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百日紅

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2022.08.30

百日紅について

「さるすべり」は「百日紅」といい、蓮通寺でも夏になると紅と白の百日紅が咲いて長く目を楽しませてくれます。
皮が剥がれやすく、猿もすべって落ちるという例えから名付けられたようです。
蓮通寺には紅い百日紅が二本と、白い百日紅が二本あって、七月の末初から九月初めまで一ヶ月以上にわたって花を咲かせてくれ、参詣者の人達や境内で遊ぶ子供達の目を楽しませてくれます。
周りの門徒さんの家々にも植えられていて、最近では背の低い種類もあっって、白、赤、ピンクの花が集落のあちこちで見られ、暑い中でも和んだ気持ちになれます。

百日紅(さるすべり)とは

百日紅は、中国南部が原産のミソハギ科サルスベリ属の樹の高さは2メートルkら10メートルになる落葉の高木です。日本には自生してないのですが、全国の街路、公園、庭園に植栽され、成木のミキは樹皮が剥げ落ちてツルツルしているので、木登りが上手な猿でさえも難しくて滑ることがあるので「サルスベリ」と名付けられたのです。確かに蓮通寺の境内の百日紅に子供の頃登ったことがあるのですが、皮がすぐに剥がれて、剥がれた後はツルツルしていました。
花が少ない夏の季節の貴重な花で、梅雨明けから秋の始まりまでの長い期間にわたって花を楽しむことができるので「百日紅」(ヒャクジッコウ)ともいわれ、個別の花期は二ヶ月ほどですが、他の庭木に比べると格段に長く咲いて、はなの大きさは3〜4センチくらいで、紅、白、ピンク、稀に紫などの種類があります。

百日紅の手入れ

百日紅は、乾燥や潮風にも強くて、丈夫な性質なのですが、お日様を好む「陽樹」で、植栽される場所は日向に限ります。蓮通寺でも南に面した石垣の上の日当たりが極めて良いところに植えてあります。基本的は温暖なところが基本で、寒さの厳しいところでは防寒対策が必要となります。
木の様子は南国風だと言え、自己主張をするので他の木と混ぜて植えないほうがよく、庭の手前や玄関付近に単独で植えることが多いようです。
花を鑑賞することを目的地して植えられますが、枝は上方で大きく開き、上手に剪定を行えば年を重ねる毎に味わいが増す枝ぶりを楽しむこともできます。
花は、その年に伸びた枝の先に咲くので、春から秋にかけて剪定をすると、花が少なくなってしまいうので、剪定の時期は秋の終わりから初冬の時期が良く、幹から飛び出して伸びる「胴吹き枝」や、根元から生える「ひこばえ」、内側に伸びる「逆さ枝」、他の枝と平行して伸びる「平行枝」、極端に上向きに伸びる「立ち枝」、混み合っている細い枝なんかを付け根から切り落として剪定します。その時期なら太めの枝も切ることができ、花付きも良く、どこを切っても翌年には花が咲来ます。蓮通寺では夏に門徒さん方の奉仕作業で夏に境内を剪定するので、花がたくさん咲く年や少ない年ができてしまします。
また、二度キリと言って、夏に開花した枝の花房の下、二節目から三節目をごっそりと切り戻すやり方で、花房の下の二節めから三節目を着ることで、新しい枝が伸びてそれに再び枝先に花が咲くのです。それに切り戻すことによって枝数が増えるので、花の数も増えるようで、二度切りの適当な時期は、七月下旬から八月中旬で、八月中旬にすれば花がらの整理もできるのです。
成長は早くて、放っておくと枝葉が混み合って風通しが悪くなり、スス病、うどんこ病、カイガラムシのなどの被害に遭いやすくなるので、枝抜きをして風通しを良くするか、消毒をする必要もあります。
夏の門徒さんの奉仕による境内の清掃、庭木の手入れでは、えらく思い切って枝を切ったり、刈り込んだりということがあるのですが、この前の冬は雪が多く、百日紅の枝も何本か折れていたことがあったので、今年の夏の門徒さんの清掃奉仕で行う庭木の手入れでは、少しだけてを加えていただいただけのので、来年もきっと境内の百日部には沢山の花を咲かせてくるることだろうと思います。

百日紅の種類

種類としては、花が咲いている時期が長いので、普通の家庭の庭木としても植えられますが、最近ではあまり背が高くならない品種が人気が高いようです。
背が低く、種を蒔いた年に花が開くのが「一才サルスベリ」
下草のように育つ品種は、「チカソー」
花の色が濃くて枝が横に広がりにくい品種は、「カントリーレッド」
葉っぱが黒くて白い花が咲くのと、薄ピンクの花が咲く品種は、ブラックパールです。蓮通寺の境内にはその三種類とも揃っています。

まとめ

蓮通寺でも、世間一般でも夏になると長い間咲いて見る人達を楽しませてくれる百日紅は、日本原産でないのですが、日本に定着して夏にはなくてはならない花になりました。それは日本に取り入れて育てて広めて行って下さった先人の努力もありますし、百日紅が日本の風土に合っていたこともあるのでしょうね。このことは仏事などにも言えることで、長い間培ってきた人を慈しんで感謝し、それの表れとしての葬送の儀であって、亡き人を想い大事にすることは、自分にも返ってくるのです。
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