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畳の日

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2022.09.24

畳の日

九月二十四日は「畳の日」です。年に2回(四月二十九日と、九月二十四日)の2回あります。九月二十四日は清掃の日で、環境衛生週間にちなんで、冬の衣替えをする前に、畳を上げて大掃除を推奨する日として、「全国畳産業振興会」が平成九年(西暦19970に制定しました。

畳とは

「畳」は、日本古来の伝統的な床材で、芯材になる畳床の表面に藺草で織って作った畳表(たたみおもて)ウィ貼り付けて作るもので、縁には畳表を止めるためと装飾を兼ねて、畳縁(たたみべり)と呼ぼれる帯状の布を縫い付けます。
畳は縦横の比率がニ対一になっている長方形の一畳の大きさと、これを半分にした正方形の半畳の大きさの二種類があり、大きさは(1尺は30、3センチ)三尺✖️六尺で九十、90、9センチ✖️181、8センチのものが基本となりますが、部屋の寸法に合わせて注文される場合が一般的なので、一定の大きさでないことが大多数です。しかし規格としては、京間(本間、六尺五寸)、中京間(六尺三寸)江戸間(田舎間、関東間、五尺八寸)、団地間(五尺六寸)の四種類があります。令和ニ年(西暦2020)に「伝統建築工匠の技;木造建築物を受け継ぐための伝統技術」がユネスコの無形文化遺産に登録されて、その中に「畳制作」が含まれっています。

畳の歴史

古代の畳は「筵」(むしろ)、「茣蓙」(ござ)、「菰」(こも)といった薄い敷物の総称で、使わないときは畳んで部屋の隅に置いたりすることから、動詞の「たたむ」が名詞となったのが語源とされています。
畳が現在のような形になったのは、平安時代になってからで、厚みが加わって
部屋で据え置いて使うようになって、大きさの規格化が進められていき、平安時代中期に定められた律令の施行細則の格式である「延喜式」には、階級によって畳の大きさ縁の色や柄が定められたのです。
鎌倉時代までは床の座る位置に置くように使われていて、移動させたり重ねたりしていたのですが、室町時代になり慈照寺の東求堂のような書院造りが造られるよう尼なり、部屋全体に畳を敷き詰める様式が現れ、移動させることが亡くなっていき、畳は分厚くなり重くなっていきました。
江戸時代になると、畳そのものが重要な建築物の要素と見なされるようになって、城や屋敷の改修工事を司る役職として、畳奉行が任命されるようになっていき、畳は重要なものとなっていきました。
少し前までは、畳を敷き詰めた部屋が日本の住まいの基本だったのですが、最近は安い建売住宅や、工場で組み立てて建築現場に運んで据え付けるだけの家や、何代にもわたっ大事に住み続けるというのから、自分一代だけ保てば良いという家が増え、生活スタイルが畳の上に座るのから板の間で椅子に座るというように変化し、畳が敷き詰められた部屋を日本間などと日本人なのに言ったりすることによって、畳の部屋が減っているのです。

畳の構造

乾燥させた稲藁を強く圧縮して縫い止め、厚さ5センチ程度の板状に加工した「藁床」(わらとこ)と呼ばれ、稲作の副産物で生じる稲藁を有効的に活用したもので、適度な弾力性、高い保温性、室内の調湿作用や空気を浄化させる作用などの高い機能があり、日本の建物は夏を基準んとして建てられ、多湿の日本の風土には最適だであったのです。しかし最近は材料の入手が困難になってきたこと、作るのが難しいこと、重くて取り扱い
が大変なこと、夏を基準として立てる通気性を重視するのから、保温性が重視され、断熱材で囲まれ通気性が悪くなり、湿度でダニなどの害虫が繁殖しやすいようになったこと、カビが生えやすいことなどの理由で、新しい素材が利用されるようになってきて、木材のチップを圧縮成形したインシュレーションボードと言われるものや発泡スチロールを単板、または積層させた建材畳床、化学床と呼ばれる、踏みご心地や通気性では藁床にはるかに及ばないけれども、安価で軽く防音性に優れるものとして活用されています。

畳表と畳縁

藺草や七島藺(しちとうい)の茎を乾燥させて織った「ござ」で、さまざまな折り方があり、麻糸化綿糸を経糸にし、藺草を緯糸として織り上げ、ほとんどは一目の中に経糸をニ本ずつ織り込んだ諸目表(もろめおもて)という織り方ですが、縁のない畳には、一目に経糸を一本ずつ織り込んだ目積表(めせきおもて)という織り方が使われます。
畳床を畳表で包む時に、長手方向には畳表を巻きつけ、裏側で畳床ニ縫い付けるのですが、横方向は畳床の幅に合わせて畳表お切り揃えてしまいます。切り話のままでは畳表が固定できないので、畳縁で切り口を隠すとともに畳床に縫い付けて止めるのです。畳減りには何種類もあって、昔は身分によって使える縁が決まっていました。
「繧繝縁」最も格式の高い畳縁で、天皇、三宮(皇后、皇太后、太皇太后)、上皇が用いられ、親王、高僧、摂関なども「准后」(しゅごう)の称号が与えられると子の繧繝縁を使うことが許されました。本願寺は短畳に繧繝縁を使うことを許されています。
「高麗縁」白と黒の織物で、親王、摂関、大臣は大紋高麗縁、公卿は小紋高麗縁です。
四位、五位の殿上人は紫縁、六位以下は黄色、無位の者は縁なしとされていました。

まとめ

畳は和室には欠かせないもので、一千年以上の長きににわたって日本の建物で使われてきたのです。これからも和室には必須のものとして使われ、伝えられていくでしょうし、神様や仏様の宗教施設においても使われて必須のものです。「恭敬の会」は、これまでは葬儀を行い、お墓に納骨するということが当たり前だったのが、葬儀を行えない、お墓に納骨できないという人々が増えてきて、その方達がお悔やみもできずお骨を送るだけとなってしまうのを、少しでも本来のお悔やみができるようにと、負担が少なく、煩わしいことがなく、しかし丁寧にお勤めして安心してお骨を預かり納骨するということを始めたのです。恭敬の会の送骨 訪問預骨 永代経、永代供養は、畳のように人々に親しまれ、暮らしに定着し広い人々が安心していただけることを目指しているのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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