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満中陰

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2022.08.06

満中陰法要

京丹波町のお仲間のお寺で御住職のお父上の満中陰法要が執り行われました。
五月二十四日にお亡くなりになられたので、本来は八月十二日なのですが、お盆が翌日からということで、お参りあいするお寺さん方のことを考慮して六日に行われ他のです。

中陰とは

人が亡くなって七七日、すなはち四十九日の間のことを言いいます。有情(人間)が迷界に流転する過程を中有、生有、本有、死有の「四有」として、死の瞬間から次の生を受ける刹那(極めて短い時間のことで、75分の1秒が一刹那です)までを中有(中陰)と言って、その期間が七七日(四十九日)なのです。亡くなってから七日ごとに四十九日までお勤めする法要を、中陰法要と言います。
インドから仏教が中国に伝わる時、輪廻転生で元の生と次の生の間に中間的な存在としての中陰の期間があって、その期間に次の六道(地獄、牡蠣、畜生、修羅、人間、天上)のどこに転生するかが決まるということが、加えられたと考えられています。
中陰の期間にに閻魔大王によって生きている時の罪が裁かれると考えられ、すごく善いことをしたら天上にのぼれ、善いことをしたらにまた人間に、罪が軽い順に争いをしたら修羅、動物虐待したりしたら畜生、食べ物を粗末にしたら餓鬼、一番罪が重おいのが地獄に落とされて、人間の五十年が天上の一日一夜、天井の五十年が地獄の一日一夜というくらいの長い時間苦しまなければならないのであるが、残された人たち(遺族)が中陰法要を勤め、追善供養を行うと赦され、それを七日ごとに行わなければならないとされているのです。
また、俗の迷信で中陰が三ヶ月にまたがったら良くない、ということも言われてますが、ひと月の半ば以降に亡くなった方は、絶対に三ヶ月にまたがるのであり、三カ月の三を(み、身)とよんで喪おような事が「身に付く」から、周りにそれが及んだらいけないという、ゴロ合わせからきたもので、全く意味のないことなのです。
浄土真宗は、阿弥陀如来の本願によって命おわった瞬間に極楽浄土に往生するので、追善供養を行なって、閻魔様の裁きを赦される必要は無いのですが、生きておられる間に数えきれないくらいのご縁とご恩をいただいてきたことに対する 感謝するのと往生させて下さった阿弥陀如来への御恩報謝の念仏をさせていただく機縁とするのです。

御住職とお父上

満中陰を勤めめられたお寺の御住職とは、二十年近く前から懇意させていただいており、有職研究会でもお世話になり、衣紋道研究会に御紹介くださり、衣紋道研究会に入会させていただきました。また法衣装束についてアドバイスをいただいたりし、丹波のお寺に入寺されてからは お参り合いが増えるという繋がりで、大切な間柄です。
御住職のお父上は福井県で会社を経営しておられ、福井の財界で活躍された方です。

今年になり

今年の春になり、まだ時間的な余裕があるかと思い、根菓餅のだいの般若木に荘るケシの花と菊の銀色の造花と、お釈迦様が涅槃に入られた(我々一般で言えば亡くなる)時に、咲いていた沙羅双樹の花が悲しみのあまり枯れてしまったことにちなんだ、陰陽を表す金銀の切り裂きの紙花の準備を、蓮通寺の門徒さんも葬儀用の紙花も、般若木の造花も造り変えしなくてはならないと思っていたのもあり、始めて出来上がりました。
四月の終盤になって、ご住職から「医師からあと十日くらいだと宣告されました」との連絡がきて、これはうかうかしていられないと思い、山の物として残っていた栗、銀杏、椿の実等、海の物っとして寒天、昆布、里の物として粽、麩、干菓子等を集めて、貼り付けて、できあっがったのです。
あとは、うちの銀溜の供ゲに盛る杉盛華束と呼ばれる華束餅と、木花(畑で栽培する色とりどりの草の花、を用いない、やまやのにある花や木で立てる)を立てるだけとなりました。
ところが、嬉しい知らせで、お父上が持ち直されたと、知らせがあり、ホットして一同安堵しましたが、それより一ヶ月後に、お父上はお亡くなりになり、うちの近くの山に入り採取したのと境内にあるもので木花の材料を整え、今まで準備しておいたものを丹波のお寺に運んで、若者たちが木花を徹夜で立てて、葬儀の準備が整いました。

お葬儀

葬儀の準備が整い、葬儀を無事お迎えすることになり、ご親族、友人の方々、ご門徒の方々、葬儀を執り行う導師と組内法中、お勤めに助音をしていただく僧分の方々も予定時刻通りに参集してくださり、葬儀が無事つとまり、荼毘にふせられ、還骨勤行も勤まり、それからは中陰のお勤めを毎週され、この度満中陰のお勤めも無事に終えれれました。
これでお手伝いさせていただいた我々も、安堵しました。
葬儀や中陰は一人ではできることではなく、たくさんの人々の助けがあってこそ行えるのです。しかし、それを一人だから行えない場合もあるのです。そこで「恭敬の会」がそれをお手伝いでき、負担が少なくきちんとお悔やみができて、なくなった方も安心していただけるのが、恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養なのです。

まとめ

恭敬の会の送骨 訪問預骨

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