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盂蘭盆会

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2022.08.15

盂蘭盆会

八月十五日は蓮通寺でも「盂蘭盆会」をお勤めします。新暦では七月十五日で本山では七月に行われます。
サンスクリット語の「ウランバナ」を音写したもので、「倒懸」と訳して、逆さに吊すと言うことで、逆さ吊りにされたくらいの苦しみという意味で、お釈迦様のお弟子の目連尊者のお母さんが餓鬼道に落ちられそれから助けられたというお話しと、日本古来からの祖先が過去の時期に帰ってこられるというのが一緒になったものです。                              
御堂にもお内仏にも「切籠灯籠」という灯籠に日を灯し依代としてお参りするのです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

目連尊者の母

目連尊者は、お釈迦様の十大弟子(舎利弗 知恵第一、目連 神通第一、大迦葉 頭陀第一、須菩提 解空第一、富楼那 説法第一、迦旃延 論義第一、阿那律 天眼第一、優波離 持律第一、羅睺羅 蜜行第一、阿難 多聞第一)の中で、神通第一と言われる強力な神通力(今で言えば超能力)をお持ちになった方です。
マガダ国の首都王舎城の北方のコーリタという地で 王家を指導する大富豪のバラモンであったお父さんと、目揵連というお母さんの間に生まれられ、お母さんの名前から目揵連子とも目揵連とか呼ばれていました。
面倒見に良い親分肌の頭も良く、幼いころから勉学が好きで、あらゆる本を読んで、理解してしまうほどでした。成長しっ音からしくなっていかれ、隣の村にいた同年代の舎利弗という青年と仲良くなり、ともに学ぶようになられて、ある時に息抜きをしようと、大きな祭りに出かけ、たくさんの人たちで賑わって騒いでいる様子を見て、最初は気分転換にもなったのですが、そのうちに二人とも、何が楽しいのか疑問をあ感じるようになり、虚しさが出てきて、いつまでも終わりそうもない祭りの喧騒から離れ静かな林に向かい、末路お騒ぎを鏡として、自分達の人生もああやって欲望に動かされているうちに儚く終わってしまうのではないかと思い、焦燥感にかられ、二人は出家することとして、両親の許しを乞い、許されて出家し、当時はまだお釈迦様は悟りを開かれる前だったので、サンジャヤという師匠について学ぶこととし、弟子になりあっという間に弟子の中でも一番になっていったのですが、二人の迷いは解決できずにいて数年経ったところ、お釈迦様の最初のお弟子(五比丘)のアッサジに出逢われ、お釈迦様が説かれて因果の道理聞き、二人は衝撃を受け、すぐさまお釈迦様の元にいかれお弟子になられたのでした。それからお釈迦様が直接指導され、厳しい修行を積んで悟りを開かれ目連尊者は「神通第一」、舎利弗は「知恵第一」と呼ばれ十大弟子になられたのです。
目連尊者の神通力は他人の心が見えるという力、他の人に見えない生き物が見える力、人や物を動かせる力、といった神通力を持った方でした。

目連尊者のお母さんの話

『仏説盂蘭盆経』には目連尊者にお母さんのお話が説かれています。
目連尊者は、神通力を得てから、亡くなったお母さんはどこにいるのだろうと、探されたのでした。優しい人だったからと想い、先ず極楽を見渡してみると、どこにもおられません、次に天国、そして人間、修羅、畜生と探されたのですが見つからず、餓鬼道に落ちて苦しんでおられるのを見つけられます。がきどうとは欲の深く食べ物を粗末にした人が落ちるところで、食べたいものも食べられず、飲みたいものも飲めず、ガリガリに痩せ細って飢えと渇きに苦しむ世界です。
目連尊者はすぐに、食べ物と飲み物を持って餓鬼道のお母さんに会いにいかれ、持っていった食べ物と飲み物を差し上げられるのですが、お母さんが口に入れる前に炎となってしまい、食べたり飲んだりすることができないのです。悲しみに暮れながらお釈迦様の元に行き、相談されたのでした。
お釈迦様は、目連尊者のお母さんは罪が深くて、一人の力では助からない。し千月十五日の安居(インドは雨期があり、その間は外に出て修行することができないので、建物の中に集まって迷走したいの修行を行う)の最後の日に、全ての比丘(僧侶)に施しをして、その大衆の比丘の功徳によって餓鬼道の苦しみから救われるダロウと、おっしゃったのです。しかし目連尊者は出家された方なので、金銀財宝を持っていてそれを布施することはできません。そこで一人で托鉢をされ集まったお米で水がゆを作られ、それを大衆の比丘に施され、それによってお母さんは餓鬼道から救われたのです。

盆踊り

お盆の時期には、各地で「盆踊り」が行われます。蓮通寺のある岩熊でも二十数年前までは行われていて、江州音頭が響き渡り、踊りやぐらの周りに踊りの輪ができて、賑やかで風物詩でしたが、主催していた青年会がなくなり、行われ無くなってしまいました、いつの日か復活させたいと思っています。
盆踊りの起源は、目連尊者のお母さんが餓鬼道から救われて、極楽に登っていかれる様子を見られた目連尊者が、踊り上がって喜ばれたという逸話が元になっていて、だからお盆に行われているのです。

まとめ

日本全国でお盆の行事は行われていて、浄土真宗のお寺でも行われているのですが、浄土真宗の教義から言えば、夏のこの時期だけに先祖がお帰りになるのではなく、お勤めがあがる際、おりんを二つ打ちますが、その二つのおりんは、一つ目は地面の神様である地荒神さんに連絡が伝わり、二つ目のおりんで、地荒神さんから極楽浄土に連絡が伝わり、阿弥陀如来様はじめ、仏様方が先祖を引き連れて降りてこられ、お勤めの間は仏様やご先祖方で満ちていて、お勤めの間は眠くなるのは仏様が満ちておられるので安心するからなので、お勤めの最後の回向文でおりんを三つ打つので極楽にお戻りになるのです。だから年に一度だけご先祖がお帰りになるのではなく、常にお帰りになるのだから、お盆の時期だけではないということになるのですが、世間一般に合わせることも大事なので、行われています。
「恭敬の会」は、世間一般と同じく亡き人を縁として、負担は少ないのですが、ご先祖を想い感謝し大切にする役割を担ってい流のです。
恭敬の会 の送骨 訪問預骨、永代経、永代供養は、ご縁の薄かった方が感謝の念を表す方法です。

恭敬の会の 送骨 訪問預骨

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