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秋の七草

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2022.10.04

秋の七草について

秋になると、「秋の七草」と耳にすることが多くなります。また「春の七草」とのように七草粥にして食べるのとは違って、鑑賞して愛でるもので、奈良時代の歌人である山上憶良が万葉集の中で選定しました。「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」「萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」 とういうものです。 

「萩」
落葉低木に分類される豆科のハギ属の総称で、垂れ下がるように伸びた枝に、七月から十月にかけて赤紫色やピンクや白の小さな花が沢山咲きます。古株からたくさんの新しい芽がつくために、「生え木」とも呼ばれる世になって、それが次第に「はぎ」へと呼び方が変化していったと考えられます。また、萩の実を粉状にして餅に混ぜて食べていたということや、萩の花が小豆に似ていることが、秋の彼岸に供える「おはぎ」の名前の由来になったという話もあり、花言葉は「内気」「柔軟な精神」「思案」ということです。



尾花

「尾花」
芒(すすき)の別名で、稲科ススキ属の多年草で、穂の形が馬の尻尾どの動物に尾に日いることが名前の由来となっています。一般的にはすすきと呼ばれていて、蓮通寺の山号は「尾華山」(おばなざん)で、蓮通寺の立っている岩盤は元は山の先端の端でそこにススキが沢山生えていたことにちなんでつけられました。また、私の「印」も「芒」です。中秋の名月なのどの秋のお花見には稲がまだ穂がみのる前なので稲穂の代わりとしてのはすすきは欠かせないもので、秋の代名詞でもあって、お団子とともにすすきを飾ってお月見を楽しみます。日当たりの良い草原や野原、空き地や道端などのさまざまなところに群生して、昔は茅葺き屋根を葺く材として用いられていました。はな言葉は「活力」「勢力」「生命力」です。

女郎花

「女郎花」
おみなえし、スイカズラ科オミナエシ属の多年草で、六月から十月にかけて咲き、小さく黄色い花が房状に密集した状態で咲いて、茎まで黄色いので、花が咲き終わっても鮮やかな黄色を保って、長く鑑賞でき楽しめます。また、独特な匂いがしてそれが気になる場合もあり、乾燥すると匂いが強くなりので、部屋に飾るときは毎日水を取り換える方が匂いは抑えられます。花言葉は「美人」「親切」「はかない恋」です。

桔梗

「桔梗」
ききょう科キキョウ属の多年草で、様々な園芸用の品種が流通しているのですが、最近では数が減少していて、絶滅危惧種に指定されています。六月から十月にかけて咲くこの花の美しい形は、古くから日本人に親しまれていて、家紋としても武将に使われ明智光秀の紋として水色桔梗と呼ぼれてよく知られています。暑さ強くて、真夏でも花を咲かせます。霜にさえ当たらなければ越冬も可能で、翌年にはまた花を咲かせます。花言葉は「清楚」「誠実」「優しい温かさ」です。

「葛」
豆科クズ属の草花で、強い繁殖力があってアジアの広範囲にわたって群生していて、根茎で増殖し、蔓を刈り取ってもすぐに再生します。周囲の木々を覆ってしまうほどの生命力で荒れた土地でmこさ立つのです。八月から九月にかけて花の時期を迎え、綺麗な姿を楽しむために昔から観賞用として親しまれてきて、根から取れる葛粉は和菓子の材料に使われていて、単体としても葛切りなどのお菓子たとしても食べられています。花言葉は「活力」「芯の強さ」「努力」です。

撫子

「撫子」
なでしこ科ナデシコ属の多年草で、六月から十一月間ので長い間の花の時期があって、万葉集に詠まれているのは「カワラナデシコ」野のですが、古くから品種改良が盛んに行われてきて世界中に広まっていて、把握されている種類だけでも、300種以上あり、日本に自生している品種もあります。撫子は江戸時代に観賞用の園芸植物として栽培されていて、その故古典園芸の植物としても数えられ、撫子という名前の由来とされる撫でたくなるほど可愛らしいのです、愛知県三河に嫁いだ長女の みちるの「印」はこの撫子です。六月から十一月にかけてが花の見頃で心和む魅力的な花で、大和撫子という、日本の女性を称える言葉もあって、昔からたくさんの人々に愛でられてきました。花言葉は「純愛」「無邪気」「才能」などがあります。

藤袴

「藤袴」
きく科ヒヨドリバナ属の多年草で、少しづつ小さな花を咲かせていき、花の時期は八月から十月で、筒状の花の形が袴に見えるということが名前の由来で、乾燥させると葉や茎までもが桜餅を包む葉っぱのような心地いい香りを放つのです。昔は池のい周囲や河原などの水辺に自生指定とのですが、今では数が減って、絶滅危惧種に指定されています。花言葉は「思いやり」「遅延」「躊躇」「ためらい」などです。

まとめ

秋の七草は、秋の季節を代表する草花で、山上憶良が紫色や黄色の可愛くて美しい花を選んで、それを愛でて自然の豊かさを感じ、楽しみ表現していくことから始まって、日本の情緒を表していて、日本の文化のもとの一つで、日本の人々の心の中にしっかりと根をおろしているのです。それは蓮通寺にもつながっていて、山号が芒の別名である尾華というのも、日本の文化を守って伝えていくことが使命であるのです。そのことは「恭敬の会」も、日本の心を守るためとして発足しました。それは、日本の人々が大事にしてきた、亡き人を大事に想い供養をすることを今の時勢に応じた形で伝えていくことであり、ただ亡くなった方の遺骨を、何もせずに送って納骨する散骨するのではなく、僧侶がお伺いし礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めしてから、お骨を預かって納骨するという、日本の心を大切にするもとです。恭敬の会の送骨 訪問預骨 永代経、永代供養は、山上憶良の頃からの日本の心を大切にしているのです。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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