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盂蘭盆会

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2023.08.18

盂蘭盆会

八月十三日から十五日は、旧盆で「盂蘭盆会」(ウラボンエ)です。新暦では七月十五日で東本願寺では七月十五日に「盂蘭盆会」が勤まります。一般的には八月の旧盆にお勤めっされることが多く、本来のお盆に季節は夏で、季節の行事としては八月に行うほうが日本の風土としてはあっているのではないかと思います。盂蘭盆の行事としえて有名なものには、京都五山の送り火や長崎の精霊流し、各地で行われる盆踊りなどがあります。インドのウランバナと日本古来からの夏のの時期になると先祖が家に帰って来られる灯風習が結びついたものです。太だ郵便で送るだけの送骨でなく、お家に伺い、お勤めをしてからお骨を預かり、それを本坊である蓮通寺でずっと供養していく恭敬の会をにおいても盂蘭盆会をお勤めします。

盂蘭盆とは

盂蘭盆とは、「ウランバナ」のおとに漢字をあてはめたもので、直訳すると「逆さ吊りにされるほどの苦しみ」と言う意味になります。お釈迦様のお弟子で神通力(今でいう超能力)第一と言われた目蓮尊者のお母さんの物語が起源となっていて、それはお釈迦様の仏教教団が広まっていき、お弟子の目連尊者が神通力を体得され、お亡くなりになった優しかったお母さんを神通力の一つの天眼通で六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を探され、まずは極楽浄土にもおられず、それから畜生道などを探され太ところ、餓鬼道とは物欲が強い人で特に食欲についての欲が深い人が堕ちるところで、目連尊者のお母さんは、食べ物を粗末にされてしまったのでこの餓鬼道に落ちてしまわれたのでした、餓鬼道に堕ちた人は食物が食べられなくて、常にお腹を空かせて足も手も体が痩せこけてしまい、お腹だけが膨らんでいる様子で、目連尊者は見つけてすぐさま餓鬼道のお母様のもとに行かれ食べ物を与えようとされるのですが、何度渡してもお母様の口に入れる寸前で炎となってしまい、食べることができず、目連尊者は悲しみのあまりお釈迦様に相談されたところ、お釈迦様は、目連尊者一人の力ではお母さんを餓鬼道から救うことはできない、雨季に行われる「夏安居」の最後に、お釈迦様のお弟子方の全てに施しを行い、その功徳によってのみ救われるとお示しくださり、目連尊者は出家者ですから財があるわけはないので、托鉢され頂かれたお米を水粥にして、お弟子方全てに施しをされたところ、お弟子方がそれぞれの力で念じられ、それによってモック連尊者のお母様は餓鬼道から救われたのです。

盆踊り

盂蘭盆の頃になると、各地で「盆踊り」が催されます。盆踊りは盂蘭盆の起源の木蓮尊者のお母さんが餓鬼道に堕ちて苦しんでおられるのを見つけた木蓮尊者が悲しまれ、お釈迦様に相談され、お釈迦さまが示された「夏安居」の最後にお釈迦様のお弟子方全てに目連尊者が托鉢されて頂かれたお米を水粥にして施され、お弟子方すげての願い、念じられタコとにより餓鬼道から救われて極楽に昇っていかれ、その様子を見られた目連尊者が踊りあがって喜ばれたという逸話があり、それを元にして日本で行われるようになったのが「盆踊り」で、大阪だと「河内音頭」、滋賀県だと「江州音頭」なが有名で、東京だと「東京音頭」などがあって、各地で様々な踊りが催されています。知床の羅臼では櫓を組んでtっ幼稚んを沢山灯し、仮装盆踊りが行われていて、地域の皆さんの楽しみになっています。蓮通寺のある長浜市西浅井町岩熊でも、以前は青年かいが中心となって盆踊りが行われていたのですが、残念ながら今では行われ無くなってしまいました。地域のお盆の風物詩tして、子どもたちのお盆の記憶に残すためにも、いつの日か復活させたいと思っています。

五山送り火

八月の十六日の夜、京都においては「五山の送り火」が行われます。お盆も少し前の七日から十日になると、「六道参り」と言って、六道珍皇寺にお参りをして「お精霊さん」をお迎えし、家の床の間に盆棚を設置して盆提灯を灯しし、蓮の葉に胡瓜や茄子を賽の目に切ったものをのせ、帰ってこられる時は早くと言うことで、駆ける馬を胡瓜で作り、送るときはゆっくり進むお言うことで、茄子で牛牛を作って供え、またホオズキをお供えします。そして十六日の夜八時になると、東山如意ヶ嶽の「大文字」が奉納された護摩木の火床で点灯され、続いて松ヶ崎の「妙法」が、続いて西賀茂の船山の「舟形万灯籠」が、その次に金閣寺の近くの大北山で「左大文字」が、最後に嵯峨野の奥の嵯峨鳥居本の曼荼羅山の「鳥居方松明」が点灯されます。ずっと以前は十の山で点灯されていて、十山だったとも言われています。この送り火は京都御所から天皇様が見えるようになっていて、今でも京都御苑にて送り火を見るのが本当だと言われています。この五山の送り火によってご先祖方は昇っていかれ、夏の終わりになっていくと言われています。今では、神奈川県の箱根や奈良県でも、これを真似て大文字焼が行われています。

まとめ

盂蘭盆はインドの木蓮尊者の物語と、日本古来からの風習が混ざりあっって出来上がり、日本のナッツの風物詩になっていて、亡くなった先祖方に思いをいたし、感謝して今の自分達の励みとするもので、簡単にお骨を山や野、海に撒いてしまう「散骨」や、お骨を郵便で送ってしまい、あとは何もしないただの「送骨」では、亡くなった方々や先祖に対する供養ができないのではないでしょうか。そこで僧侶がお家に伺って礼拝の対象となる「三つ折り本尊」を授与し、その前で丁寧にお勤めしてからお骨を預かり、それを本坊にて納骨して、ずっと供養していく「恭敬の会の送骨、訪問預骨」が、盂蘭盆の風習に合致することではないでしょうか。

恭敬の会の送骨 訪問預骨 供養、永代供養

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