護老人ホームの「まんてん」さんの主任さん(同級生で、もとは湖北病院の婦長を退職して、まんてんの主任をしていて、旦那様と同級で、夫婦揃って飲み仲間)から電話がかかって、母が心肺停止状態になったからすぐにきて欲しいとのことでした。私はすぐに洋服に着替えて(お参り直後だから色服(普通の着物)に間衣でしたから)に間衣といういでたちだったので)車で五分ぐらいの「まんてん」さんに向かいました。

ドクターヘリ

「まんてん」さんについたら、救急車が来ていて、これから消防署にドクターヘリが待機しているから、すぐにそちらに向かいます、と仰るので、私が同乗しました。
消防署まで五分で、そこからドクターヘリ(滋賀県は琵琶湖の湖東の日野(滋賀空港の候補地になったことがありました)にドクターヘリの基地があります)です。生まれて初めてヘリコプターにのったのですが、普通でしたら初めて飛行機以外で空を飛ぶのですからワクワクで、空からの景色をたんしむってなものでしょうが、母が生死の境を彷徨っているところですから、そんなワクワクなんてあるはずはないですね。
長浜日赤病院まで5分くらいで下が、なんだか長く感じてしまいました。

長浜日赤について

長浜日赤に着いてすぐに処置室に移され、懸命の蘇生措置をしていただき、少ししたら自発呼吸ができるようになり、内室殿と彦根に嫁いでいる妹が駆けつけてくれ、ほんの少しだけオッついて来たので、入院の手続きをし病室に移りました。病室に入って2時間落ち着いていてこれでお盆はが済むまで乗り切ってくれるかと思っていましたのですが、午後二時過ぎに容体が急変し今にも息も止まり、心臓の波も弱くなっていき、周りからも頑張ってほしいと声をかけてくれ、一進一退の状況が続き、励まそうと思い私が耳元で「ごめんな」と言ったら、安心したような顔になり、それからしばらくして眠るように息を引き取りました。
いつも私のことだけを心配していましたから、あの時、まだ心配してくれるように言ったら、息を引き取らなかったかもしれませんが。

葬儀の日程

亡くなって、親類中に連絡をし門徒総代さんに連絡しました。
私の場合、次に何をしていかねばならないのはわかっているので、慌てることはないのですが、今からお盆という時期(うちの場合は、俗に棚経と呼ばれる門徒さん信徒さんのお参りで全部回るということはないのですが、京都や大阪の門徒さんにはお参りして回るのはあるので)なので、葬儀を行うかを決めるにも、親類、法類のお寺さん方のご都合丸のと、コロナの波の最中ですから、頭の中でいろいろシュミレーションして、親類、総代さんと相談し、十二日に葬儀を執行することにしました。

葬儀の準備

一般のお宅の場合、病院から葬儀屋さんはどこか知ってますかと聞かれ、知らなかったら病院が葬儀屋さんを紹介してくれ、遺体を搬送してもらい、どこで葬儀を行うかを話し合うのですが、以前は一番最初にいお寺に連絡が来て枕勤めしてから日程を決め、葬儀を行うのですが、うちはあまりありませんが、昨今は日程も場所も決めてしまってから連絡が来るというのが増えているようです。
それと、喪主や家族にしたら葬儀を出さなくてはならないということで精一杯で、あまり判断ができないところに、葬儀屋さんあがこれもつけなくてはならない、今は花いっぱいの祭壇が普通で当たり前、と次から次へとオプションをつけるようにい勧めるので、そのまま同意すると、葬儀が終わって請求が来てビックリということが多々あります。
それを聞き及んだりして、葬儀を行うのを躊躇ったり、葬儀を行わないということが起きてしまうのです。
うちの母の場合は、お寺の坊守として宗祖親鸞聖人が法然聖人の葬儀のことを「如来涅槃の儀を守る」とご和讃に召されたように、本来のお荘厳で行えるので狼狽えることはありません。

なぜ花いっぱいの祭壇はいけないのか

花の祭壇は、二十年くらい前までは白い菊の祭壇で、それは吉田茂元首相の国葬で、宗教色を出さないようにと白い菊で祭壇を作り、それが続いていたのですが、昨今は亡くなった方がお花が好きだったからと、色とりどりの花で祭壇をするようになってきました、お花は何月何日に綺麗に咲くようにと準備します、とういうことhは亡くなるのを準備して待つことになるのです。そこで、準備しなくても野や山にいけばある木の花を用いてお供えの花にするのです。それが「木花」と呼ばれる仏花です。祭壇は、野卓他呼ばれる大に水引、打敷を掛け、その上に山の物、里の物、海の物の乾物を貼り付けた「根菓餅」と、杉盛華束餅をお供えし、花はお釈迦様が亡くなった時に咲いていた沙羅双樹が悲しみで枯れたという逸話をもとにした、金銀の紙花をお荘りするのです。

母の葬儀は、門徒さん法中のお寺のおけげで

母の葬儀は、喪主の私は動いてはならず、東本願寺の仏花をきちんと守っておられる先生にお出ましいただき、正式な「木花」が立てていただけましたし、根菓餅も門徒さんがたが頑張って貼り付けてくださり、如来涅槃の儀を守ることができました。あれから丸二年、門徒さん方にも少しずつ、葬儀の荘厳について理解が得られるようになりつつあります。

まとめ

母の葬儀から二年たち、三回忌をお迎えすることになり、祥月をお勤めできました。
ご門徒だけでなく、もっと広く世間に「如来涅槃の儀を守る」の葬儀を行なってもらえるように、頑張っていかねばならないのと、様々な状況でお葬儀を行えなかった人々、お墓に納められない方々に為になすべきことは何かを考え、「恭敬の会」を立ち上げ、少しでも世の人々の安心につながるように活動していきます。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、広い人々の為にあります。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

この記事をシェアする